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僕と肌と人生と。幼児期、アトピーになり気管支喘息になり、神の存在と慈悲を夜空に願う。

肌は不思議な身体の器官だ。生きていて肌の悩みが全くなかった人っていないんじゃないだろうか。その割に常に鏡で見る機会があるからか、命に影響がなさそうだからか、あまり深刻に向き合われない器官でもある。外見にも内面にも影響を与える肌。僕は広告代理店からいきなりスキンケアをつくる会社を立ち上げた。僕と肌との向き合いの歴史を徒然なるままに書いていきたい。

アトピー。

なんだか絵本のタイトルみたいな名前だけど、そうじゃない。アトピー性皮膚炎のことだ。遺伝や体質、生活環境など様々な要因があるらしいが子どもの頃にかかる、本人に非がないという意味では貧乏くじみたいな病気である。

谷川俊太郎翻訳の絵本「スイミー」は傑作です。

アトピーは強い痒みのある湿疹や発疹が出て、痒かったり痒くなかったり、季節だったり天気だったり昼夜だったりで一進一退、一喜一憂を繰り返す病気だ。僕は夜眠れないことがよくあった。眠れぬ夜なんて書くと格好いいけど、そんなもんじゃない。思春期でも何でもない、10歳とかそんなぐらいの頃の話である。痒くて痒くて眠れないのだ。痒いから皮膚科の先生から処方された軟膏を塗る。でもすぐには効かない。だから、また掻いてしまう。僕の場合は冷たいタオルやペットボトルを患部に抑えると結構痒みがひいていた。んで、そのうち痒みと闘っている疲労で寝てしまう。朝、起きてみると掻きむしった痕あとだけが戦傷として残っている。あと汗をかくととにかく痒かった。夏のお天道様が憎かった。燦々と降り注ぐ太陽の恵みの光に、いつも悪態をついていた。今でも夏より冬のほうが好きだ。痒くないから。

痒いという感覚は怖い。痒いという感覚は掻く以外の対処のしようがない。耐えることがとても難しい生理現象だ。しかも慢性的に痒いのだからたまったもんじゃない。

掻きむしると当然だけど跡ができる。赤くなったり、赤黒くなったり重度のアトピーになるとアトピーであることが一目でわかる肌になる。僕の場合は〜中程度だったので一般的には判別しづらいかもしれないが、同じような悩みを持った方からは一発で見抜かれる。僕も同じようにアトピーの人はすぐにわかる。同じような苦しみや悩みを抱えてきたんだなと思って親近感がわく。親近感は不思議な感覚だ。ポジティブな感情だけどネガティブな理由のときのほうが強く離れ難くとても身近に感じるもの。

そしてアトピーが厄介なのは結構な確率で気管支喘息を併発する。僕もご多分に漏れず喘息を併発した。息が出来ない。喘息になると僕は普段はまったく信じていない神様にお願いをしていた。風や冷気があるといくぶん楽になるのでよく窓をあけてヒューヒュー息をしようともがいているときに夜空に向かって「神様!息をさせてください!息ができれば他に何も望みません!」と念じていた。神様は時々、仏様になったり閻魔様になったりしていた。親もよく心配しながら夜通し背中をさすったりしてくれたけど、親心と無力がとにかく切なかった。親よりも神よりも薬、だ。

痒くて痒くてしょうがないときも神様をひっぱり出しては意識をそちらにいかせようと無駄な努力を繰り返していた。薬が効いて楽になったのか悶え苦しんで疲れ切って寝てしまったのか朝になって平穏な日々が戻ると神様のことはすっかり忘れている。現金なものだ。

2022年現在、まだ神の存在は証明されていない。

アトピーに根治はない。症状をコントロールしていくだけだ。今でも夏になると僕の膝や肘は痒くなる。汗がたまりやすい箇所が弱いらしい。痒くなると辛かった夏の日差しや息苦しい夜のことを思い出す。そして昔と変わらず掻いてしまう。何十年たっても、痒いという悪魔の感覚から僕は逃れられていない。

僕がいま売り出している商品はアトピーとは一切関係のないものだ。今の僕の夢は一人でも多くの働き盛りの男性にスキンケアを通して清潔感と自信を与えてより素敵な毎日を過ごしてもらうことだから。
でも、いつかアトピーの人たちに向けたスキンケアをつくってみたい。願わくば根治できる薬を。でも、それは僕の想いの強さではなく現代医療と科学の力に頼るしかないのだろう。
先週、産まれたばかりの僕の長男がアトピーを遺伝しているかどうかはまだわからない。でも、アトピーだったら、、と思う親の気持ちになると子どものアトピーを少しでも改善、緩和できる何がしかを作りたい。そのスキンケアが何なのか申し訳ないけどまだ見えていないけど。でも、この気持ちだけはいつまでもいつまでも持っておきたい。今日もどこか同じ夜空の下、神様に慈悲を願う子どものために。それを見守る親のために。