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可能性を閉ざさない社会へ〜ある判決が問いかけるもの〜

事故が私たちに問いかけた大切なこと 

2018年2月1日、大阪市生野区で痛ましい事故が起きました。大阪府立生野聴覚支援学校(ろう学校)に通う井出安優香さんが、下校途中の歩道で突然命を奪われたのです。何の落ち度もない11歳の命でした。聴覚障害を持つ当事者として、この出来事は私の心に重くのしかかっています。

2025年1月20日、大阪高裁は重要な判決を下しました。安優香さんの逸失利益、つまり事故がなければ得られたはずの将来の収入について、健常者と同じように評価したのです。この判決までの道のりで、安優香さんのご両親、弁護士の方々、そして大阪聴力障害者協会をはじめとする多くの方々が、計り知れないご心労を重ねてこられました。

この事故は、私たちに命の重さ、そして可能性とは何かを改めて問いかけています。

「障害」を理由とした可能性の否定 

この裁判で大きな争点となったのは、聴覚障害を理由に逸失利益を低く見積もろうとした被告側の主張でした。被告側は「9歳の壁」という考え方を持ち出しました。「9歳の壁」とは、聴覚障害児が9歳頃に直面するとされる学習上の困難のことです。被告側は、この「壁」によって思考力や言語力、学力の獲得が難しいとして、安優香さんの逸失利益を健常者の40%とすべきだと主張したのです。

この主張を聞いて、私は自分の学生時代を思い出しました。確かに、授業中の先生の説明が聞き取れなかったり、グループでの話し合いについていけなかったり、様々な困難がありました。でも、クラスメートがノートを見せてくれたり、先生が丁寧に説明してくれたりしました。家族や友人たちも、私のためにコミュニケーションの方法を工夫してくれました。

このような経験があるからこそ、「障害があるから」という理由だけで、可能性を一律に制限してしまう考え方には強い違和感を覚えます。

個人の能力と可能性を評価する判決

大阪高裁は、安優香さんの実際の様子に目を向けました。補聴器や手話、文字を使いながら、年齢に見合った学力を身につけ、高いコミュニケーション能力を持っていた事実を評価したのです。そして、全労働者の平均賃金を基準とする判断を示しました。

このような、障害がある人の可能性を正当に評価しようとする裁判は、過去にも数例ありました。今回の判決で私が特に注目しているのは、以下の三つの点です。

  1. 固定観念ではなく、一人ひとりの実際の能力や可能性を具体的に評価していること

  2. 障害があることを理由とした機械的な減額を認めないという、明確な判断を示したこと

  3. 社会の進歩や支援技術の発展も、将来の可能性を考える要素として認めたこと

私にとって、この判決は、聴覚障害のある人の可能性を認める大切な一歩だと感じています。

社会全体の「障害」に対する捉え方の変化

この裁判を通じて、私は障害の捉え方について改めて考えさせられました。以前は、障害は個人の身体的な制限として捉えられ、治療やリハビリで「解決」すべきものとされてきました。これを「医学モデル」と呼びます。でも、この考え方では、私たち障害のある人の社会参加や可能性が不当に制限されてしまうことがありました。

最近では、新しい考え方が広がってきています。障害は個人の問題だけではなく、社会の仕組みによっても生まれるという考え方です。2006年に国連の障害者権利条約でもこの考え方が示され、日本も2014年の批准を経て、2011年の障害者基本法改正でこの理念を取り入れています。

具体的な例を挙げさせていただきます。電話リレーサービスという仕組みができたことで、私の仕事の進め方は大きく変わりました。このサービスが公的なものとして始まってから、取引先とスムーズに電話でやりとりができるようになったのです。リアルタイムで相談や交渉ができるようになり、仕事の効率も上がりました。

このように、社会の仕組みを少し変えるだけで、私が感じていた不便さの多くが解消できたのです。

教育現場における学習支援の取り組み

このような考え方の変化は、教育の場でも実践されています。私が知っている聴覚支援学校では、生徒一人ひとりの特性に合わせて、様々な工夫をしています。例えば、補聴器や人工内耳を活用した学習環境づくり、手話による授業、パソコンなどを使った視覚的な学習サポート、そして一人ひとりの状況に合わせた言語習得の支援などです。

私自身、社会人になってから、このような支援のおかげで新しい可能性を見つけることができました。以前は、こうした支援を受けられる機会は限られていましたから、選べる道も少なかったのです。でも今は違います。私の周りでも、多くの仲間たちが自分に合った方法で学び、新しい道を切り開いています。

私の場合、最初はプログラマーとして働いていました。その後、手話通訳や要約筆記のサポートを得て様々な勉強会に参加できるようになり、今ではマーケティングの仕事もできるようになりました。これも、周りの方々の支援があってこそだと感じています。

安優香さんも、同じように支援を受けながら学んでいたと聞いています。この経験を通じて私が実感しているのは、適切な支援があれば、誰もが自分の可能性を広げていけるということです。

法制度の整備がもたらした変化

法制度の面でも、大きな変化が起きています。特に印象的なのは、2001年の欠格条項の見直しです。それまでは、障害があるというだけで、特定の職業や資格が制限されていました。この見直しによって、医師や薬剤師など、それまで門戸が閉ざされていた専門職への道が開かれたのです。

私の経験をお話しします。子どもの頃、私は医師になることを夢見ていました。でも当時は欠格条項があって、その夢を諦めるしかありませんでした。だからこそ、今、聴覚障害のある人が医師として活躍しているニュースを見ると、胸が熱くなります。

最近では、さらに変化が進んでいます。2021年には障害者雇用促進法が改正され、一人ひとりの障害特性に応じた働き方やキャリア形成の支援が充実してきました。法定雇用率も2024年には2.5%まで引き上げられ、働く機会は着実に広がっています。私の周りでも、以前なら選択が難しかった職種に挑戦する仲間が増えてきました。

企業における人権尊重の取り組み

私は障害者団体DPI日本会議の一員として、「ビジネスと人権市民プラットフォーム」という場で、企業と人権について考える機会を持っています。この活動の中で特に大切にしているのが、2011年に国連が定めた「ビジネスと人権に関する指導原則」(*)という考え方です。

私たち障害のある人の暮らしは、企業の活動と切っても切れない関係にあります。例えば、お店で買い物をするとき、商品の説明が分かりにくかったり、店員さんとのやりとりに困ったりすることがあります。会社での仕事でも、大事な会議の内容が十分に伝わってこないことがあります。

そこで重要となるのは、企業の皆様に、自分たちの活動が私たち障害のある人の権利を侵害していないかを定期的に確認し、改善に取り組んでいただくことです。これを「人権デュー・ディリジェンス」(**)と呼びます。今回の裁判でも、保険会社の判断が私たち障害者の権利に大きく関わっていることが分かりました。

企業の皆さんには、私たち当事者の声に耳を傾け、できるところから改善を進めていってほしいと願っています。それは、結果として企業の皆さん自身にとってもプラスになるはずです。

一人ひとりの可能性を認める社会へ

今回の判決を通じて、私は改めて大切なことに気づかされました。それは、一人ひとりの命の重さであり、その人が持つ可能性の大切さです。安優香さんの事故は、決して繰り返してはならないことです。同時に、この判決を通じて、安優香さんは私たちに大切なことを教えてくれました。

一人の当事者として、この判決が上訴されることなく確定することを願っています。そして、これを一つのきっかけとして、障害の有無にかかわらず、誰もが自分らしく生きていける社会に少しでも近づいていけたらと思います。その実現に向けて、私もできることから始めていきたいと考えています。

(*) ビジネスと人権に関する指導原則:企業が人権を尊重する責任を果たすために守るべき原則として、国連が定めたガイドラインのこと

(**) 人権デュー・ディリジェンス:「デュー・ディリジェンス」とは、「丁寧に調べて確認する」という意味で、企業が自分たちの活動で「誰かの大切な権利を侵害していないだろうか」と確認し、もし問題があれば改善していく取り組みのこと

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伊藤 芳浩 / コミュニケーションバリアフリーエバンジェリスト
あらゆる人が楽しくコミュニケーションできる世の中となりますように!