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『サイコドラマ(心理療法)』

 大堂は、メンタルクリニックに勤める臨床心理士。そこに、クライアントとして、エリート会社員の南条がやってくる。心にもやもやがあり、精神的に不安で仕方ないという。経済的にも余裕があり、仕事も順調。趣味も多彩で独身貴族を満喫している男を悩ませるものは何か? 唯一、彼を饒舌にさせる恋愛に着目した大堂は、『サイコドラマ』(心のイメージや感情を即興劇によって表現する集団療法)を提案する。恋愛をサイコドラマの中でしか表現できない不器用な大人たち。現代の晩婚化の背景にある自由と孤独。そんな男女の恋愛模様。

【登場人物】
大堂 進 (33)臨床心理士
南条健太郎(36)エリート会社員
原田冬子 (31)家政婦 
水島杏樹 (27)医療事務員

SE:サウンド・エフェクト(音響効果)
:モノローグ

  SE 大都会。ビル街の喧噪。車の騒音。

大堂M「高層ビルの屋上から、下界を眺めるのが好きだ。縮小された人間社会を傍観する。蟻のように動く小さな人間たち。なんて寂しい世界なんだ!」
    *    *    *

  SE (待合室)クラシック音楽が流れている。電話が鳴る(外線)。
    
杏樹「(受話器を取って)はい、Sメンタルクリニックでございます」

大堂M「私の名前は、大堂進。このクリニックに、カウンセリング専任の臨床心理士として勤めている。こんなご時世だからなのか、終日、予約でいっぱいだ」

杏樹「大堂先生。本日キャンセルのありました七時に、新規のクライアントを入れてもよろしいでしょうか?」
大堂「ええ。構いませんが」
杏樹「今日が始めての南条さんという方です。よろしくお願いします」
大堂「はい。わかりました」

大堂M「クライアントの相談内容は、ほとんどが仕事のストレスや人間関係だ。その他、不安症、依存症など、病的要因に繋がることもある。だからこそ、じっくりと話を聞くことが大切だと思っている」

    *    *    *  

大堂「南条健太郎さんですね」
南条「はい」
大堂「私は、臨床心理士の大堂と申します。よろしくお願いします」
南条「こちらこそ、お世話になります」

大堂M「問診票によると、南条さんは、この近くにある大手企業のサラリーマン。管理職だ。三十六歳、独身。かなり若く見える。整った顔立ちは、育ちのよさを感じさせる。皺ひとつないスーツやハンカチから、几帳 面さと清潔感が見てとれる。表情も明るくいきいきとし、一見、悩み事を抱えているようには見えない」

南条「心の中に、何かもやもやした物があるんです。不安というか、いや、疑念を抱いている感じとでも言いますか」
大堂「いつくらいからですか?」
南条「一週間くらい前からです」
大堂「その時、身の回りで、何か変わったことはありませんでしたか? 環境の変化、人事異動、仕事上のトラブル。事故を目撃したとか、何かに恐怖を感じたとか?」
南条「いいえ。全く」
大堂「親しい友人や、ご家族に何かありませんでしたか?」
南条「いいえ」
大堂「では、恋愛面ではどうでしょう」
南条「(笑って)私は、恋愛に左右されるタイプではありません。それに、今は対象になる相手もいませんし」
大堂「そうですか」
南条「まあ、だから独身なんですけど」
大堂「(笑いを受けて)恋愛ができないということではないですよね」
南条「ええ。結婚したくないだけです。だから、のめり込まない」
大堂「恋愛だけならば、いいわけですね」
南条「まぁ・・・でも、この歳になると、どうしてもゴールに結婚が見え隠れしていまして・・・それが面倒で、ここ十年くらいは楽しいというより、むしろ苦痛ですね」
大堂「どうして結婚がいやなんでしょうか。何か思い当たることはありますか?」
南条「いいえ・・・ただ、束縛されたくないというのはあります」
大堂「束縛ですか?」
南条「ええ。仕事もプライベートも自分のペースでやってきました。突然、妻や子供のためにという生活に移行できる自信がありません。所詮、わがままなんです。常に自分の時間を優先したいんです」
大堂「なるほど」
南条「人間社会は、共存ために、同調と協力、一方で自己犠牲や妥協で成り立っているのは分っているんです。でも、私には到底無理のようです」
大堂「社会が自己犠牲や妥協ではなく、愛情で成り立っているとは思えませんか?」
南条「愛は続かない。すぐ冷める。人を不安にし、時に迷わせる。だから、愛情が重要な位置を占めるとは思えません」
大堂「・・・そうですか。ご両親は、ご健在ですか?」
南条「はい」
大堂「どんなご両親ですか?」
南条「いたって普通です。平凡なサラリーマンだった父と専業主婦の母」
大堂「ご両親に不満などは?」
南条「いいえ。特にありません。今だって、結婚しろとうるさく言ったりもしませんし。むしろ、会社の上司の方がうるさいですね。体裁が悪いから結婚しろと(笑う)」

大堂M「恋愛観を語る南条さんは、実に客観的で饒舌だ。彼の心にあるもやもやは、その辺と関係しているのかもしれない」

大堂「今や四十代男性、六人に一人は独身だそうですよ」
南条「(笑って)安心するべきか、悲しむべきか。ですね」
大堂「そういう私も、独身ですが」
南条「先生は、おいくつですか?」
大堂「三十三です」
南条「ほぼ同年代ですね」
大堂「でも、南条さんとは大違いです。田舎の母は、早く孫の顔が見たいと、うるさいですよ」
南条「結婚のご予定は?」
大堂「同じく対象になる相手がいません」
南条「(笑って)先生とは、実に気が合いそうです」
大堂「(笑って)私もです。今のところは、そのもやもや、不安感だけですか?」
南条「はい」
大堂「食欲不振、頭痛、不眠など、身体的につらい症状はありませんか?」
南条「今のところは大丈夫です」
大堂「もし、症状がでるようでしたら、いつでも申し出て下さい。当クリニックの院長が医師として診察し、相応の薬を処方しますので」
南条「わかりました。今日は話を聞いていただいて何かすっきりしました。ありがとうございます」
大堂「いいえ、こちらこそ。次回もカウンセリングを希望されますか?」
南条「はい、お願いします」

    *    *    *

  SE ティーカップを置く音。

杏樹「大堂先生。お疲れさまでした。ハーブティーをどうぞ」
大堂「ああ、いつも、ありがとう」
杏樹「どういたしまして」

大堂M「彼女は受付の水島杏樹さん。切れ長の目に艶やかな黒髪。知的な感じがする女性だ。その気配りは見事で、帰り際、さりげなくハーブティーを出してくれる。今では、この香りを口にしないと仕事が終わった気がしない」

杏樹「今日も忙しかったですね」
大堂「そうだね。でも、何の抵抗なく、気軽にメンタルクリニックに足を運べるようになったというのは、いいことだと思う。日本は欧米から後れをとっていたからね」
杏樹「精神を病んでいる人みたいに思われたくないというのはありますよね」
大堂「でも、心が重いままだと、つらいからね。話を聞くだけで、すっきりして帰っていくクライアントもいるよ」
杏樹「先生が聞き上手だからです」
大堂「そうかな」
杏樹「はい。それでは、お先に失礼します」
大堂「お疲れ様。気をつけて」

    *    *    * 

大堂M「翌週。再びカウンセリングにやってきた南条さんは、やはり悩み事を抱えているようには見えなかった」

大堂「スノーボード、釣り、ギター、映画鑑賞。南条さんは、趣味も多彩ですね」
南条「どれも一人でできるからです」
大堂「そう言われるとそうですね。まあ、見方によっては、誰かが一緒でも差し支えなさそうです(笑う)」
南条「(笑って)そうですか?・・・私には考えられないです。自分の世界に入り込んで欲しくない。好きなことには没頭したいですから・・・それに余計な雑音は嫌いですし、相手に気を遣うのも面倒です。仕事以外は、何事もひとりが心地いい」
大堂「分かるような気はします」
南条「孤独が好きなんです・・・会社や外では見せないようにしてますが」
大堂「ペルソナ・・・普段は仮面をつけているわけですね」
南条「先生もそうじゃありませんか?」
大堂「否定はしません」
南条「(笑って)ですよね」

大堂M「彼の言うとおり。このカウンセリングも、仮面同士が話をしているのかもしれない。スーツ同士は、否応なしに社会的立場を優先させる・・・」

大堂「どうですか? まだもやもやとしたものがありますか?」
南条「はい。まだ、ここに」
大堂「それは、大きくなっていますか?」
南条「ええ。少しずつ大きくなっています」

大堂M「独身貴族を満喫している自由で、完璧な男を悩ませるものは何だ? プライドか? 孤独が好きなのは、寂しさの裏返しなのか?」

     *    *    *

  SE ティーカップを置く音。

杏樹「お疲れ様です。先生、ハーブティーをどうぞ」
大堂「ありがとう・・・あっ」
杏樹「はい」
大堂「水島さん、映画はひとりで行く? それとも彼と行く?」
杏樹「えっ?」
大堂「どっち?」
杏樹「(笑って)友達と行きます」
大堂「そう」
杏樹「でも、映画にもよります・・・感動大作はひとりで行くかもしれません」
大堂「どうして?」
杏樹「泣いているところを、人に見られたくないからです。いえ、逆ですね。見られていると泣けなくなるから」
大堂「人に見られていると泣けなくなるんだ」
杏樹「人の目は強烈な力を有するって、先生ならご存じですよね」
大堂「そうか・・・そうだね。視線恐怖というくらいだからな」
杏樹「人に見られていると素直に感動できないっていう人、結構いますよ」
大堂「なんか複雑だね」
杏樹「(笑って)そうですか?」
大堂「感動を分かち合いたいっていうのはないの?」
杏樹「相手との距離にもよりませんか?」
大堂「うーん。なるほど・・・」
杏樹「少しは、お役に立てましたか?」
大堂「(笑って)ああ。ありがとう」
杏樹「(ふふと笑って)お疲れさまでした」

大堂M「自分をさらけ出すのが怖いというのは、プライドの高い南条さんなら十分にあり得る・・・この時、私はあることを思いついた。『サイコドラマ』という心理療法を試してみようと」

     *    *    *

南条「『サイコドラマ』ですか?」
大堂「ええ。心理劇です。ドラマ形式を用いた集団療法で、本来はグループで、監督、主役、補助自我などを役割分担して行います。それを敢えて、私と二人でやってみませんか? まあ、簡単な即興劇と考えてさい。思ったことを台詞にするんです」
南条「ちょっと、恥ずかしいですね」
大堂「やっているうちに、慣れてきます」
南条「(照れて)そうかな」
大堂「それに意外な発見ができます。自分はこんな風だったのか。こんな風に考える人間なのかと・・・心のもやもやの原因追求ではなく、軽減に役立てばと思います」
南条「うまくいくでしょうか」
大堂「うまく演じる必要はありません。台詞もないんですから。それに、観客もいませんし」
南条「そうですね」
大堂「監督と補助自我である相手役は私がやります。主役はもちろん南条さんです」
南条「わかりました」
大堂「では、今から場面設定をします・・・目を閉じて想像して下さい」
南条「はい・・・」
大堂「南条さんは、海辺にいます。空は青く澄みわたり、雲ひとつない。太陽が波に反射し、キラキラと光っています。とてもリラックスした気分です」
南条「はい」
大堂「風が気持ちいい。潮の香りがします。南条さんは、砂浜に足を投げ出し、波の音を聴いています」
南条「・・・はい」
大堂「そして、隣りには奥さんがいます」
南条「えっ?」
大堂「そう。南条さんは、結婚しています。結婚して数年といったところでしょうか」
南条「はい・・・」
大堂「南条さんは夫という立場です。私を奥さんだと思って、話しかけて下さい・・・奥さんの名前は、南条さんが決めていただいて結構です」
南条「名前・・・じゃあ・・・冬子で」
大堂「とうこ?」
南条「冬に子どもと書いて、冬子です」
大堂「わかりました。私が冬子さんをやります・・・では、スタートします」
南条「はい・・・」

  SE 波の音がしている。

大堂「今日は、いい天気ですね」
南条「ああ。そうだね」
大堂「ところで」
(話の途中から大堂の声が冬子に変わる)
冬子「ところで、話って何? 言いたいことがあるんでしょう?」
南条「言いたいこと・・・そうだ。冬子。君、変わったよね」
冬子「えっ?」
南条「少し前から・・・そう、突然に・・・何の前触れもなく」
冬子「変わった? 気のせいじゃない?」
南条「いいや。気のせいなんかじゃない」
冬子「どこが?」
南条「全てが」
冬子「全て?」
南条「ああ。君の全てだ。服装も、髪型も、食事の好みも、習慣も、クセも・・・」
冬子「ずいぶん細かいのね」
南条「別にチェックしているわけじゃないさ。二年間、ずっと同じ日常が続いたんだ。否応なしにその変化に戸惑うよ」
冬子「戸惑う?」
南条「ああ。ずーっと、ロングのストレートヘアだったのに、突然、カラーリングをしてパーマをかけただろう」
冬子「女性は気分転換に、髪型や髪の色を変えるものでしょう?」
南条「洋服の趣味もすごく変わった。ベージュとか紺とかベーシックな色を好んで着ていたのに、ピンクとかパステル調の色になった」
冬子「(笑って)それから?」
南条「デザインだって、シンプルで機能的なものから、女性らしさを強調するものになった。それに、極めつけ。あの白いフリルつきのエプロンだよ。今までの君だったら絶対にありえない」
冬子「だめなの?」
南条「だめじゃないけど・・・それに、晩ごはんのメニューが和食から洋食中心になった。シャツと靴下のたたみ方も変わった。あと、テーブルに花を飾らなくなった。いつもコーヒーを飲んでいたのに、紅茶になった・・・毎日、机にのっていたメッセージがなくなった!」
冬子「(苦笑いして)些細なことばかりじゃない?」
南条「そうだけど。急にいろんなことが変わると気になるだろう! 今の君は、まるで別人みたいだ。二重人格だったのかと思えるほどだよ」
  
  SE 手を叩く。波の音が消える。

大堂「はい。夫の役割は終わりです。南条さんに戻って下さい」
南条「(はっと我に返って)えっ?」
大堂「わりと自然に演技できてましたよ」
南条「(苦笑いして)なんか別の世界に・・・頭だけ飛んでいったようでした」
大堂「どうでしたか? 夫の役を演じてみて」
南条「(笑って)実にくどくどとよくしゃべる夫でしたね。わざわざ海を見ながら話さなくてもいいことばかり。ベラベラと脈絡もなく、まさに文句と愚痴ですね」
大堂「海の音は、母親の胎内に通じると私は考えています。つまり、子供にかえるんです。子供は、あれこれと思ったことを素直に口にして、相手にぶつけるものです」
南条「なるほど・・・それにしても、今のはひどすぎます。ものすごく、心の狭い男でしたよね」
大堂「そう思いましたか?」
南条「ええ。細かいことをグチグチと。相手の気持ちも考えないで、自分の意見を押しつけている。本当に子供みたいだ」
大堂「あと感じたことはありますか?」
南条「こんな男の奥さんになる人はいやでしょうね・・・サイコドラマってすごいですね。見たことのない自分がいました」
大堂「新たな自己の発見が、未知なる可能性を引き出します」
南条「そうありたいものです」
大堂「では、最後に共演者、観客として、私の感想を言わせていただきます」
南条「はい」
大堂「奥さんは、そういう夫を嫌がってもいないし、鬱陶しいとも思っていない。むしろ、喜んでいるのではないでしょうか」
南条「えっ?」
大堂「無関心より、ずっと素敵なことですから」
南条「(笑って)そういうとらえ方もあるんですね」

大堂M「実はこのサイコドラマ。私としては意外な結果だった。南条さんがここまで、女々しい夫を演じるとは思ってもみなかったのだ。彼の本質が見えたようだった。いよいよ、心のもやもやの正体にたどりつけるのか・・・そして、かく言う私も、いつもの何気ない日常に変化が起こった」

杏樹「大堂先生」
大堂「ああ。水島さん」
杏樹「(早口で)お疲れさまでした。急ぎますので、お先に失礼します」
大堂「あっ、ごくろうさま・・・」

  SE (杏樹)ばたんとドアが閉まる。

大堂「えっ?・・・いつものハーブティー・・・」

大堂M「その日をさかいに、彼女はハーブティーを入れなくなった・・・いつも慌てたように帰っていく。女性は実にわかりやすい。すぐ態度に出る。どうやら恋人ができたらしい・・・」

     *    *    *
  
  SE 大堂、車を運転している(車内)。
    ビートルズの曲がかかっている。

大堂「あっ!」

  SE 車、停止する。窓が開く。

大堂「(叫んで)南条さーん」
南条「ああ。先生。先日はどうも」
大堂「今、お帰りですか?」
南条「ええ」
大堂「確か、お住まいは東札幌でしたね」
南条「ええ」
大堂「通り道なんです。乗っていかれませんか?」
南条「それではお言葉に甘えて」

  SE 車に乗る。

南条「ビートルズですね」
大堂「母が好きだったので、影響されたんです。お好きですか?」
南条「コメントしたくないな」
大堂「えっ?」
南条「私は何を隠そう(ローリング)ストーンズのファンなんです」
大堂「(笑って)なるほど」
南条「心の底では、ビートルズの才能を認め、惹かれている。しかし、ストーンズのファンである以上、それを口にしてはいけない。暗黙の掟(アンリトン・ルール)です(笑う)男って、そう言うところ頑固ですよね。両方を認めることを避けたがる」
大堂「優柔不断に見られたくないっていうのが、根本にあるんでしょうね」
南条「その点、女性は柔軟ですよね。正反対のもの両方を好きだと素直に言える」
大堂「(笑って)そうかもしれませんね・・・えっと、この辺ですか?」
南条「あっ。その角から三軒目です」
大堂「一軒家だったんですね」
南条「ええ」

  SE 車が停止する。

大堂「大きくて新しい家ですね。庭も広い」
南条「一応、将来のことを考えて買ったんです・・・向こう三軒両隣、みんな幸せそうなニューファミリーです。羨望の気持ちがわいてきて、結婚したくなるんじゃないかと思ったりしたんですが」
大堂「(明るく笑って)南条さんて、そういうところは前向きですよね・・・」
南条「気楽でいいなら結婚したいと思っているのかもしれませんね・・・サイコドラマをやってみて、ちょっとそう思いました」
大堂「その感想は、今後のカウンセリングに活かします」
南条「(笑って)そうして下さい」

大堂M「それから数日後、私は、この南条さんの家で、信じられない状況に遭遇することとなる」

  SE 大堂、運転している(車内)。
    ビートルズの曲が流れている。

大堂M「私は、久しぶりの有給休暇をもてあまし、何となく車を走らせていた」

大堂「えっ?」

  SE 車が急停止する。

大堂M「南条さんの家の庭に女性が立っていた・・・それは、サイコドラマの中で南条さんが思い描いた女性そのままだった・・・長くて先が巻かれた褐色の髪。パステルピンクのセーター。白いエプロン・・・ガーデニングをしているようだった」

  SE (大堂)窓を開ける。
    
老女「奥さーん。この花の苗、分けてもらえないかしら」
冬子「ええ。いいですよ。ちょっと待って下さいね。今、袋に入れますから」
老女「簡単でいいわよ。すぐに植えるから」

大堂M「奥さん? 今、確か・・・」

冬子「はい。どうぞ」
老女「いつも、ありがとう。近所に、お花好 きな人がいてうれしいわ」
冬子「私もです」
老女「じゃあ、奥さん。またね」
冬子「はい」

大堂N「・・・南条さんの奥さん・・・嘘だろう?・・・結婚していた?」

  SE 車を降り、足音が近づく。

大堂「あのう、突然、失礼ですが、この家の奥様ですか?」
冬子「えっ? は、はい」
大堂「冬子さん?」
冬子「私の名前をご存じなんですか?」
大堂「南条さんから聞いています・・・」
冬子「彼のお友達ですか?」
大堂「は、はい。私は大堂と言います」
冬子「そうですか・・・私のことを・・・」
大堂「はい・・・」
冬子「よろしければ、寄っていかれませんか? できたての焼き菓子があるんです」
  
  SE ティーカップを置く音。

冬子「桜の紅茶です。どうぞ」
大堂「いい香りだ。いただきます」

大堂M「結婚していたなんて・・・考えたらそうだ。独身の男が庭付き一戸建てを買うわけがない。私は、まんまと南条さんに騙されていた・・・でも、どうして、そんな肝心なことを隠していたのだろう」

冬子「(微笑んで)何か聞きたそうな顔をされていますけど?」
大堂「奥様は、もしかして・・・一ヶ月くらい前から、服装や髪型、生活習慣などを変えませんでしたか?」
冬子「えっ?」
大堂「南条さん、奥様が変わったとおっしゃっていたのですが・・・」
冬子「まぁ」
大堂「全くの別人、二重人格みたいだと」
冬子「そんなことを・・・(笑って)双子座の女はそもそも二重人格なんです」
大堂「えっ?」
冬子「悪戯が過ぎたみたいです」
大堂「悪戯?」
冬子「あんまり私に無関心なんで、故意に変えてみたんです」
大堂「えーっ!」
冬子「試したんです。気がつくかどうか・・・本当にクールで素っ気ない人ですから」

大堂M「そうか! あのサイコドラマは、本当だったんだ! 夫を演じていた南条さんの言っていたことは真実・・・妻のちょっとした悪戯があまりにも巧妙だったから、南条さんは不安になっていたんだ」

大堂「そうだったんですか・・・これで納得しました」
冬子「でも、気がついていたというのは意外でした。しかも、そのことを、お友達に話すなんて」
大堂「ごく普通の世間話の流れです。それでも気がつかなかった自分の一面を発見することになったのかな」
冬子「人と会話をするというのは、平静を装っていても、ごく自然に、本心をさらけ出しているのかもしれませんね」
大堂「そう思います。優秀で、自己分析に長けている人ほど、人には頼らず、ひとりで解決しようとする。自らを厳しく律しがちです」
冬子「確かに、彼はそうかもしれません。いえ、それなら私もですね。自分という人間がよくわかりません・・・私も本当の自分に会ってみたいです」
大堂「反対側の世界を想像して演じてみてはいかがですか」
冬子「反対側?」
大堂「ええ。現在と相反する向こう側の自分です。奥様の場合なら、逆を演じることで、夫に注目されたかった妻の立場が、冷静に見えてくるかもしれません」
冬子「じゃあ、私は、バリバリのキャリア・ウーマンを想像して、演じてみればいいんですね」
大堂「ご参考までに」
冬子「でも・・・やはり、文句ばかり言いそうです」
大堂「そうですか?」
冬子「(なりきって高飛車に)こんなにがんばっているのに、会社も上司も全然認めてくれない。どうして、男ばかりが優遇されるの? こんなことなら、さっさと結婚すればよかったわ・・・こんな感じですか?」
大堂「ええ。迫真の演技ですね」
冬子「(笑って)想像の範囲は、出ませんけど」

     *    *    *

大堂「南条さんもお人が悪い」
南条「えっ?」
大堂「結婚されていたんですね」
南条「はぁ?」
大堂「奥様に会いました」
南条「奥様?」
大堂「冬子さんですよ」
南条「(焦って)冬子って・・・」
大堂「偶然、家の前を通りかかったら、庭の手入れをしていたので、私から声をかけてしまいました」
南条「そうだったんですか」
大堂「前に南条さんがおっしゃっていた彼女の変化は、ちょっとした悪戯だったそうですよ」
南条「悪戯?」
大堂「あまりにも、南条さんが奥様に対して無関心だから、故意に別人になったように演じたみたいです」
南条「えっ?」
大堂「いつもクールで素っ気ない南条さんへの当てつけだったそうです」
南条「そうだったんですか・・・」
大堂「きっと、南条さんは、何の変わりもなく繰り返されていた日常の習慣を、自然に受け入れていたんです。それが、ある日突然、覆された。あれ? いつもと違う。急にどうしたんだ? 冬子さんに何があったんだ? と無意識のうちに心配し、疑念を抱きはじめたんです。それが、増長していって、心に作用しはじめた。不安は次第に大きなしこりになるものです」
南条「それが、このもやもやの正体・・・」
大堂「サイコドラマで演じた夫の悩み、そのままがもやもやの原因だったのではないですか?」
南条「(ふっと笑って)先生。女というのは、実に恐いものです」
大堂「(笑って)ええ。実に」
南条「先生。まだ、気がついていらっしゃらないんですか?」
大堂「えっ?」
南条「私は、独身です」
大堂「えっ?」
南条「妻も、恋人もいない」
大堂「はぁ?・・・」
南条「彼女にまんまと騙されたんですよ」
大堂「騙された?」
南条「はい」
大堂「それって・・・えっ・・・でも、あれは冬子さんですよね」
南条「確かに冬子といいます。彼女の名前は原田冬子」
大堂「事情がよく分らないのですが」
南条「彼女は、通いのハウスキーパーです」
大堂「・・・でも、ご近所の方に、奥さんと呼ばれていたような」
南条「面倒くさいので、いちいち否定しなくていいと言ってあります。それだけのことです」
大堂「サイコドラマの時、すぐに冬子さんという名前が出たので、てっきり」
南条「たまたま、身近にいた彼女の名前が浮かんだだけです」
大堂「信じられない・・・」
南条「女性にはかないません。先生の負けですよ。完敗」
大堂「そんな・・・・」
南条「ただ、彼女が、どうして先生に、妻の演技をして見せたのかはわかりません」

大堂M「この時、即座に思った・・・もしかしたら、冬子さんも、私にSOSを発していたのかもしれないと」

  SE (冬子の)携帯電話が鳴る。

冬子「はい」
大堂(電話)「先日、お会いした大堂です。南条さんに、許可をいただいて電話をしています。もし、よろしければ、もう一度会ってお話しをうかがえないでしょうか」
冬子「・・・はい。わかりました。明日の土曜日、午後からでいいでしょうか」
大堂(電話)「無理を言ってすみません」

  SE (喫茶店)ジャズが流れている。

大堂「本日はお節介な友人として来ました」
冬子「おしゃれで素敵なカフェですね」
大堂「とてもコーヒーがおいしいですよ」
冬子「こうして休日に出かけるのは久しぶりです」
大堂「そうですか」
冬子「もうご存じですよね。私は家政婦です」
大堂「どうして、奥さんのふりをしたんですか?」
冬子「(笑って)大堂さんが間違えたからです」
大堂「(苦笑いして)明らかに状況証拠がそう物語っていました」
冬子「思い込みって恐いですね」
大堂「大いに反省してます」
冬子「きっと、奥さんのふりをしたかったんです・・・あれが、私の本心かもしれません。幸せそうな主婦になって、夫のグチのひとつも言うことが」
大堂「そうでしたか」
冬子「あの時、演じてみたキャリア・ウーマンが本当の私でした」
大堂「ちょっと、混乱してきました」
冬子「二年前まで、仕事中心の生活でした。結構、出世欲に燃えていたんですよ」
大堂「失礼ですが、そんな風には見えませんでした」
冬子「でしょう? 勘違いも甚だしいです。それなのに当時は、ブランドのスーツを着てできる女を気取って、肩で風を切って歩いていました」
大堂「人は環境にあった仮面と衣装を身につけるものです。勘違いじゃないですよ」
冬子「そうですか? 結局、取引の失敗で会社に損失を与えてしまって、ジ・エンドです。はじめて挫折感を味わいました」
大堂「それで、転職をされたんですね」
冬子「ええ。仕事に対する意欲をなくしました。責任という重荷を背負うことが怖かったんです。で、行き着いたのは、家政婦を派遣する今の会社です。頭で考えるのではなく、無性に体を動かしたかったんです」
大堂「そうだったんですか」
冬子「留守中に、掃除、洗濯など家事全般をすませて帰ります」
大堂「確かに奥さんと思われるわけですね」
冬子「通い始めて一週間目に、南条さんが熱を出して早退してきたんです。その時、食事を作ったり、ちょっとした身の回りのお世話をしたんです。そうしたら、南条さんが私の料理を気に入ってくれて・・・それから夕食を作る契約をしたんです」
大堂「南条さんからの提案で?」
冬子「はい。失業したばかりで、クレジットの支払いなんかも残っていましたから、その方が、私の収入も増えるだろうという、南条さんからのご厚意でした」
大堂「厚意か・・・」
冬子「早くに父を亡くして、母が働きに出ていたものですから、こう見えて、わりと料理は得意なんです」
大堂「では、二年間、ずっと、南条さんのために食事をつくってこられたわけですね」
冬子「はい。最初は楽しかったんです・・・ 誰かのために何かするなんて久しぶりでしたから。それに、喜んでもらえているという充実感もありました」
大堂「そうですか」
冬子「私なりにあれこれ考えてインテリアを工夫したり、本を買って新しい料理を覚えたり、殺風景な庭に花を植えてみたり」
大堂「目に浮かびますね」
冬子「でも、この頃、無性に寂しくなって・・・」
大堂「寂しい?」
冬子「南条さんのこと、一方的に知りすぎてしまったんですね・・・洋服の好みや、好きなブランド。愛読書に、好きな音楽に、ちょっとしたクセや生活習慣・・・でも、南条さんの方は私のことを何も知らないんです」
大堂「そんなことはないですよ。現にあなたの変化を敏感に感じ取っていました」
冬子「でも、私の方は、その何倍、いえ何十倍のことを知っているんです・・・週末にはお会いすることが多いんですけど・・・」
大堂「なるほど、週に一度は、顔を合わせていたんですね」
冬子「ええ。たまに南条さんが早く帰宅すると、平日でもすれ違うことがありました」
大堂「そうですか」
冬子「でも、それだけなんです・・・所詮、雇われの身ですし、それ以上を望んではいけないということもわかっています。でも、無性に寂しくて・・・そろそろ引き際じゃないかと思い始めたんです」
大堂「南条さんから、何か言葉が欲しかったんですね・・・」
冬子「最後の抵抗。女の意地ですね。悪戯が過ぎました。南条さんには、今度お会いした時、きちんと謝ります。本当のことを言わなくて、すみませんでした・・・許して下さい」
大堂「悪戯が過ぎた・・・この間もそう言いましたよね」
冬子「女って、バカな生き物です」
大堂「冬子さんは、大事なことを見落としているようですね」
冬子「大事なこと、ですか?」
大堂「ええ。南条さんは、あなたのことが好きなのかもしれませんよ」
冬子「えっ?」
大堂「実は、サイコドラマというものを、南条さんに試しました。それは、とても重大な真実を教えてくれました」
冬子「真実・・・ですか?」
大堂「南条さんの想像のドラマに出てきた奥さんの名前は、冬子さんでしたよ」
冬子「えっ?・・・ただの偶然です」
大堂「きっと、そうなりたいという願望があったからですよ」
冬子「・・・それだけで・・・十分です」
大堂「あなたも、南条さんが好きなんですね」
冬子「自分でもわからないんです。ぽっかり空いた心の穴をうめるために、南条さんへの愛情を作り出して、依存していただけなのかもしれません。私のように、寂しさを感じてから恋愛する人間は、幸せになれません・・・相手は、寂しさをうめるための道具じゃないんですから・・・」

大堂M「冬子さんの目に涙が光った・・・私 は、どうやら、不器用な大人の恋愛騒動に巻き込まれていたようだった」

     *    *    *

大堂「南条さんの心のもやもや。その正体が、わかりました」
南条「何だったんですか?」
大堂「やはり、冬子さんが原因だと思います」
南条「えっ?」
大堂「ずっと、彼女が気になっていたんです。もちろん、彼女の作る料理、完璧な家事にも満足していたでしょう。テーブルに飾られた花も、帰り際に置いていくちょっとしたメッセージもお気に入りだった。でも、それ以上に、冬子さんが毎日残していく、彼女自身の香りが好きだったんです」
南条「香り・・・」
大堂「ええ。存在ですね。ところがある日突然、彼女の様子が変わった。彼女の心に何の変化があったのだろう? と無意識の中で気になりだした・・・その詳細は、サイコドラマで見事に、語っていたではありませんか」
南条「確かに、あれは事実といえば、事実ですが・・・」
大堂「南条さん。あなたは、冬子さんが好きなんですよ」
南条「えっ?」
大堂「きっと、初めて会った時から」
南条「会った時から?・・・」
大堂「ええ。そして、冬子さんも、あなたを好きです・・・冬子さん、サイコドラマの話をしたら涙ぐんでいました・・・南条さん。結婚して束縛されるのも、やきもきしたりするのも、やってみると、意外に悪くないかもしれませんよ」
南条「先生・・・」
大堂「どうですか? もやもやは?」
南条「まだあります・・・でも、これは、きっと・・・勇気、いや希望なのかもしれません」
大堂「(微笑む感じで)そうですね」
南条「きっと、これを言葉にすれば、きれいさっぱりなくなる・・・」
大堂「ええ。そう思います・・・カウンセリングは、今日で終わりかもしれませんね」
南条「はい。今まで、本当にありがとうございました」

大堂M「南条さんの背中を見送りながら、私は、自分の心にも得体の知れないもやもやがあることに気がついた・・・」

杏樹「では、先生。お先に失礼します」
大堂「あっ、水島さん」
杏樹「はい」
大堂「前みたいに、ハーブティーを入れてくれないかな? どうも調子が出なくて・・・何かこの辺がもやもやしてて・・・」
杏樹「そうなんですか?」
大堂「うん」
杏樹「わかりました・・・今 」
大堂「(遮って)違う。ハーブティーじゃない!」
杏樹「えっ?」
大堂「いつもの日常がくずされたから、不安なんだと思う」
杏樹「日常ですか?」
大堂「君がここに勤めるようになってからずっと、帰り際にいつもハーブティーを入れてくれた。それが、少し前からなくなってしまった」
杏樹「(笑って)でしたら、また明日から入れるようにしますね」
大堂「違う。いつもの日常とかじゃないんだ。きっと僕より優先する事情があることに引っかかっているんだ」
杏樹「えっ?・・・」
大堂「少しでも早く会いたいと、君を急がせている恋人の存在が気になって仕方ないんだ・・・」
杏樹「先生・・・」
大堂「きっと、ハーブティーなんてどうでもいいんだ・・・」
杏樹「(ふふと笑って)・・・ようやく薬が効いてきたみたいですね」
大堂「薬?」
杏樹「はい。あれはハーブティーじゃなくて恋の秘薬なんです」
大堂「恋の秘薬?」
杏樹「毎日ずっと、先生に飲ませ続けたのに、全然効き目がないので、使用を止めてみたんです」
大堂「えっ?」
杏樹「・・・でも、そのとたんに、効いてきたみたいです。ふふふ」

大堂M「女性は逆の逆を考え、計算して行動できる生き物だ。南条さんも、天才学者も、芸術家も、文豪も、女性にだけは振り回されるわけだ・・・そして、私も、まんまと彼女の策略にはまったわけだ・・・でも、それも悪くないか・・・」

   SE ビル街の喧噪。車の音。人々の声。

大堂M「今、地上からビルを見上げている。そう、いつも私が下界を見下ろしていたあのビルだ。そこは想像よりはるかに低かった。それよりも驚いたのは、後方に広がる空だ。なんて高いのだろう」

杏樹「大堂先生! お待たせしました」

大堂M「彼女の笑顔を見て気がついた・・・私はこの地上にいて、寂しかったのだ・・・自分が寂しいから、誰もが寂しいと錯覚していた・・・もう、あのビルの屋上に行くこともないだろう・・・」

杏樹「何を見ているんですか?」
大堂「ほら、あんなに空が青い」
             おわり
              

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