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葬送のベターレン

 私が若気の至りで起業したことがある旨は、昔書いたことがありますが、その際の共同創業の相棒が、ここ数年ご無沙汰だったのでどうしてるかなと、fb(SNS)の彼の頁を開いたら、「トリビュート」状態になっていた。

 つまり亡くなったのだ。それも半年も前に。知らなかった。

 SNSの利用者が亡くなった場合、近親者などがそのプラットフォームに適切な方法で申し入れれば、そのアカウントを「追悼アカウント」に切り替えて公開することができる。それによってその管理人が亡き人に変わって状況を報告したり、寄せられる投稿を管理したり、または閉鎖ができるようになる。

 が、そのアカウントは現在は誰が管理人か、誰がトリビュートを申し入れたかも分からない状態だった。

 しかし、そのトリビュートにはすでに1件の投稿があった。その投稿者名には覚えがあった。その方と私は直接のフレンドでもなかったが、相棒が私との会社を閉鎖したあとに自ら起業しともに活動していた方らしかった。トリビュートはおそらくその方が手配してくださったのだろう。しかしそれは半年前のことである。その方と私は直接の面識すらなかったが、だからか、亡くなったことをその前の彼のパートナーである私に連絡することは念頭に浮かばなかったということなのだろう。また、相棒は既婚であったが、奥様からその亡き配偶者がかつて初めて共同で起業した相棒である私に連絡するということも、念頭に浮かばなかったということなのだろう、か。思えば、その相棒とは会社を閉鎖し袂を分かれた後1年は親交があり情報交換だのランチだのをしていたが、その後ピタっと交友が無くなった。だから今回気づくのが遅れたのだが、私からも連絡はしなかった、忙しくなり特に重大な用が無かったからであるが、彼のほうも私に用が無かったからなのだろう、か。

 実は、避けられていた気が少ししていた。

 彼はその1年のさらにあとに、その彼のフレンドとともに起業していたのだが、その際の事業内容が私とのかつての会社と酷似しており、さらには、私の会社のコンテンツを復活させて提供していたのだった。私には無断で(権利は廃業時まで私が多数の株式を持っていた。投資家やベンチャーキャピタルが入り希釈化していたが)。その当時とは違って国内だけでなく中華圏にも提供して。もう時機を逸したコンテンツだというのに。その事業が、結局成功したという連絡も無かったし、傍目にもそうではなかったと思われた。

 私はそれを気づいていたが、何も言わなかった。だから彼に連絡をしなかった。だから、彼も私に連絡をしなくなったのだろうと、すごく思っていた。おっと、先ほど私は、「避けられていた気が『少し』していた」と書いたことと程度の表現が矛盾していると思われるでしょう。そう、私は「少し」と思いたい気持ちと、明確にこうだろうと「すごく」思っているという気持ちが混在しており、自身の中に矛盾があることは自認しているが、それを一致させることはなかなか難しいのである。何故だか分からないが。

関係者への連絡

 その事実を知って私はもちろん驚愕とともにとても悲しい暗い気持ちになりはしたが、それよりも重大なことは、私は何を投稿するかであった。それを1日弱考えた末に、簡潔にお悔やみの言葉を投稿した。その投稿には疑問や質問などはもちろん無い、シンプルな言葉でだ。次に、私はこの事実をすぐさま当時の私の会社の他の幹部3名に伝えると、2人は知らなくて非常に驚き悲しみ、また1名はその半年前のフレンドの投稿で事実を知っていたとのことで、そのフレンドから簡潔に状況だけは聞いていたとのことだった。死因は病気で、その前にしばらく闘病していたと。しかし、それ以上に詳しくは知らないとのことだった。

 こういう事態の際に、自ら死因や原因などを詳しく調査するなどはタブーであるということはさすがの私も分かっているので、もちろん自分からそれらを聞いていない、聞こうとはしていないし、それに興味をもつこと自体がナンセンスであると思っている。しかし、人間は疑問や空白があたまのなかにあると、好奇心から解決・探索したがるものであるということは、カント哲学などを親しくしている私は知っている。ならばなおさらその欲求に飲まれてはいけないと思っている。
 そして事態は急変した。
 さらに1日が経過する間に、私の投稿がSNSという拡散性の高い機能によって、私のその会社のもと社員たちの知ることとなり、あっという間に多数の反応が「スタンプ」などで寄せられたのだ。また、ごく数名は、私と同様にお悔やみのメッセージを丁寧にトリビュートに投稿した。また、ごく数名は、私に「本当ですか」と感情的なメッセージ(DM)を送ってきたので慇懃に対応した。

 しかし、それからすぐのタイミングで届いたメッセージは様相が違った。

関係者グループに捕獲される

 それは「お悔やみ」や丁寧で遠慮がちな「挨拶」ではなく、いきなり質問から入ってきた。グループメッセージだった。そのグループはメンバー一覧を見ると、その会社のもと(平)社員たちだった。約9名。彼・彼女らの中に、先に述べた「ごく数名」に該当する者は居なかった。グループメッセージは過去ログを見ることができたが、彼・彼女らがすでにこの話題でもちきりになっていて、もともと私の投稿から気づいてこのグループを作ったようだった。そのメンバー間での久しぶりの挨拶があり、そのグループ名「びっくり会」(なんじゃそりゃ)の命名があり、また、その事件について知ってることを共有しあい、ある者は憶測を重ねて推理して、そして現在、当初からの話題は次の3つに集約されつつあるようだ。

・すぐにみんなで故人を偲ぶ会として夜、集まろう
・故人宅へ弔問しよう
・その時の状況が知りたい

 の3点。その議論沸騰している最中に私を「捕獲しよう」という(過去ログにそうあった)ことになり私をメンバーに加えたので、いきなり会話途中に放り込まれた形だった。私はその空気に気づかぬふりをして丁寧に皆様にお悔やみの言葉と、久しぶりである非礼を詫びる言葉を述べた。すると、それだけで皆はめいめいに会話した。このグループには明らかにリーダー格がいて(以下Mさん)、当時から姉御肌だった彼女がしきっていた。このグループメッセージの様相であるが、どちらかというと女性のほうが発言率は高いようだ。私は進んで会話に参加したり説明するのではなく、私に明確に降られた事項のみ端的に回答するを選んでいたが、そのうち私に簡潔に質問したのは、起業初期に私がスカウトして雇った聡明なエンジニアのYくんであった。彼は半年でやめたのでここのメンバーとのつながりはほぼ無いはずであるが。彼の質問は上記3点のうち「弔問」と「状況」についてコンパクトに聞いてきたので、私はそれに応じて同様に簡潔に答えた。
 
 質問の一つ目、弔問したいが、故人とご家族がそれを望んでいるかの温度感が分からない。これについて私の回答は、私も今も、また今までも連絡がとれておらず分からないとした。また弔問するにしてもご実家とご出身は日本の北と南端の地方だと付け加えると、かえって「弔問に行きたいですねー」という答えがめいめいから上がった。
 質問その2、「その時の状況」は、私もあの方の投稿でしか知らず何もわからない旨を説明した。
 Yくんが私の回答へお礼を述べた。するとその直後、Mさんは言った。
 
「知りたいことがあっという間に分かりました。さすがYさん」

 その後、会話はまた、偲ぶ会として集まって宴会をする話に戻っていった。

 今のところ、私を誘うような話しは誰からも上がっていない。が、誘われたら言い訳して断りたいと思う。

どうして知らせてくれないのか 

 彼、故人は既婚者であったが、奥様とは、面識などは無い。fbはやってはいらっしゃらないようであったが、さすがにいろいろと調べれば私のことはすぐに連絡できる状態ではあったはずなのに、無かった。何故か。わからないけど、彼との共同創業は私の発案、起業であるし、私のほうが持ち株比率もはるかに高かったが、彼には共同経営者のポジションを担っていただいていた格好だ。その経営においては度々ぶつかることもあり、また得られる利益分配にも差別は確かにあった。とまれ全体には、また閉鎖する際まで、私は彼との仲を良きパートナーであったと信じて疑っていない(功績も申し分ない)。
 しかし、もしかするとご家庭では仕事でうまくいかない話や、私との軋轢、不満などを多数共有されていたのかもしれない。だから亡くなった時も連絡くださらなかったのかもしれないが、分からない。またはその後の事業がうまくいかなかったことがネックになっているとかか。しかし私は、最初のトリビュートへの投稿後、昔のパソコンのファイルを漁って出てきた旧企業の「社員名簿」ファイルを探し出し、そこに彼の「緊急連絡先」電話番号があることを見つけた。それはそのご夫婦の住んでおられた住所の電話番号(据え置きのほう)だった。そちらに、覚悟を決めて何度か練習したうえで、発信した。電話口に出られたのは

 「おかけになった電話番号は、現在使われておりません」

 だった。

 世間一般で、配偶者が亡くなった時、生前のお世話になった直前ではなくその前の会社の関係者にまで葬儀などを伝えるものなのかどうか、全く分からない。ネットで少々調べてみたが、それについてはどの程度が標準なのか、全くつかめなかった。

 今、彼の最後の事業のパートナーに、メッセージを送り、慇懃な挨拶とともにご親友であらせられるのでお悔やみの言葉もそえつつ、弔問が可能か問い合わせているが1日たってもまだ返事が来ないが、それを知ったらあの平社員のグループに伝えるべきか、
 悩んでいる。

 私はこの騒動の中で、今、自己の置かれた立場について寂しさを感じているし、やるせなさを感じている。


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