こんばせーーーーしょん!!!!!!!!!

ってなんだと思います?俺は他人と空間を共有する簡易的なスペース?部屋?だと思います。入るのも出ていくのもお互いの自由で、その部屋でどう過ごすのかも自由なものかもしれません、てか多分自由です。人それぞれです。

俺は自分で言うのもなんですが、人の言葉に敏感で誰かに言われた言葉を自分の中で掘り返しては戻して掘り返しては戻してを繰り返して寝られなくなったりすることがよくあります。人に言われる言葉に敏感になれば、自分が相手にかける言葉にも敏感になります。

で、会話って言葉使うじゃないですか。言葉って自分たちの感情を表現するものだけど、本当は自分の感情をぴったり完璧に表現しきれていないんじゃないかなってすごく思います。確かに本当に大切だった物が壊れたり、ペットが亡くなってしまったりしたとき僕らは気持ちが沈みます。だけど、各々の感受性で感じるものって 本当にそれを“悲しい”で終わらせられるものなのかと。本当はもっと奥の道をずっと進んだところに自分たちの悲しいはあると思うんです。空が晴れていて青いから、みんなが空青いねって言うみたいに、ただみんなが共通認識できる言葉を使っているだけで、本当はもっと言葉では捉えられないぐらい自分たちの感情の機敏は繊細なものだと思うんです。(だからこそ、自分の言葉を持ちたいねってよく思います。)

そうなると、本当に分かり合える人っていなくなりますよね。そんなに繊細なものが人同士で分かり合えるのかと。それで、最近気づいたんですけど、分かり合える人なんてこんなに人間何億十人もいるのに、そのうちのほんの少しだと思うんですよ!!!!!!ひえー、恐ろしくないですかこれ。てか、虚しいです凄く。
さっき話したように、感情は繊細すぎて!誰かをわかろうとすることにも限りがあると思うんです。だから人を完全に理解することなんて、その人にしか出来ないんだなと。(文章下手すぎて、伝わってないですよね!)
でもだからこそ、わからない部分が人同士で大きいから、分かり合える小さい部分を人は喜び合ったり共有しあったりするんじゃないのかなって思います。たとえば、フェスであのバンドがいいとか、この映画面白え!とか、松下洸平かっこよくない!?とかとか。だから人って、少しでも誰かとの繋がりを感じたいから、確認していたいから、共感が大好きなのかなーと思います。俺も共感することが好きですし、共感して欲しいです。本当はみんなで誰のことも疑わずに、あれいいよね、これいいよねって言い合いたいです。でもそれは難しいですよね。

そんなことをおもいまーーーしたーー。
おわりです!

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