なんで僕は起業したんだろうVol.5〜大河の一滴、上流にいるか、下流にいるか。どちらに身を委ねるか〜
みなさま、こんにちは。
株式会社Mr. Wanderlustという会社を
今年1月11日に立ち上げた佐々木史彦と申します。
先週9月8日に自社で製作したスキンケア商品を売り出しました。
広告代理店という全然違う業種にいた僕がなぜ起業したのか、
なぜ商品をつくることにしたのか。
どうせ誰も読んでいないだろうから、
徒然なるままに思い立ったことなどを書き記していきたいと思います。
まずは起業したきっかけである前職時代の話から。
どうぞよろしくお願いします。
ここからは「ですます」調ではなく「である」調に改めます。
あらかじめご了承ください。
アパレル会社への出向で僕はクライアント視点での広告制作よりもモノ作りのほうに俄然興味がわいた。僕は男性シャツの部門にお世話になっていた。あるとき、なんでもないシャツがどれだけこだわって作られているかをちゃんと伝えるために動画を制作することになった。そこで工場で実際にシャツをつくる工程を撮影することに。中国の青島流亭国際空港から車で7時間のところにある生地(布)をつくる紡績工場は、街まるごとが工場によって成り立っている企業城下町※1のようだった。ここで細い糸が撚られて生地が作られ、その生地が上海から車でこれまた6時間かけて行った縫製工場で一枚のシャツになる。そこでは数多くの人たちが一枚のシャツを生み出していくダイナミズムがあった。東京でデザインされパターン(洋服の形やシルエットをつくること)されたものが中国で一本の糸から生地が作られ適切な大きさにカットされ、それを縫い合わせて一枚のシャツになっていく。
マクロで見れば大量生産品であることには間違いないけど、ミクロで見れば職人技の積み重ねだ。それが世界中に輸出され人々に買われて、誰かの生活をちょっと良くしていく。アイデアのバトンが人の手によって大河のように繋がれていってひとつの商品になっていく。
広告は最後の最後にある大河の一滴だ。もちろん、消費者から一番近いところで仕事をする醍醐味はある。姿形のないイメージをつくるという最も難しい仕事に対して誇りもある。そして、電通はその中でも最大の会社だという自負も気概もある。
でも何かを自分で意思で作っていく、ということを久しく、というより一度もしていないことに思い至ってしまった。常にクライアントからのオリエンを受けて決められた日程までに広告を制作して、それが時にはTVCMとして、新聞広告として、店頭に貼られたポスターとして世の中に出されていく。普段、僕はどんな気持ちで仕事をしていたんだろうと思わざるを得なかった。「何が良い」よりも「何がクライアントに通るか」を考えていなかったか。「何が面白い」よりも「何がタレント事務所に断られるか」を考えていなかったか。挑戦よりも調整を第一に考えていなかったか。そこに自分の意志はあったのかなと思うと首を縦には振れない自分がいた。
そんなことをぼんやり思いながら出向先での仕事をしているうちに出向は1年を越えた。時に故郷である電通に無茶を言ったりなだめすかしたりしながら忙しく仕事をしながら、しょっちゅう同僚と飲んだり遊んだりして、とても充実していた。そんな出向生活を満喫しているうちに出向を告げた上司から電話がかかってきた。
「佐々木、来年の1月いっぱいで電通に帰ってきてくれ。しばらくしたら違うクライアントを担当してもらうから」
もっといたかったな、というのが最初に思ったことだった。でも、仕方がない。この仕事、この人たちともお別れかと思うと寂しかった。マーケティング部の仕事も楽しかったし、何よりもっとモノ作りの現場を知りたかった。
2018年1月末。1年半の出向が終わり電通に戻った。
戻ってしばらくして担当になったのは、モノ作りとは畑違いの通信インフラの会社だった。
※1企業城下町・・超巨大な紡績工場がいくつもあり、学校も病院もあらゆる施設がその会社が所有しているという規模がとても大きい場所だった。三人いる創業者のうち1名が日本人でよくしていただきました。創業から今に至るまでのお話しを伺いとても興味深かったです。