自由研究の自由とは?
7月20日を過ぎると、夏休みが始まりを感じるのは、関東で小中学校時代を過ごした人間の普通の感覚だ。
寒さが厳しい地域では、 少し遅く夏休みがはじまったり、八月下旬に夏休みのが終わり、冬休みが長くなるそうだ。
この夏休み、宿題がたくさん出る。
それこそ、実技以外の教科の数だけ宿題がある。
何なら加えて、日記なんかも出る。
そろそろ「お年寄り(祖父母)に戦争体験を聞く」は年代的にも限界なので、絶滅していると信じたい。
戦争学習をさせたいなら、広島・長崎の原爆式典をノーカットで見て欲しい。両式典とも1時間ぐらいだったはず。
長崎は不明だが、広島県では原爆の日は小中学生は登校日になってるし、リアタイで無くても多数の配信サービスで無料公開されている。
その他にも、児童生徒とそのご家族にとって色々と悩ましいことの多い、夏休みの宿題。
中でも、炎上したり話題になる定番、自由研究というものがある。
テーマは自由だ!
好きな事を研究発表しろ!
だと思ってる人が多すぎる。
やる・やらないは自由だ!
夏休みに好き勝手した成果を発表してみよう!
…のはずだ。
えっ違うの(´・ω・`)?
少なくとも私は小中学校で、自由研究を強制された事は無い。
更に言えば、一度も提出したことがない自由研究だが、同級生で研究成果や作品を持って来た子はすごいと思う。
けれど、私はグータラな質だ。
自由提出の課題に頑張って取り組むより、スイカ食って昼寝をするインドア系エンジョイ勢だ。
それに、目立つのが苦手だったので、休み明けの教室で自由研究を見せびらかす行為は、全くやりたくなかった。
自由研究の提出が無い事で、担任に何か言われたことも、評価が悪くなった記憶もない。
昭和の自由研究は、本当に本人に自由に任されていた。
今はどうか知らんけど。