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なんで僕は起業したんだろうVol.4〜未知との遭遇で未来が変わる予感〜

みなさま、こんにちは。
株式会社Mr. Wanderlustという会社を
今年1月11日に立ち上げた佐々木史彦と申します。
先週9月8日に自社で製作したスキンケア商品を売り出しました。
広告代理店という全然違う業種にいた僕がなぜ起業したのか、
なぜスキンケア商品をつくることにしたのか。
徒然なるままに思い立ったことなどを書き記していきたいと思います。
まずは起業したきっかけである前職時代の話から。
どうぞよろしくお願いします。

ここからは「ですます」調ではなく「である」調に改めます。
あらかじめご了承ください。

大手アパレル会社のマーケティング部署に出向してからMDやデザイナー、パタンナー、生産など他の部署のひとたちと親しくなるにつれて彼ら彼女たちの仕事の一端が見えてきた。それは、この1枚のシャツ、1本のジーンズ、1着のジャケットにどれだけ想いを詰め込めるかというものだった。

洋服を着るひとの姿や心情を想像しながら、自分のセンスや経験と市場や流行を秤にかけながらあらゆる条件を調整しながら生産量や金額を決めていく。たった一着の服に大の大人たちが熱く議論を交わす。見た目は何でもないふつーのどこにでもありそうな洋服だ。でも、その中にはこだわりと妥協と血と汗と涙が織り込まれている。

ある時、生産担当のひとがシャツの袖にある糸の縫い目をじーっと見ているから何をしているのか聞いたことがある。
「佐々木さん、一枚のシャツで縫い目がひとつ増えようがふたつ増えようが   関係ないように思うでしょ。でも、縫い目ひとつで着心地が変わる。印象も変わる。なによりうちの商品は大量に作るから縫い目がひとつ増えるだけでコストが全然変わってくる。だから、こういう細かいところまで目を向けないといけないんだ。」
痺れた。
誰も気にしないであろうところまでこだわる職人としての目線、透徹された商売人としての目線。長さにして1cm程度の糸が示してくれた彼らの仕事に対する執念がとにかく格好良かったのだ。

神は細部に宿る。シャツにも宿る。

そして、僕はそれまでパタンナーという職種があることを知らなかった。
洋服はデザイナーとパタンナーという2種類のひとの合作で出来上がっていく。川久保玲や山本耀司などファッションの世界で有名な方々はだいたいデザイナーなのだろうか。デザイナーは洋服という物の表面を作るひと、パタンナーは物の形を作るひと、と言えばわかりやすいだろうか。
洋服の首から腰までの長さを何cmにしようか、腕の部分を少し湾曲させることで動きやすくさせようとか、人間の身体にまとう洋服の形をデザインしていくのが仕事だ。この洋服の元になる形をパターンと言うらしい。
これは冷静に考えるとすごい仕事だ。当たり前の話だけど、人間の身体はひとりひとり違う。そのまったく違う身体に対して、大きく言ってSとMとLの3種類のサイズにだいたいを合わせないといけない。
この3種類の中でひとりひとり違う体型に合わせて、時には格好良く、時には可愛く、時には洗練させたり、そして大前提として心地よく設計しなくてはいけない。思えば、この会社にはデザイナーよりもパタンナーのほうが多く在籍していたと思う。彼らは毎日、人間の身体と洋服の最適解を求めて1mm単位の彫刻家のような仕事をしていく。

良い鋏は音が違うということも知りました。

出向は今まで経験したことのない仕事や思考の連続だった。そして、それがとても魅力的に思えてきた。商品やサービスがすでに用意されていて、それをどう知らしめていくか、どう売っていくかを考えていた広告代理店時代の仕事よりも根源的なものに思えた。これまでやってきた仕事は誰かが考えた商品やサービスがすでにある、というのが前提だ。口悪く言うと、人の褌でしか相撲が取れないのが広告代理店の悲しい性なのだ※。出向して時間が経てば経つほど、この「誰か」は「僕が」に漠然と気持ちがうつっていくことを確実に感じていた。

※人の褌でしか相撲が取れない・・これは広告代理店全体では言えないかもしれません。自ら仕事を創り出している人はいくらでもいます。でもクライアントの商品やサービスを色々な手段を講じて広告する受注産業であるということは間違いありません。