かわいい猫ほど人懐っこいのはナゼ? そこには人間にも共通するある法則が!

メタボ対策も兼ねて、予定のない週末は自宅近くの大きな公園をウォーキングするよう心掛けている。そこにはたくさんの「街猫(まちねこ)」がいて、散歩途中の人たちがエサをやったり、撫でたりして可愛がっている。

私もベンチに座って近くにいる猫たちを眺めていると、猫にもいろいろ個性があることに気付く。まったく人間を怖がらずに無邪気に膝の上に載ってくる猫もいれば、遠巻きに見ているだけで決して人間の手が届く距離には入ってこない猫もいる。

この違いは一体どこからくるのか? 単なる性格の違いなのか? それとも過去に人間にいじめられたかどうかの経験の違いからか?

そこで人懐っこい猫と警戒心の強い猫を観察していて、ある法則を発見した。人懐っこい猫は、総じて顔が可愛く毛並みもきれいで、目がブルーだったりする。一方、「警戒組」は目つきが悪く、黒と茶色のシマ模様で、典型的なドラ猫系が多い。

この客観事実から導かれる仮説は、「好悪の相互循環作用」とでも呼ぶべき以下のような仕組みではないか。

見た目がかわいく愛嬌がある猫は、近寄ってくる人間たちがいつも「かわいい、かわいい」と優しく接してくれるので、猫のほうも人間に対して敵意を抱く事はなく、よくなついてくる。それでさらに人間に可愛がられる、という好循環にお互いなっていく。

逆に、見た目が悪く憎たらしい猫は、人間にいつもいじめられたり脅かされたりしているので、人間に対する警戒心が強く簡単には近づいてくることすらない。猜疑心の強い目で遠くからこちらを睨みつけているだけだ。そうすると人間のほうも「しっ!しっ!」と追いやったりするので、憎悪の連鎖でこちらはどんどん悪循環に陥っていく。

このプロセスは、猫に限らず人間にも当てはまる。だから、美人は性格が悪いと言う俗説?は嘘ではないかと私は思う。小さい頃から周囲に可愛がられ、自分に好意的な人間の中で育てば、自然と性格は素直で明るくなる確率の方が高い。逆の場合は、猜疑心の強い猫と同じようになっても不思議ではない。頭の良い子の場合もしかり。小さいころから「お前は賢い」と言われ続け、自分でもそう思い込み、さらに勉強して賢くなる。

同じ構造がサラリーマン社会でも当てはまる。若くして会社に認められ期待された人材は、人事異動や考課の場面で優遇されることで、自分が会社からかわいがられていることを認識し、会社の期待を背負ってより一層頑張る。そして実際に成果を上げて、その結果、期待通りに出世していく。
逆に、早々に会社から見放されたと感じた人材は、会社を恨んで対立関係になり、そしてますます会社から冷遇されていく。
元々の能力の差よりも、たまたま受けた初期の小さな処遇の差と、それに対する本人の反応の仕方で、その後にたどる道は大きく違うものになる。

この場合は見た目だけの話ではないが、人間は、自分によくしてくれる相手には自分も好意をもち、その相乗作用でますます好循環になる。恋愛の初期感情はこうやって形成されるのだろう。その逆もまた然り。この場合は憎悪の連鎖が加速し、その究極型が戦争ということなのかもしれない。

見た目や能力、主義・主張などなど、最初のほんの少しの違いが「相互循環作用」?によってどんどん拡大していくことで、最終的にはまったく違った結果をもたらすことになるのではないか?

公園のネコを眺めていて、ふとそんなことを思った。


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