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『ラヴ・ストリート』【21】

小さな友達
 霧島エリは、家の前の道路に差し掛かったところで足を止めた。黒い車が家の近くに止まっている。曲がり角から身を乗り出して、その付近に啓太郎がいないかを確認した。
 啓太郎が学校に来てから一週間以上経過していた。直接取材に来ないのが不思議だった。啓太郎は間違いなく、エリが最後の目撃者だったことをつかんでいる。もうすでに光輝のことも調べ上げているかもしれない。そう考えると、啓太郎がいつ目の前に現れてもおかしくなかった。エリは毎日のように学校と自宅付近を警戒していた。目撃者であることを黙っていた点をつかれたら何と答えよう。できれば会いたくなかった。
 その一方で、もう取材はやめたのかもしれないという期待感もあった。このまま何も起こらないで時が過ぎて欲しい。
 その時、向かいの家に住む小学生の佑香がスキップしながら後方からやってきた。エリは、はっとひらめいた。佑香とは会えばとりあえず笑顔で挨拶する関係ではあった。しかし、下の名前は知らない。
「こんにちは」
 もちろん、佑香もきちんと挨拶を返す。
「あっ、こんにちは」
「ちょっと、お願いがあるんだけど、いい?」
「はい」
「家の前に、背の高い男の人がいないか見てきて欲しいんだけど」
「・・・ストーカーですか?」
「ううん。そんな大変なことじゃない」
「ひょっとして、お姉さんの家も、給食費滞納してるんですか?」
「えっ?」
「いいえ。余計なことを言いました」
 エリは、先日、担任教諭と教育委員会が待っていた理由が分かり、無意識に頷いた。
「何だか、あなたの家も大変そうだね」
「はい。親のせいで、私まで変な目で見られて、ものすごく迷惑しています」
 その大人びた言葉使いと、小学生らしからぬ態度に、エリは驚いた。全く抱いていたイメージと違う。
「小学生なのに、ちゃんとした敬語を使うんだね」
「外見で判断しないで下さい。私はあの家族と違いますから。じゃあ、見てきます」
 確かに、佑香のことを、あの家族の噂や印象から判断していた。エリは、いつの間にか、自分がいちばんなりたくなかった大人になりかけていた。
 佑香はゆっくりと歩いて家の前へ行き、辺りの様子をうかがって戻ってきた。雰囲気がそうさせるのか、小声で囁いた。
「別に変な人はいませんでした。でも、あそこの黒い車に男の人が乗っていました。背が高いかどうかは分かりません」
「ありがとう」
 エリはどうしようかと考えた。ここで少し待つか。時間をつぶして戻ってくるか。横には少しわくわくしたような顔つきの佑香がいる。
「ねえ、今、急いで帰ろうとしている?」
「いいえ」
「じゃあ、お礼に、たこ焼きをおごってあげる」
「気を遣わなくていいです」
「子供が遠慮しないの」
「お姉さんも子供だと思います」
「だね」
 エリは佑香と顔を見合わせて笑った。「駅前のショッピングセンターに行こう」
「はい」
 エリと佑香は並んで歩いた。不思議な連帯感があった。エリが今の家に引っ越してきた時、佑香はよちよち歩きの赤ちゃんだった。
「ねえ。名前は?」
「佑香です」
「私はエリ。その手に持ってる袋は何? さっきからずっと、いい匂いがしてる」
「ローズ・ポプリです。近くに憧れているお母さんがいて、その人からもらったんです」
「憧れているお母さん?」
「はい。白いお城のような家に住んでいて、きれいで、優しくて、お上品で。女優の新藤美由紀に似ているんです」
「それは憧れるね」
「私って、本当は、新藤美由紀の子供だと思うんです」
「えっ?」
「娘さんと同じ日に、同じ病院で生まれたんです」
「へえ。そうなの」
「私、うちの家族と全然似てないから、病院の手違いで入れ替わったんです」
 大人じみてはいるが、そういう発想をするところがやはり子供だと思い、エリはふっと笑った。
「そんなに家族が嫌いなの?」
「はい」
「私も嫌いだけど」
「えっ?」と優香は目を大きく見開き驚いていた。
「何か不思議?」
「だって、普通の家族に見えます」
「まあ、見た目はね。だからって、仲良しで、お互いを思いやってて、心が通じ合ってるとは限らないのよ。って、小学生相手に、こんな夢のない現実を語ったらだめだね」
「そんなことはありません。分かる気がします」
 エリは、佑香を連れてショッピングセンターへ入った。そして、一階フロアのフードコートでたこ焼きを一皿買って席に座った。
「六個だから、三個ずつね。はい、どうぞ」
「いただきます」
「あれ? 前に食べた時、八個入りだったような気がする」
「ああ、それは小麦粉の値段が上がっているからじゃないですか? 値段を据え置く代わりに、個数やグラム数を減らしているってテレビで言っていました」
「なるほどね」
「ニュース、大好きなんです」
 エリは真剣にニュースを見ている佑香の姿を想像してくすくすと笑った。
 佑香も自分がませた言い方をしたことが可笑しくて笑った。
「佑香ちゃんは家族のどこが嫌いなの?」
「ほとんど全部です。特に、社会常識がないところです。自己中心的で、規則や法律は全て無視します。他人に迷惑かけても平気なところが本当に嫌です」
「大人並みの厳しい目で見てるんだね」
「あと服装とかもセンスがなくて嫌です。私、こんな派手なプリントじゃなくて、お嬢様みたいなワンピースが着たいです」
「そういうところは、小学生っぽい」
「じゃあ、お姉さんは親のどこが嫌いなんですか?」
「二つ上の姉がいるんだけど、比較されるところかな。彼女、両親のお気に入りだから」
「あの人、いつも無愛想でツンツンしてますよね。昔から挨拶しても必ず無視されます」
「そういう人なの。でも、昔から父のお気に入りなのよ。姉は名前なのに、私はおまえって呼ばれてる。うちの父の口癖はナンバーワンなの」
「ナンバーワンって、一番ってことですか?」
「そう。父は昔、水泳で北海道ナンバーワンになったのが自慢なの。だから、姉が高校の吹奏楽コンクールで全道優勝した時、嬉しくて私の部屋にまで、わざわざ報告に来たくらい」
 エリは、その時のことをずっと引きずっている。幼い頃から、いろいろなことで傷ついてきたが、それは中でも強烈だった。「その時ね。私が、ああそうなのって普通の反応をしたら、殴られちゃった」
「えっ。そんなことで殴るんですか」
「そうよ。おまえはどうして、家族の名誉を自分のことのように喜べないんだって。私がバンザーイとか、大袈裟に喜んでみせなかったら、ひがんでいるように見えたのね」
「うちの親は、兄姉と比べたりしません」
「そうでしょう? しかもね。その後、鼻で笑いながらこう言われたの。家族でおまえだけだな。ナンバーワンになっていないのはって。ちなみに母も俳句の全道コンクールで大賞をとったことがあるのよ」
「全国一じゃなくて、全道一でいいんですか?」
「そこが微妙よね。どの基準に達すれば、私はおまえって呼ばれることから脱出できるのかな」
「うちは一番になれなんて言いません」
「それだけで羨ましいな。ちなみに母も違った意味ですごいよ。友達からきた手紙や携帯メールを勝手に読むんだから」
「完全にプライバシーの侵害ですね」
「そう。やめてって言っても、何か読まれて困るようなこと書いてあるの?とか言って、聞き入れてくれないのよ」
「それはひどいです」
「母の口癖は、結婚するまでは馬鹿な真似をしないで、きれいなままでいなさい 」
 女の価値が下がるから。と続きを言いそうになって、エリは失言したと思った。貞操を守るなどということを、小学生に言うべきではない。慌てて話題を戻した。「だから、どの親がいいってことはないんじゃないかな。ここがよければ、あそこが嫌」
「そうなのかな」
 佑香が、突然、敬語を使わなくなった。
「芥川龍之介の『河童』って小説、知ってる?」
「知らない」
「精神病院に入院している患者が、河童の国で体験した様々な出来事について語るお話なの」
「河童の国なんて、おもしろそう」
「その患者は、河童の子供が生まれる時に立ち会うんだけど、お父さん河童がお母さん河童のお腹(本当は生殖器だが)に口をつけて『この世界に生まれてくるかどうか、よく考えて返事しろ』って聞くの」
 佑香は、愉快そうに笑った。
「赤ちゃん本人に?」
「そう。赤ちゃん河童は、お父さん河童に遺伝的不安を感じていて『僕は生まれたくありません』って言うの。そうすると一瞬で消えちゃうのよ。人間は親の意志で生まれてくるけど、河童の世界は自分の意志で生まれてくるの」
「すごく可笑しい」
「佑香ちゃんが、お母さんのお腹にいる時に、同じことを聞かれたらどうする?」
「えっ?」
「親を見て、生まれたくありませんって答える?」
 佑香は真面目に考え込んだ。
 エリは佑香の様子にはっとした。佑香があまりにしっかりしているので、ついつい同じレベルで話をしてしまった。
「ごめん。難しいよね。こんな話」
 佑香はエリの目を見つめ、はっきりと言った。
「私は、親がどうでも、この世に生まれてきたい」
「えっ?」
「遺伝とかはあると思うけど、自分は自分だから」
 エリは佑香の毅然とした態度にものすごく驚いた。
「すごいね。そうはっきり言えるなんて。私よりずっと大人」
 佑香は照れて笑った。
「それなりに苦労してるから」
 エリは少し涙ぐんでいた。小学生の佑香が発した言葉に心を打たれていた。今まで、クラスメートにも家族の話をしたことがなかった。本心を言い合える友達もいなかった。光輝にも言えなかった。
「私、佑香ちゃんに何かすごく感動した・・・」
 エリは、この小さな友達に家族の愚痴を聞いてもらい、強く生きようと言ってもらったような気がした。不思議な感動だった。
「佑香ちゃん、そろそろ帰ろうか」
「うん。ごちそうさまでした」
 エリと佑香は席を立った。佑香はたこ焼きの皿をゴミ箱へ捨てにいった。   
 エリは、本当にきちんと躾が身についた子供だと感心した。
「また、一緒に、たこ焼きを食べようね」
「本当?」
「うん。また、エリ姉さんの愚痴を聞いておくれ」
「仕方ないなあ」
 エリと佑香は笑い合った。
 二人がスーパーから戻ってくると、家の前の黒い車はいなくなっていた。エリは、ほっとした。そして、佑香に笑顔で切り出した。
「小学校の時、ピアノの発表会で着たワンピースがあるの。よかったら着る?」
「ワンピース!」
「そう。水色で、こう白い大きな襟がついてて、下にパニエを着るからスカートがふわっと膨らんで可愛いの。お嬢様っぽい感じだから気に入ると思うけど」
「お嬢様・・・」
 佑香は想像して子供らしいうっとりした表情になった。
「あっ、エナメルの靴もあるから、それも一緒にあげる」
「いいの?」
「だって、もう着ないし。待ってて。今、持ってきてあげる」
 エリは、小さな友達へのプレゼントを取りに、家へと入っていった。

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