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お江戸東京での知事選の茶番劇を見て日本人の民度の低下に絶望感しかない

日本人の民度はここまで下がったのか!? お江戸東京で繰り広げられる知事選での茶番劇を見て、この国の未来に絶望感しかない。

ポスター掲示板問題では、候補者の数が多すぎて張るスペースが足りない、という初歩的な問題から始まり、次はポスターの内容で大騒ぎ。役所やマスコミも巻き込んでの大騒動となったが、あまりにもレベルが低くないか?

普通に常識と良識を持った集団であれば、議論にも値しないようなこんな低次元の出来事など起こらないはずだ。それを真面目に取り上げ議論しなければならないほど、この国のレベルは落ちたのか? 小学校の生徒会長選挙の方がずっとマトモだ。大の大人が恥ずかしくないのか・・・

奇しくも、出生率の低下を受け候補者たちが少子化対策を論点にしていたが、「少子化問題」以前の問題として、自分たちが滅ぶべき民族に堕落してしまったのではないか? こんな民族なら再生産などしない方がいい! という神様の思し召しではないかという気さえしてくる。

泡沫候補者たちのゲリラ活動だけでなく、トップがそもそも詐称疑惑や説明忌避、対抗馬も人のアラ捜しと批判だけ。そもそも全部がこんなレベルでしかない。正々堂々と自分の政策と実績を訴えそれで勝負しようという気などなく、自分が勝つためなら何をしてもいい、というさもしい人種であるのは上から下まで皆、同じ。

日本人はいつからこんな民族になり下がったのか?? 日本の中心である天下のお江戸東京がこの有り様では日本が近隣国のことなど笑えない。もし他国で同じようなことが起きていたら「だからあいつらはレベルが低いんだよ」と嘲笑するはずだ。

「サムライジャパン」「サムライブルー」とスポーツイベントのたびに自分たちはサムライの末裔であるかのように誇る。しかし、そもそも「日本人」=「サムライ」ではない。日本人のうち「お侍さん」は2割ほどしかいなくて、あとの8割は農民やアキンド等だったのだから、日本人の大部分はサムライの子孫などではない。野球やサッカーで言えばせいぜいチームに2人ほどしか「サムライ」はいない計算だ。昔も、大部分の人は5人に1人しかいないお侍さんを敬意と畏怖の眼差しで遠巻きに見るだけの存在だったはずだ。

電車で人に体当たりしてでも席を奪うオバハン、釣り場で後から来て黙って割り込むオッサン、シルバーシートで平然とスマホをいじっている若造たち、些細なことで店員に怒鳴り散らしているジイさん・・・

こういう人たちを見るたびに「お前らいったいナニジンや!?」と言いたくなる。少なくともその言動は絶対「サムライ」のものではないだろう。そんな奴らが同胞のつもりでサムライジャパンを応援する資格などない。

規則や損得などではない。ただシンプルな良識があればいい。

「ならぬことは、ならぬものです」

有名な会津藩の「什(じゅう)の掟」の一つだ。「サムライ」の端くれなら年端の行かぬ白虎隊でも知っていた。つい150年ほど前までは、この国はそういう価値観で成り立っていたはずなのに・・・

「貧すれば鈍す」。国力の低下に伴い、このまま民度も低下を続けるのか?

自戒を込めて・・・