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なんで僕は起業したんだろうVol.8〜自分の肌をみて愕然とする。と、同時に新しい扉が開かれた〜

みなさま、こんばんは。
僕が広告代理店からスキンケアメーカーを起業する前夜の話。
コロナ禍を機に、自分のやりたいことが形作られた、そんな時期。

2020年2月下旬。勤務していた電通は早めに感染者を出したこともあり他社に先駆けて在宅勤務が命じられた。その日まで打ち合わせやプレゼンのたびに大量の紙資料を印刷してクリップ留めしていたが、あり得ないほど非効率なやり方を疑問にも思わず繰り返していたと今になって思う。

社会の動きが一斉に止まるちょっと前のことで、進行中の案件は一応進めることになっていた。とにかく世の中がどうなっていくんだろうという不安の真っ只中にいた。当時すでにMicroSoftのリモート会議システムTeamsを電通では導入していたが僕は一度も経験したことがなかった。

とりあえず、まず打ち合わせをしようということになり初めて設定をいじってみたがよくわからない。スマホに慣れないおじいちゃんのようにのろのろと首を傾げていじりながら時間を迎えた。会議開始ボタンを押すと画面いっぱいに自分の顔が大きく映った。下からのアングルだったので二重顎が目立つ。うわっと思うのも束の間、それ以上に自分の肌の汚さに愕然とした。これは一体何なんだ。誰なんだ。僕か。そうだ、これは僕だ。目の下の隈、シミの多い肌、カサカサな乾燥した肌、、慌ててカメラに似たボタンを押して自分の顔を消したけどいつまでも残像のように自分の顔がPC画面に焼き付いていた。自分の声を初めてビデオやテープの録音で聞いたときに感じた嫌な違和感。自分の顔なんて毎日のように鏡で見ているはずなのに、急にあらわれたどこか客観的で、少し荒い画像の暴力的とも言える攻撃力はすごかった。他の人たちは自分のことをそう見ていたんだな。どこにあったのかよくわからない根拠なき自分への自信のような何がしかもオフになった瞬間だった。

自分の肌に愕然とした一方でこう思った。そう言えば、友達や先輩、後輩の肌ってひとりひとり全然違うなぁと。喫茶店に行くのが趣味のひとつなのだけど、そこで珈琲をすすっている人たちもひとりひとり全く肌の状態が違う。女性は化粧をする文化があるけど、男性にはまだそのような文化がない。だからその人の個性が肌にも剥き出しになる。自分の汚さを棚にあげて、色々な人の顔を思い返してはふむふむとひとり頷いていた。打ち合わせの内容はほとんど頭に入っていなかった。

お昼が夕方になるように、頭の中の関心事が移り変わっていく。

僕は小児科喘息を長いこと患っていた。喘息の発作は辛い。息ができずずっとゼコゼコヒューヒューと苦しい時間を過ごさないといけない。喘息になるたびに「神様!もう何もいりません!ただ息を普通にさせてください!」と心の中で呟いていた。もちろん喘息の発作がおさまると、あれが欲しい、これが食べたいと煩悩が全開になるのだけど。何度神様を裏切ったかわからない。でも、神様は喘息の苦しさをきっと知らないだろう。

喘息で多いのはアトピー性皮膚炎を併発する子どもで、僕もそうだった。痒いという感情は一番辛い。我慢しづらい、というより我慢できない。起きているときはおろか寝ているときも掻きむしってしまう。当然、肌はただでさえ刺激に弱いのにボロボロになる。いつの間に小児科喘息は治ったが、アトピー性皮膚炎は子どもから大人になった今でも向き合っている。かなり緩和してきたが肌の状態は揺らぎやすく、夏場は汗のたまるような肘や膝裏や首元が痒くなり、冬場は乾燥して全体的に痒くなる。

喘息の発作がおきるとすぐにベランダへ逃げる。風が少しだけ苦しみを和らげてくれるから。

アトピー性皮膚炎を患っていたから、肌の悩みはいつでも僕の隣にいた。肌の悩みはずっと身近だったはずだ。でも大人になるにつれて、どこか端っこのほうに置かれていた。毎年、一定の季節が来ると痒くなるのは風物詩のようなもので意識の表面にも来ていなかった。リモート会議での自分の肌を見せつけられたことによって肌という存在にとても興味をもった。アトピー性皮膚炎ではなく特に僕たち30代中盤や後半ぐらいの働き盛りの男性の肌に、だ。肌の状態は社会で生きていく上で自信に直結する。人は人に会うとき、洋服よりも靴よりも時計よりも財布よりも学歴よりも会社名よりも肩書きよりもSNSのフォロワー数よりも、まず顔を、肌を見るのだ。肌が自信に直結するのも当たり前といえば当たり前の話だ。リモート打ち合わせ中に衝動的にGoogleの検索窓に「男性肌 特徴」と打ち込んでいた。新しい扉が開いた気がした。人生初のリモート会議は最後まで上の空だった。