きらきらが揺れる!

遠くの光が揺れること知ってました?俺知らなかったー。温度とか空気の密度で光が屈折して揺れて見えるんですって。

それを知った時、うわ!!これコミュニケーションだ!って思いました。人との話す時、言葉1つ伝えるだけでも相手に伝わるまでに屈折するから、自分が受け取って欲しい意味のまま伝わらないこともあると思うんです。好き花の今田美桜もこんなようなこと言ってたなー。

こういうの世の中にたくさんあるんじゃないかな。夜景がゆらゆらしてることがコミュニケーションに似ていたり。世の中の事象って常に何かの形に似ていると思います。今思いつかないや、前もこれどっかで思ってたのにな。

でもこの夜景のことコミュニケーションみたいやって例えたら、コミュニケーションを綺麗なものだと表現する事になるのかな。そんな達観した価値観は残念ながら背伸びしてもまだ持てへんわ。世の中には自分がどれだけ潜っても辿り着けない考え方や思想がゴロゴロ転がっているけど、全てを理解できるはずがないんだよな。なのに多様性多様性って自分の許せるものだけ許してて、僕もその1人なんだなって思うと多様性って言えなくなっちゃいますね。言ったことないですけど。朝井リョウ読んでそう思いました。
俺思うんですけど、今日セカンドパートナーって言葉が出回ってましたよね。世の中多様性とか謳ってるくせに、それを批判している人が多くて。俺もセカンドパートナーって聞いた時、むむ??っていう感じだったんですけど。
よく考えたらこれも多様性じゃないですか?なのに俺ら世間はそれを許せなくて、その一方で形だけ誰かを尊重してます風に多様性という言葉を使っている。確かに自分だけが許せる範囲で多様性という言葉を使っているなあと思いました。なんか小難しい本読み始めたつまらん大学生の考えって感じ。まんまそうなんですけど。笑
世間一般では多様性という言葉をなんていうか綺麗な言葉?1人残らずみんなを包み込むみたいなニュアンスで使うと思うんですけど、多様性の本性って多分そんな綺麗なものじゃないんじゃないかな。俺含めてどんな人が世間に存在してるのか本当に知らないから多様性なんて、みんなのこと許してますと言わんばかりの言葉が流行っちゃうのかなとか、色々考えちゃいました。もうそんな言葉いいから、人に迷惑かけなければ自分を何処までも許せればいいんじゃないかって思います。それがなんか1番みんなが求めてる多様性になる気がするな!!


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