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【自己紹介】*出家

スペインへ

九年前、
約20年間続けていた美容師を、いったん辞め、海外で暮らしてみよう!

と決意し、アジア、アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ等、過去、私が訪れた国の中で、住むなら、ヨーロッパ、スペインがいい。という謎の?魂の直感?に従い 「スペイン」へやって来た。

いつも、だいたい自分の閃きや直感を大事に、信じて楽しく生きていたし、断捨離もしてミニマムな独身自由生活だったので、決意してから、一ヶ月で自然と準備が整い、2012年の春に、旅立ちの日をむかえた。

準備した、飛行機のチケットは、もちろん
スペイン バルセロナ行き
🇪🇸

のはずだった。が、

出発の為に乗り込んだ新幹線の座席に腰をおろしたちょうどその時、旅行会社から連絡が入った。

「スペインと言う国では毎度のストライキで、

スペイン行きの飛行機が飛ばない。

加えてスペインのストライキは長いので、出発はいつになるかわからない。」

と。

すでに、成田空港へ向かう道中だったし、旅のハプニングを楽しむぐらいの余裕もあったので、他の国を旅しながら、いつか、スペインへたどり着けばいいと、その状況をポジティブに受け入れ、行き先の変更をお願いした。

「近隣国ならどこでもいいです。」


当日空席のある航空券ということで、急遽、行き先はオランダに変更になり、追加料金の支払いを済ませ、二度目のヨーロッパ旅行がスタートした。



ヨーロッパ旅行

初めてのヨーロッパ旅行は、
さかのぼること、2006年、

いつも急な、謎のひらめきと直感で、ヨーロッパ一周鉄道の旅がしたくなって、思い切って一ヶ月の夏休暇をとり、旅に出た。

フランスから、ドイツ、オランダ、ベルギー、イタリア、スペイン、イギリスと、主要な都市を無計画に、気の向くままに、散歩した。
秋が近づくヨーロッパの、冷たくなっていく風に追われながら、少しづつ南下し、スペインに着いた。

スペイン🇪🇸バルセロナ


シェンゲン条約で結ばれるヨーロッパでありながら、アフリカや、ロシア、中東、アジアからのマルチな文化も混ざり合い、どこか懐かしい港町の雰囲気と、力強く野生的で人間らしい活気があった。


著名な建築家や芸術家達が作り上げてきた、歴史的な街並みの魅力と、ラテン人の程よい適当さと気楽さ。何よりも、1年の半分がほぼ冬という、厳しさもある北国で長く過ごしていた私には、スペインの太陽と人々の明るさと、地中海性気候は、心身にとても優しくて、すぐに気に入った。

話は、後に記した
【アフリカ大陸】へとづつく。


(話はそれるがもう少し自分の歴史をさかのぼってみることにする。)

靴と旅

十代後半

アパレル関係の仕事をしていた
周囲には、オシャレに敏感で、毎日が楽しさでいっぱいの、ドロップアウトな大人達がいっぱいいたし、時代に刺激もあった。影響されて、色んな音楽も聴いたし、毎日、オシャレを楽しむことが、生き甲斐のようでもあった。その延長で美容師にもなった。好きな仕事で、どれも楽しかった。

特に、靴には、こだわりがあって、給料のほとんどを、旅と靴につぎ込んだ。と言っても過言ではない。

スペインのエスパドリーユ

エスパドリーユだって出会いは古い。

イタリア、ドイツ、イギリス、アメリカ、当時、日本に輸入されていた、あらゆるタイプの靴を試した。もちろん日本の職人の靴も。サンダル、スニーカー、革靴、ヒール、ブーツ、もう、何足も。目新しいものは何でもかんでも履いた。もはや異常

だんだん歳を重ねていくうちに、物欲は満たされていったので、ほとんど全てを断捨離できた。
日本を出家するときも、古いトレッキングシューズを履いて、リュックを背負って
その辺の山に行く感覚で出てきた。生活に必要なモノは、自分が背負える分だけでいいとさえ思っている。

それも、2011年の、大地震と大津波と、人生最大の大事故、福島原発事故が教えてくれた。



アフリカ大陸

さて、日本を出家してから、スペインのストライキのために、寄り道をしながら、ようやくスペイン🇪🇸へたどりついたわけですが、

以前のヨーロッパ旅行のように、ゆっくりと、無計画な散歩を楽しむつもりで、前回の旅では、行けなかった美術館へ行ったり、
世界中から人が集まる、イタリアのデザインウィークミラノ・サローネ や、ドイツの温泉街 バーデンバーデン、ポルシェ美術館、など気の向くままに散歩をしていたら、飽きてきた。

都市に、人間に。



そんな時、また謎のひらめきと直感が湧いた。

ライオンは?動物達は?いるはず!
マサイ族は?何してるの?


ゆっくりと、羽根を休めるつもりでいた私は、
またいつもの、純粋に湧き上がる、謎のひらめきと直感により、アフリカ タンザニアへ飛ばされる?ことになった。

アフリカ タンザニア 女一人旅

もう、半ばどうにでもなれと思いながら、
スペインの病院で予防接種をすませ、
イタリアのデザインウィークで知り合った、スペイン人のジャーナリストカメラマンの紹介で、運良く信頼できるタンザニアのガイド夫婦にコンタクトがとれ、
ダルエルサラーム空港までの迎えと、その後の移動のための車を一台チャーターしてもらった。

あとは、風まかせ、運まかせのいつもの旅

スイス経由で
ダルエルサラームを目指した
✈️









【追記】

アフリカ タンザニア マサイ族


初のアフリカ大陸、
タンザニア
🇹🇿、ザンジバルの記憶は、まだ、
整理しきれていない。何故だかわからない。

アフリカの大地は、あまりにも広過ぎて、
簡単には語れない。

ざっくり言うと、
点在するナショナルパークを移動しながらの大自然、サファリ、マサイ、サファリ、野生動物
ざんまいだったのですが。

毎日、夢かと思うような光景に、
私の脳みそが
ついていけなかったようにも感じている。
未だに夢の中
🦆

スペインでわざわざ新調したカメラも、アフリカでは、全くもって無意味な物だった。 
むしろそんなものは邪魔だった。


なので、

言葉にならないアフリカの旅の続きと私の現在を、エスパドリーユで表現しています。
よろしければご覧になってみてください。






最後までお付き合いくださいまして
ありがとうございます。
またどこかでお会いしましょう
🌍

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Miyukism🦆
アフリカからの移民と一緒に、リサイクルマッチングアプリの開発や、今後の活動に役立てたいと思います。ご協力ありがとうございます🦆