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『ラヴ・ストリート』【8】

バイシクル・レース
 夏目啓太郎は、国道十二号線沿いにある大型パチンコ店の前で自転車を止めた。昔ながらの派手な電飾だ。そう、本格的に強盗事件の取材を始めて三日目になる。
 実のところ、啓太郎は人生三十四年において、一度もパチンコをしたことがなかった。正直にそのことを店長に打ち明けると苦笑いをされた。啓太郎は取材をさせてもらう見返りに、少しでも売り上げに貢献しようと、とりあえず五百円分だけ玉を買い挑戦してみることにした。ジャンジャンとはいかないまでも、ジャラジャラと少しくらいは玉が出て楽しめるのかと思いきや、わずか数分で全ての玉は呑み込まれてしまった。
「想像以上につまんねえ」と、啓太郎は思わず本音を言ってしまい、振り向くとやはり店長が苦笑いをして立っていた。
「そんな短時間で、パチンコの面白さは分かりません。物事はとことん追求してみないと本質は見えてきませんよ」
 何て深いんだ! 
 頭髪は寂しいが、おそらく見た目より若いであろう店長に、啓太郎は哲学を感じた。
 このパチンコ店の近辺は、道路沿いに店や会社が建ち並び、古くからバス路線にもなっている。国道は片側二車線の主要道路で交通量もかなり多い。すぐ近くには交番と小学校がある。こんな場所で、しかも白昼堂々と強盗しようなんて誰が考えよう。相当なリスクだ。
 しかし、一年前の十月九日、強盗事件は発生した。
 啓太郎は、店の裏口、つまり国道を一本奥に入った道へ回った。意外にも人通りがほとんどない。横道からひょいと国道へ顔をのぞかせると、車がびゅんびゅんと走っている。そのギャップに犯人も目をつけたのかもしれない。
 事件はよくある(と言ってはひんしゅくかもしれないが)類のものだった。犯人は、裏口から売上金を持って出てきた従業員に拳銃を突きつけた。手錠で窓枠に繋ぎ、口を素早くガムテープでふさぐと、まんまと一千万円を奪った。金額が大きかったのは新装開店と連休明けが重なったためだ。このことを犯人は知っていたのか。犯行時刻は午後四時三分。まだ日は暮れていない。従業員の証言によると、犯人の服装は黒のウインドブレーカーの上下にニット帽、サングラスをしていた。年齢は声の感じから若い男。背丈は175センチ程度ということだった。
 啓太郎は取材初日に、店長に疑問をぶつけた。
「どうして現金輸送車が集金に来なかったんですか?」
 店長は饒舌に語ってくれた。
「現金護送サービスは結構経費が掛かるんです。うちの場合、すぐそこが銀行なもので委託していませんでした。店内には監視カメラやセンサーを設置したり、夜間の管理を警備会社にお願いしたりと、他のセキュリティは万全だったんです」
「なるほど」
 啓太郎はボイスレコーダーが内蔵されているペンを胸に挿し、メモをとりながら頷いた。
「いつもは私と従業員が二人で警戒して銀行へ入金しに行っていました。しかし、その日は想像以上に忙しくて、従業員一人で行ってもらうことにしたんです。夜でもないし、油断していました」
 そして犯人は自転車で逃走した。自転車というところが何とも憎い。足がつきにくいと踏んだのか。裏をかいた知能犯か。はたまた免許がなかっただけか。
 取材三日目の今日は自転車を用意していた。逃走経路を検証しようと思ったのだ。犯人の最終目撃情報があったのが、パチンコ店から三キロ離れた「こぐま公園」だった。そこまでの道のりを同時刻に走ってみることにした。
 啓太郎はパチンコ店裏の小道を一直線に東へ走った。警察の取材で警察犬がこの道をたどったことは把握できていた。逃走に使われた自転車は黒色。デザインや車種は特定されていない。啓太郎は犯人が出したであろうマックスのスピードに迫るべく懸命にペダルをこいだ。思ったより風が邪魔をする。スピードが落ちてくる。すぐ前を犯人が走っている感覚にとらわれた。
見えない犯人との自転車競争。
 犯人の心は何に支配されていたのだろう。そんなことを考えながら追いかける。
 大金を手にした喜び? 興奮? 犯罪に手を染めた悲しみ? 後悔? 追われる恐怖? その向こうにある別の世界? 
 次第に運動不足で悲鳴を上げ出した大腿部に全神経が集中した。意地になってレースを戦っていた。軍配はおそらく犯人だっただろう。
 啓太郎は五分程度でこぐま公園についた。自転車を降りると、足の筋肉がぶるぶると震えていた。 
 こぐま公園は四方を住宅で囲まれた中規模の公園である。一戸建てにアパート、五階建てマンション。様々な形態の住宅が煩雑に建っている。誰かの視線が犯人に注がれていても不思議ではない。しかし、窓の数だけ人が居るはずなのに目撃者はいなかった。
 啓太郎は公園名の書かれた看板近くの入り口から入った。すぐのところに小高い山がある。向こうの角にトイレ。反対側の角に砂場とベンチ。手前にブランコ、すべり台、シーソーなどの遊具がある。そこそこ立派な公園なのに子供の姿は全くない。昨日も来たが、やはり子供の姿はなかった。少子化だからなのか。塾通いの子供が増えたのか。
 犯行当日、犯人を追いかけていた警察官は、偶然ここにいた男女から、それらしき人物がさらに東へ逃走したという証言を得た。しかし、そこから足取りはぷっつりと途絶えてしまった。警察犬もこの公園で足が止まってしまった。手がかりなし。有力な情報なし。
 しかし、二日後、事件は急展開する。奪われた一千万円が手つかずで戻ってきたのだった。正確には通りかかった女子高生が道に落ちていたお金を拾って届け出た。
 その後、犯人は捕まっていない。強盗という大胆な犯行にもかかわらず、金は戻り、けが人も出なかったせいで、何となく事件は終結してしまった感があった。あの店長が事件のことを冷静に、しかも饒舌に語れるのはそのせいだ。もちろん、警察は捜査を継続しているが、士気は下がる一方だ。もうすでに風化しつつある。
 そんな中、一年後にテンションを上げているのが、啓太郎というわけだ。
 どうしても腑に落ちない。捜査線上に全く犯人らしき人物は浮かばなかった。今も全く浮かんでいない。それなのに犯人は、何故いとも簡単にお金を戻してしまったのか。
 啓太郎は公園の山の頂上に登り、四方をぐるっと見回した。木々は紅葉し、枯れ葉がカサカサと音を立てている。秋の風が吹き抜けた。夕刻になると、ぐっと気温が下がる。啓太郎は、ぶるっと身震いし襟元を押さえた。時計を見ると四時四十三分だ。
 啓太郎はポケットから手帳を出し、店長から聞いた女子高生の名前と住所を確認した。店長は一年前、お金の拾い主である彼女の家へ礼をしに出向いていた。ショートカットの真面目そうな女の子らしい。次の目的地は公園から数分の場所だ。

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