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享受会コラム#45「今昔へそ物語①」by楽長
本来の演出企画部ってポジションは、昼のイベントを考え実行することだけではなく、へそ祭り全体、しいてはへそのまち富良野をもっと市民に"へそのまち”という一種の誇り?をどう浸透できるだろうか?
それが直接が伝わりにくいとしたら、外に向けてマスコミが飛びつく事件をおこすことができないか?
TVとかマスコミ経由で地元のへそ祭りを見聞きした市民が直接より誇りを感じるのか?という仮説いわゆる”天岩戸方式” なんて頭の中で、柄にもなく考えていた1996年初秋の昼時。
食卓に向かって食事をしていた私の耳にテレビから聞こえてきたのは
「へその緒が子供の命を救った?」というアナウンサーの声だった。
なに?ってゆっくり振り返った時には次のニュースが流れていた。
今のようにネットで調べればという時代ではなく、へその緒が何でこどもの命を救うの?というモヤモヤを抱えながらひと月ほど進展もないまま時は過ぎる。
会議でもそんな私の空言を仲間や先輩のほとんどが「どうやってへその緒が子供の命を救うんだよ!!
煎じて飲ませるのか?」と笑い話にする始末。
だがT君は、半信半疑であったろうがお客様周りをしながら、神戸から移住してきた方からパルモア病院という女性と子供の専門病院で聞いたことがあるとの有力情報を持ってきた。
即、病院宛に手紙書いた!! まだメールじゃない時代!!
2か月経っても返事もなく、へそ祭りの次なる企画はないまま12月初旬、最終の会議は目前。
ほんとうの意味で藁をもつかむ気持ちで、もう一度手紙を出した。
なんと?すぐに返信があり、臍帯血バンク支援のボランティアをはじめていた主婦と知り合うことになる。
それから臍帯血について学び、提供する側に全くリスクがなく理想の治療ということを知る。
1997年7月 北海道で初めてへそのまち富良野で“臍帯血を知る集いINふらの”を開催し同7月28~29日のへそ祭りでは公的臍帯血バンク支援と医療費の保険適用を求める署名活動。道新はもちろんTVや全国紙でも取り上げられ確か清水山のラベンダーの辺りで生中継、今は亡きO理事長が緊張からか話の中で胎盤を子宮と間違ってちゃうし、ま~伝わればいいか(笑)
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それがきっかけとなったのか?は定かじゃないし、まちづくりと命に係わる医療をくっつけて良かったのか?常に自問自答を繰り返すも、2か月後の9月に公的バンク設立と保険適応を国が認め、道新でも全国ニュースでも流れたということがあった。
それから27年、2024年7月28日朝五時半、高齢となった商店街のほんの数人のメンバーと、ここ何年も仕事前に業務とは関係なしで手伝ってくれている市役所のフレッシュなボランティアと一緒に雨でずぶぬれになりながら会場飾り付けをしている。
最悪の状況で果たして手伝ってくれた若者に、私が楽しそうに見えただろうか?反省しきり。そういえばFuranoBETA大学も富良野が楽しそうに見えるという天岩戸方式なんだよね。
BETA大学で待ってるよ〜。
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