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『レシピエント』

 タカシは、深夜、意を決して巨大病院へ入っていく。恋人・夏美に謎のメッセージを残して。そして一週間後、病院の集中治療室で目を覚ます。目前では、見たこともない家族と婚約者が喜んでいる。意識を取り戻した瞬間から、タカシは、代議士・小宮山道夫のひとり息子・寛之になっていた。
 レシピエントとして、ドナーの宿命を背負った男のサスペンス劇。

 【登場人物】
 タカシ=小宮山寛之(27) 代議士(父)秘書
 済木夏美  (23)古瀬隆史の恋人
 小宮山道夫 (55)寛之の父・代議士
 小宮山久子 (54)寛之の母
 高島春香  (25)寛之の婚約者
 佐藤 元  (54)寛之の担当医
 嶋田次郎  (45)道夫の秘書
 堀川幸也  (33)道夫の秘書
 真崎 弘  (27)寛之の友人
※古瀬隆史(25)タカシとは別人(写真のみ)

○幹線道路を走る黒い高級車(夜・雨)
  激しい雨が、車体に叩きつけている。
  雨の雫が止めどなく流れる、黒色の車窓。

○同・後部座席
  車内は真っ暗だが、男三人が乗車しているのは、時々、差し込む、街灯で分かる。
  中央に座っているタカシ(顔は、はっきりと判別できない。以降も口元、指先のみで演技)携帯電話を開く。
  日付と時刻が表示されている。
(例えば)「3/14(月)0:23」。
  タカシの指先が、携帯のアドレスから「済木夏美」を選ぶ。
  
○「フォクシー・レディ」・外観(夜・雨)
   派手な看板を掲げるキャバクラ。

○同・控室
  夏美、椅子に座り、化粧をなおしている。近くにあったハンドバッグ  の中で、携帯電話が鳴っている。
夏美「ん?」
  夏美、化粧する手を止め、バッグから携帯電話を取り出し、画面を見る。
  「古瀬隆史」の表示。
  夏美、うれしそうに、電話に出る。
夏美「もしもし、隆史?」

○黒い高級車・後部座席
  携帯電話に向かい、タカシの唇が、静かに動く。
タカシ「夏美・・・・・・待ってろよ。もうすぐ自由になれるから」

○「フォクシー・レディ」・控室
夏美「えっ? 自由? どういうこと?」
  夏美、あまり深く考えずに、首をひねる。

○黒い高級車・後部座席
  タカシの口元、寂しそうにふっと笑って、
タカシ「明日になればわかるよ。じぁあな」

○「フォクシー・レディ」・控室
  通話がプツッと途切れる。
夏美「隆史? もしもし、隆史?」

○△△医大病院・外観(雨)
  巨大病院の屋上には、「△△医大病院」の看板がある。

○黒い高級車・内
運転の男「着きました」
左の男「裏口につけてくれ」

○△△医大病院・裏口・前(夜・雨)
  タカシを乗せた車が止まる。
  後部座席のドアが開き、左の男、素早く傘を開くと、車から降り立つ。
  タカシ、雨よけにジャケットを頭から被り、つづいて降りてくる。雨に濡れまいと、足早に裏口へ入っていく。

○同・裏口・内
  スーツ姿の男(後の嶋田)が待っている。タカシの背に手を回すと、病院内へと誘導し、暗闇に消えていく。

○(タカシ・夢)海辺
  タカシ、夏美と並んで、海を見ている。
  (ここではじめて、タカシの顔が明らかになる)
夏美「ねぇ、タカシ」
タカシ「ん?」
夏美「波の音って、心が落ち着くよね」
タカシ「まあね」
夏美「生まれる前から、聞いていた音だからだと思わない?」
タカシ「生まれる前?」
夏美「だって、胎児って、羊水の中にいるんでしょう? 心地よく漂いながら、ゆったりと、こんな音を聞いていたような気がしない?」
タカシ「だけど、そこは、真っ暗なんだよ」
夏美「えっ?」
タカシ「陽も差さない。光もない。何も見えない。だから、頼りなのは、母親の声だけ。それがなかったら、不安な遊泳を強いられる、闇の世界でしかないんだ・・・・・・」
  そう言った刹那、

○(タカシ・夢つづき)闇の世界
  タカシは、深い闇の世界にいる。
  遠くから、声が聞こえてくる。
  それは、次第に大きくなる。
久子(声)「寛之。寛之 」

○△△医大病院・集中治療室
  タカシ、静かに目を開ける。ぼんやりと女性の顔が見える。
  女性は久子。ガウン、キャップ、マスクを着用している。
久子「分かる? 寛之」
  タカシ、ベッドに横たわっている。
タカシM「・・・・・・誰?」
久子「お母さんよ。分かる?」
タカシM「・・・・・・お母さん?」
  久子の隣に、春香。同じく、ガウン、マスク、キャップを着けている。
春香「(涙ぐみ)寛之さん・・・・・・」
  タカシ、春香の方に、視線をずらす。
タカシM「夏美? いや違う・・・・・・」
  久子、春香、互いの手を取り、喜び合う。
久子「本当によかったわ・・・・・・」
春香「はい・・・・・・」
タカシM「こいつら・・・・・・誰だ?・・・・・・ヒロユキ?・・・・・・」
  タカシ、次第に意識がはっきりしてくる。繋がれた医療機器、モニターの音が響いている。
タカシM「ここは?・・・・・・病院?」

○(一週間後)同・病室(個室)
  タカシ、ベッドに横たわっている。
  久子、その横で、着替えを出している。
久子「もう、拒絶反応の心配もないそうよ。心臓もちゃんと機能してますって」
タカシM「心臓?・・・・・・」
  タカシ、上体を起こし、パジャマの襟元から、胸部を覗く。胸部には、手術の痕跡(ガーゼ等)がある。
久子「手術の後、ずっと昏睡状態だったから、本当に心配したのよ」
  タカシ、久子を不審そうに見ながら、
タカシ「・・・・・・あんた誰?」
  久子、驚いて、タカシを見る。
久子「えっ?」
タカシ「俺を、どうするつもり?」
久子「(怯えるように)寛之?」

○同・医局(カンファレンス・ルーム)
  医師・佐藤、カルテを見ている。
  向かい合って道夫と久子。
佐藤「脳の方は、検査しましたが、異常はありませんでした」
道夫「そうですか・・・・・・」
佐藤「一週間も昏睡状態だったわけですから、一時的に記憶が混乱しているのでしょう。まあ、焦らずに。まずは体調の回復を優先させましょう」
久子「はい」
  道夫、久子の肩に手をかけて、
道夫「私は、先生に話があるから。おまえは、先に病室へ戻っていなさい」
久子「分かりました」
  久子、立ち上がると、静かに出て行く。
  佐藤、急に横柄な態度になって、
佐藤「まあ、いろいろと準備に苦慮しましたが、結果的に成功ということです」
  道夫、紙袋を差し出す。
道夫「お手数をおかけしました。とりあえずお約束の三千万、入っています」
  佐藤、受け取り、ちらっと中を覗く。
佐藤「確かに頂戴しました」
道夫「くれぐれも内密にお願いします。家内は、何も知りませんので・・・・・・」
  佐藤、にやりとして、
佐藤「もちろんです・・・・・・」
道夫「今後も、研究費の名目で、定期的に寄付をさせて頂くつもりでおります」  
佐藤「それは、何とも有り難い」

○同・病室
  タカシ、ベッドに横たわっている。
タカシM「どうして、俺は病院にいるんだ? ・・・・・・全く記憶がない・・・・・・」
  春香、愛おしそうに、タカシを見ている。
  タカシ、春香の視線に気がついて、
タカシ「お願いがあるんだけど」
春香「(うれしそうに)何ですか?」
タカシ「鏡、貸してくンない?」
春香「はい」
  春香、ブランドもののバッグから、手鏡を取り出す。タカシの手に、やさしく自分の手を添えながら、手鏡を握らせる。
春香「はい。寛之さん」
タカシ「あんた、綺麗な手してンな」
  春香の手は白くきめ細かく、綺麗にネイルが施されている。
春香「(赤くなっている)」
タカシ「苦労知らずなんだな」
春香「えっ?」
  タカシ、渡された手鏡を、顔の前に持ってくる。自身の顔を映して、
タカシM「やっぱり、俺だ! 間違いない」
  タカシ、春香をじっと見つめる。
タカシM「この女、なぜ、俺をヒロユキと呼ぶんだ?」
  春香、見つめられ、赤くなっている。
  久子、静かに入ってくる。
久子「あら、春香さん、真っ赤になってどうしたの?」
春香「おばさま」
久子「お邪魔だったかしら」
春香「いいえ。そんな」
  道夫、大きな足音をたてて入ってくる。
道夫「気分はどうだ。寛之」
  タカシ、道夫の風貌に、警戒の目を向ける。
タカシM「このオヤジは誰だ?」
久子「お父様ったら、早くあなたに会いたくて、予定を早めて戻られたのよ」
タカシM「お父様?・・・・・・って、俺のオヤジってことか・・・・・・」
  タカシ、久子を凝視する。
タカシM「で、俺のオフクロ・・・・・・俺に家族なんかいない・・・・・・生まれてすぐに、捨てられたんだから・・・・・・」
  タカシ、春香を見る。
  道夫、春香に頭を下げている。
道夫「春香さん、本当に申し訳ない。婚約パーティーも延期になってしまって」  
タカシM「婚約?」
春香「いいえ。寛之さんが、元気でいてくれれば、それでいいんです」
久子「春香さん、ありがとう。寛之には、もったいないお嫁さんだわ」
道夫「そうだな。お父上には、今晩改めて、お詫びに伺いますから」
春香「はい。伝えておきます」
タカシM「何なんだ、こいつら。ぐるなのか・・・・・・俺を、ヒロユキというヤツに仕立て上げて、どうしようっていうんだ」
久子「寛之、相変わらす、きょとんとしたままね。大丈夫よ。一時的に記憶が混乱しているだけらしいから。すぐに思い出せるわ」
タカシM「記憶が混乱?・・・・・・俺は、タカシだ!」
道夫「早くよくなって、仕事の方にも復帰してくれよ」
タカシM「仕事?・・・・・・」

○(タカシ・回想)道路工事現場
  タカシ、ヘルメットをかぶり、掘削作業をしている。
作業員「タカシ、今日もがんばってるなぁ」
タカシ「(汗に笑顔)はいっ」

○(現在)病室
タカシM「今、記憶の断片が見えた・・・・・・」
道夫「仕事のことも、忘れてしまったのか? おまえは、私の大事な後継者だろう?」
タカシ「後継者?」
道夫「ああ。代議士・小宮山道夫のな」
タカシM「代議士・・・・・・」
久子「あなた。焦らせないで。まだ、体の方が、本調子じゃないんですから」
道夫「そうだな」
久子「記憶なんて、すぐに戻るわ。疲れたでしょう? 少し、眠るといいわよ」
  タカシ、皆のいない方に体を向け、目を閉じる。
タカシM「今にこいつら、ボロを出す」
久子「寛之、何かほしいものある?」
  タカシ、向こう側を向いたまま、
タカシ「・・・・・・写真」
久子「写真って?」
タカシ「昔の写真、見たい」
久子「あっ、そうね。そうすれば思い出すわよね。後で持ってこさせるわ」
  タカシ、眠りに落ちていく。
   
○(タカシ・夢)海・砂浜
  ぎらぎらと照りつける太陽。
  夏美、白いドレスを着て、座っている。
  タカシ、白いシャツを着、夏美のすぐ横で、仰向けに寝ている。
  タカシのシャツのボタンは外され、胸部があらわになっている。
  夏美、熱い砂を手ですくうと、タカシの胸部にさらさらと、それをこぼしていく。
  その砂は、じりじりと、タカシの胸部に痛みを走らせる。
  タカシ、胸を押さえて、
タカシ「胸が、熱い・・・・・・焼ける・・・・・・」

○(現在)病室
タカシ「うっ」  
  タカシ、胸部に痛みを感じ、目が覚める。誰もいない。
タカシ「(ぽつりと)夏美・・・・・・」
  サイドテーブル上に、アルバムが置いてある。  
  タカシ、上体を起こし、その一冊を手に取ると、急いで中を見る。
  写真の中で微笑む、タカシ。
  タカシは、確かに、道夫や久子と、写真の中に収っている。
タカシM「俺と同じ顔の男、ヒロユキ・・・・・・ひょっとして、俺は、ダミーなのか? 絶好の獲物として、ここに縛りつけられてるのか?・・・・・・思い出すんだ。俺が歩んできた人生を・・・・・・」
  タカシ、ゆっくりと、目を閉じる。

○(タカシ・回想)児童養護施設・食堂
  子供達が、大きなテーブルを囲んでいる。
  千代、大きな鍋を運んでくる。
千代「さあ、ゴハンの仕度ができましたよ」
  タカシ(小学校高学年)、うれしそうに、
タカシ「千代さんの豚汁、大好き」
千代「ありがとう。作り甲斐があるわよ」
  タカシの隣に、夏美(小学校低学年)。
夏美「でも、お肉の脂身、入れないでね」
タカシ「夏美、ダメだよ。好き嫌いしたら」

○(現在)病室
  タカシ、目を開ける。
タカシ「小さい頃の夏美だ・・・・・・」
  タカシ、ぼんやりとした後、再び、目を閉じる。

○(タカシ・回想)「フォクシー・レディ」・店内
  タカシ、高そうな酒を飲んでいる。
  夏美、悲しそうな顔をして、座っている。
タカシ「オフクロさんに引き取られて、幸せに暮らしてるんじゃなかったのかよ」
夏美「あの人。借金だけつくって、どっかに行っちゃった」
タカシ「だからって、こんな店で働かなくても・・・・・・ババアの借金、何で、娘のおまえが払うんだよ」
夏美「勝手に、保証人にされてたの」

○(現在)病室
  久子、入ってくる。
久子「起きてたのね」
  目を閉じていた、タカシ。はっと現実に引き戻される。
  アルバムが、タカシの手中にある。
  久子、それを見て、
久子「アルバム見てたの?」  
タカシ「・・・・・・ああ」
  タカシ、アルバムを再び見る。その中に、タカシと写っている千代の姿を見つける。
タカシ「(ぽつりと)千代さん?・・・・・・」
  久子、横から、アルバムを覗き込んで、
久子「まあ、寛之。千代さんのこと思い出したのね」
タカシ「えっ?」
久子「昔、ウチにいた家政婦さんよ」
タカシ「家政婦?」
久子「ええ。寛之、ものすごく懐いていたじゃない」
タカシ「えっ? 施設のおばさんじゃ」
久子「施設って、何の施設?」
タカシ「いや。何でもない・・・・・・」
  タカシ、アルバムをバタンと閉じる。
タカシM「やっぱり、俺がおかしいのか? 俺が勝手に、自分をタカシだと思い込んでいるというのか?・・・・・・でも、断片的にある記憶は確かだ・・・・・・そうだ! 夏美・・・・・・夏美に会えば、はっきりする・・・・・・」

○(数ヶ月後)小宮山邸・外観
  「小宮山」の表札。立派な門構え。

○同・寛之の部屋(二階)
  タカシ、パジャマを着、ベッドにいる。上体を起こし、部屋をまじまじと眺めている。
  十五畳はある広々とした洋室。
  デスクの他に、ソファとテーブルがある。
  書棚には、びっしりと本が並んでいる。
  パソコン、オーディオなど、あらゆる電化製品が揃っている。
タカシ「(ぽつりと)すゲー部屋だな」

○小宮山道夫事務所・内
  道夫、革張りの椅子にすわり、タバコを吸っている。
  嶋田、道夫の前に立っている。
嶋田「寛之さん、無事退院されてよかったですね」
道夫「ありがとう。例の件では、いろいろと奔走してもらって、感謝しているよ・・・・・・さすが、私の片腕。キレ者だと、つくづく感心させられた」
嶋田「お褒めにあずかりまして、光栄です」
道夫「それで、寛之なんだが、心配なんで、誰か側につけてくれないか」
嶋田「わかりました・・・・・・では、一番若い、堀川をつけます。寛之さんとは、旧知の仲ですから、話もしやすいでしょう」
道夫「そうだな」
嶋田「寛之さん、まだ、記憶の方は、戻られてないんですか?」
道夫「ああ・・・・・・でも、これは、ある意味、都合のいいことなのかもしれない」
嶋田「と申しますと?」
道夫「手術のことだけじゃなくて、自分が何の病気で苦しんでいたのかも、覚えてないんだよ・・・・・・久子にも、敢えて、そのことには触れないようにと、言ってある」
嶋田「思い出さなくていい。ということですね・・・・・・」
道夫「その方が、本人のためだろう・・・・・・ましてや、事実を知ったら・・・・・・」
嶋田「そうですね・・・・・・先生と私だけが、その重さを知っていれば・・・・・・」
道夫「ああ」
嶋田「わかりました。後はお任せ下さい」
道夫「頼りにしてるぞ」

○小宮山邸・寛之の部屋
  タカシ、ベッドに座っている。
  側に、堀川が立っている。
堀川「寛之さんの記憶が戻るまで、お側で、お仕えすることになりました」
タカシ「誰?」
  堀川、一瞬、焦って、
堀川「堀川です。今は、お父様の秘書をしていますが、大学時代は、ずっと寛之さんの家庭教師をしていたんですよ」
タカシ「ふーん」
堀川「・・・・・・まあ、焦らずに、いきましょう。何か、ありましたら、遠慮なく、私に言って下さい」
タカシM「見張り。監視係ってとこか・・・・・・俺が妙な行動をおこさないように?・・・・・・だったら、カマをかけてやる」
タカシ「今すぐに、会いたい人がいるんだけど。ここに、連れてきてくれるかな」
堀川「はい。どなたでしょう」

○小宮山道夫事務所・内
  嶋田、書類に目を通している。
  堀川、嶋田の前に立っている。
  嶋田、書類から、目を離さずに、
嶋田「済木夏美?」
  堀川、メモを見ながら、
堀川「はい。会いたいと・・・・・・何でも△△町の「フォクシー・レディ」というお店に、勤めているらしいのですが・・・・・・」
  嶋田、相変わらず、書類を見たまま、
嶋田「・・・・・・わかった。こっちでケリつけておくから。寛之さんには、店を辞めてて、行方がわからないとでも、言っておいてくれ」
堀川「はい。わかりました」
  堀川、メモを机上に置き、出て行く。
  嶋田、メモを手に取り、困ったような顔つきで腕を組む。
嶋田「(ぽつりと)済木夏美・・・・・・記憶が戻ってきているってことか? 過去を知っている人間に接触されたくないな・・・・・・」

○小宮山邸・寛之の部屋
  タカシ、ベッドに座っている。
  堀川、残念そうな表情をつくって、
堀川「済木夏美さんは、お店を辞めていて、所在がつかめませんでした」
タカシ「そう・・・・・・」
  ベッドから離れた所に、オーディオ・ラックがある。
  その前に、真崎がいる。
堀川「では、失礼します。真崎さん、ごゆっくり」
真崎「どうも」
  堀川、真崎に一礼し、部屋を出て行く。
  タカシ、堀川の後ろ姿を睨みつける。
タカシM「夏美の行方がわからないだって? ・・・・・・やっぱり、回りの奴らは、夏美に会わせないつもりだ・・・・・・」

○同・ドア前(向こう側)
  堀川、聞き耳を立てている。

○同・寛之の部屋
  タカシ、堀川の存在を感じている。
  真崎、DVDを手に取りながら、
真崎「いい映画、揃ってるな」
タカシ「毎日、退屈だから、懐かしい映画ばかり観てるよ」
真崎「懐かしいって・・・・・・映画の内容は覚えてるんだ・・・・・・」
タカシ「不思議とね・・・・・・本とか、聴いていた音楽とかは覚えてる。日常の習慣も、社会のルールも、なぜか忘れていない」
真崎「そういうのって、人間に、染みついているものなんだな」
タカシ「それなのに、いちばん、曖昧なのが、自分という存在なんだから、笑っちゃうだろう?」
真崎「曖昧じゃないだろう。こうして、ここにいるんだから」
タカシ「視覚だけを信じていいのか? 俺、同じ顔をした偽者かもしれないよ」
真崎「何、小説みたいなこと、言ってるんだよ・・・・・・今の時代、DNA鑑定があるだろう」
タカシ「そうか・・・・・・DNA」
真崎「いくら、自分が誰か分からなくなったって、鑑定してもらえば、オヤジさんやオフクロさんとの親子関係は証明される。やっぱり、おまえは、小宮山寛之なんだよ」
タカシ「・・・・・・自分が違うと主張しても?」
真崎「ああ。それに、僕も含めた回りの人間の記憶は消えない。皆が皆、おまえを寛之だという。それが、真実だとは思わないか?」
タカシ「だったら、自分の記憶だって、真実以外の何ものでもない」
真崎「個人の記憶は時として、混乱をきたすだろう? 交通事故だったり、精神的ショックだったり・・・・・・現に、おまえは、生死の境をさまよって記憶を失った」
タカシ「(はっとする)・・・・・・」
真崎「(ふっと笑って)おまえは、誰だよ」
タカシ「(真面目に)タカシ」
真崎「・・・・・・それって、何かで使ったネーム、勘違いしてるんじゃないのか?」
タカシ「(むっとして)してない・・・・・・」
真崎「(ふっと笑って)そうか」
タカシ「ところで、おまえ、誰?」
真崎「えっ?・・・・・・」
タカシ「おまえこそ、誰だよ」
真崎「(焦って)真崎弘だよ。幼稚園から大学まで、ずっと一緒だっただろう・・・・・・」
タカシ「(疑惑の目)どうして、ここにいて、俺と話をしているんだ?」
  真崎、堪えきれずに笑い出す。
真崎「さんざん話をした後に、言うなよ」
  真崎の瞳は、思いやりに満ちている。
  タカシ、穏やかな表情で、真崎の顔を見ている。
タカシM「とぼけてみせたが、こいつとは、初めて会ったという気がしなかった・・・・・・ 何故だろう・・・・・・」

○「フォクシー・レディ」・前(夜)
  夏美、客を見送りに、出てくる。
夏美「また、来て下さいね」

○向かい側のビル・横(夜)
  隠れるように、カメラを持った男(後の探偵)の手。パシャパシャと、連続してシャッターが切られる。被写体は、夏美。

○小宮山邸・寛之の部屋
  タカシ、ソファに座っている。
タカシM「ここから抜け出さなくては」
  春香、恥ずかしそうに、少し離れて座っている。
春香「今日は、顔色がいいですね」
タカシ「そうかな?」
春香「ええ」
  タカシ、立ち上がると、窓辺に行き、空を見上げる。
タカシ「真っ青な空。雲ひとつない」
  春香、追うように、背後に立って、
春香「本当ですね」
タカシ「海みたいだ」
春香「ええ」
タカシ「今、まるで、海で漂流しているみたいなんだ・・・・・・足が地に着かない・・・・・・だから、少しの風や、弱い波にさえも、流されていく・・・・・・不安な遊泳をつづけるしかない・・・・・・」
  春香、タカシの前に立ち、しっかりと目を見つめる。
春香「いつか記憶は戻ります・・・・・・私がつい ています。ずっと側にいます。だから、不安にならないで下さい」
タカシ「本当に、お嬢さん育ちなんだな」
  タカシ、春香を引き寄せ、抱きしめる。
  春香、真っ赤になっている。
タカシM「ヒロユキは、このオンナを愛していたんだろうか・・・・・・政略結婚の相手でしかないこのオンナを」
タカシ「今度、どこかに連れ出してよ」
春香「えっ?」
タカシ「退院して、一ヶ月も経つんだ」
春香「外出して、大丈夫なんですか?」
タカシ「ああ・・・・・・それに、いつも、堀川が張りついてて、息苦しいんだ」
春香「(ふっと笑って)寛之さん、目を離すと、すぐに無茶をするからです」
タカシ「ヒロユキって、そういうヤツなんだ」
春香「ええ」
タカシ「だったら、春香さんが、見張りしてくれればいい」
春香「(赤くなって)寛之さん・・・・・・」
タカシ「無茶しないから・・・・・・だめ?」
春香「ふふ・・・・・・どこに行きたいですか?」

○「フォクシー・レディ」・事務室(夜)
  嶋田、店長に金を渡している。
嶋田「連絡があっても、この店は、やめたということで」
店長「はい」
嶋田「済木夏美の方にも、念を押しておいて下さい。会わないようにと。この際、過去は断ち切ってしまいたいんです」
店長「わかりました」

○高層ホテル・レストラン(夜)
  タカシと春香、夜景を見ながら、向かい合って、食事をしている。
  通り過ぎる、男女のカップル(探偵)。
探偵(男)「あれっ? 小宮山?」
タカシ「えっ?」
探偵(男)「久しぶり!」
タカシ「(不安そうな顔をして)ああ」
春香「(不安そうに)こんばんは・・・・・・」
探偵(男)「ひょっして、小宮山、僕のこと、忘れてる?」
タカシ「ごめん。大きな手術の後で、ちょっと、記憶が曖昧なんだ」
探偵(男)「手術・・・・・・そうだったのか。大変だったんだな・・・・・・僕は、大学のゼミ友、鈴木次郎。で、妻の良子」
探偵(女)「こんばんは」
タカシ「鈴木次郎か・・・・・・何となく、いたような気がしてきたよ」
探偵(男)「何となくか。はは・・・・・・で、そちらは?」
タカシ「高島春香さん。今度、婚約するんだ」
春香「(赤くなって、うなずく)」
探偵(男)「それは、おめでとう・・・・・・そうだ。食事、終わったら、上で一杯やらないか? お祝いにごちそうさせてくれよ。それに、話していると、いろいろ思い出せるかもしれないだろう」
タカシ「・・・・・・ああ。ありがとう」
  春香、可愛らしく、
春香「寛之さん、お酒は、だめですよ」
タカシ「(笑って)ジュースにするから」

○同・バー(最上階)
  春香、探偵(女)と、カクテルを飲みながら、窓際の席で、話している。  
  少し離れて、タカシと探偵(男)。
探偵(男)「いつも、電話でしたから、はじめましてですね」
タカシ「悪いね。探偵さん。こんなところに呼び出して。しかも、芝居までさせて」
探偵(男)「いいえ。これも、仕事ですから・・・・・・早速、ご依頼の件なんですが」
  探偵(男)、セカンドバッグから、写真を数枚、取り出し、タカシの前に差し出す。それは、夏美の写真。
探偵(男)「これなんですが」
タカシ「夏美・・・・・・」
探偵(男)「間違いないようですね」
タカシ「ああ」
探偵(男)「その店で働いています。まだ軟禁状態です。裏の仕事も派手にやっている、よろしくない店のようですよ」
タカシ「やっぱり、そうか・・・・・・」
探偵(男)「どうしても、彼女に会いたいんですよね」
タカシ「お願いしたい」
探偵(男)「では、私が店に行き、彼女を誘い出します。このホテルに部屋を取ってありますから、小宮山さんは、そこで待っていて下さい。これが、鍵です」
タカシ「春香は?」
  タカシ、春香の方を見る。
  春香、かなり酔っている様子。
  探偵(女)、タカシにウィンクする。
探偵(男)「春香さんは、ご自宅まで、同僚が、送りとどけますから、ご安心下さい」

○(数時間後)同ホテル・客室
  タカシ、椅子に座り、待っている。
  インターフォン(ノック)が鳴る。

○同・ドア前
  タカシ、ドアを開ける。
  夏美、服に付いている雨を払っている。
夏美「雨、降ってきたの。どしゃぶりよ」
  タカシ、感極まって、言葉にならない。
タカシ「・・・・・・」
  夏美、タカシの顔を見て、
夏美「あれ? 部屋、間違えた?」
  夏美、ルームナンバーを確認する。
夏美「(ぽつりと)さっきの客と顔が違う」
  タカシ、夏美の顔を愛おしそうに見て、
タカシ「やっと、会えた。夏美・・・・・・」
  夏美、ものすごく驚いて、
夏美「何で、私の本名、知ってるの?」
タカシ「(ふっと笑って)何、とぼけたふりしてるんだよ。全く・・・・・・」
夏美「あなた誰?」
タカシ「えっ? 誰って・・・・・・分からないのか? よく見て・・・・・・タカシだよ」
夏美「タカシ?」
タカシ「ああ」
  夏美、ムッとして、
夏美「その話、誰に聞いたの?」
タカシ「えっ?・・・・・・」
夏美「どういうつもり?」
タカシ「・・・・・・俺を、忘れたのか?」
夏美「忘れるも何も、会ったことない」
タカシ「俺って、タカシじゃないのか?」
夏美「変な人! 私、帰る」
  タカシ、夏美の腕をつかむ。
タカシ「待って、夏美・・・・・・」
夏美「大きな声、出すわよ」
タカシ「出していいよ・・・・・・確かに俺、おかしいんだ。どうにか、なりそうなくらい」
夏美「・・・・・・」
タカシ「いつも、夏美の夢をみるんだ。いいや。確かに、夏美と過ごした記憶がある」
夏美「記憶?」 
タカシ「体の中から、どうしようもない、感情が湧いてくるんだ・・・・・・夏美を自由にしてあげないとって」
夏美「えっ?」
   ×      ×      ×
(夏美・フラッシュ)
タカシ(電話の声)「夏美・・・・・・待ってろよ。もうすぐ自由になれるから」
   ×      ×      ×
  夏美、呆然となり、
夏美「・・・・・・まさか・・・・・・隆史に、取り憑かれたとでも言うの?」
タカシ「取り憑かれた?」
夏美「知らないの?」
タカシ「えっ?」
夏美「隆史は、死んだのよ!」
タカシ「えっ!・・・・・・死んだ?・・・・・・」
  タカシ、壁を背に座り込んでしまう。
夏美「ちょっと、しっかりして」
  夏美、タカシの腕を支える。

○(夏美・回想)△△医大病院・病室
  顔を布に覆われ、横たわる隆史の遺体。
夏美「なんで?・・・・・・どうして?」  
  夏美、隆史にすがりつく。
夏美「(絶叫)隆史ー。いやーっ」

○(現在)高層ホテル・客室内  
  タカシ、下を向いたまま、頭を抱え、ベッドに座っている。
  夏美、携帯の画面を見せる。
夏美「見て。隆史の写真」
  夏美と顔を寄せ、ポーズをとっている、古瀬隆史。
  隆史は、タカシと、全くの別人である。
  夏美、さらに、数枚の写真を見せる。
  やはり、隆史が写っている。
タカシ「これが、隆史・・・・・・」
夏美「そう・・・・・・本当に、自分を隆史だって、思ってたの?」 
タカシ「うん・・・・・・」
夏美「これで、違うって分かったでしょう」
タカシM「俺は・・・・・・本当にヒロユキだったんだ・・・・・・」
  夏美、携帯の写真を見て、ポロポロと泣き出す。
夏美「隆史、心臓発作をおこしたって・・・・・・胸に大きな傷があった」
タカシ「えっ?・・・・・・」
夏美「心臓に直接、電流を流すために、メスを入れたんだって・・・・・・痛々しかった・・・・・・」
タカシ「胸に傷?・・・・・・」
夏美「でも、すぐに、そんなんじゃないと思った・・・・・・何かヤバイことに巻き込まれたのよ・・・・・・」
タカシ「ヤバいこと?」
夏美「だって、最後の電話、変だったから・・ ・・・・」
タカシ「最後の電話?・・・・・・うっ」
  刹那、タカシ、激しい胸の痛みに襲われる。胸を押さえたまま、ショックで、気を失う。

○(タカシ・夢)とある組織・事務所
  薄暗い部屋の中。雨の音がする。
  組織の男、サングラスをかけ、立派な肘掛け椅子に座っている。
  その前に立つ、タカシ。
  両脇、後方を、手下たちが固めている。
組織の男「決心は、ついたのかな?」
タカシ「本当に、夏美を自由にしてくれるのか?」
組織の男「もちろん。報酬は、一千万円だ。それと女の借金、チャラにしてやるよ」
タカシ「・・・・・・わかった。俺の腎臓、ひとつ差し出す」
組織の男「女のために、体を張れるなんて、かっこいいじゃないか。まぁ、死ぬわけでもないしな」
タカシ「ああ・・・・・・」
組織の男「じゃあ、早速、今夜あたり、逝ってもらおうかな」
タカシ「今夜?・・・・・・」
組織の男「(笑って)怖気づいたか?」
タカシ「いいや・・・・・・」
組織の男「こっちは、急いでるんだよ。何たって、先方は、死にかかってるんだからな。死んでしまったら、一銭にもならない」
タカシ「わかった。今夜、病院へ行く。その代わり、約束は、絶対に守ってくれよ」
組織の男「ああ。なかなか度胸のすわった男だ。退院したら、俺の下で働くか?」
タカシ「いや。どこかの田舎にでも行って、のんびり暮らしたい。まぁ、終わってから、ゆっくり考える。その先のことは」
組織の男「その先のこと? はっはっはっ」

○(現在)高層ホテル・客室(雨の音)
  タカシ、ベッド上、はっと目が覚める。
  額には、無数の汗が浮かんでいる。
  夏美、濡れたタオルをその額に当てて、
夏美「大丈夫?」
タカシ「俺・・・・・・」
夏美「気を失ったのよ」
タカシ「そうか・・・・・・」
夏美「もう少し、横になっていた方がいいわよ」
タカシ「ありがとう・・・・・・」
  タカシ、仰向けになり、目を閉じる。
タカシ「・・・・・・今、夢見てた」
夏美「どんな?・・・・・・」
タカシ「俺、やっぱり、タカシだった」
夏美「・・・・・・そう」
タカシ「夏美・・・・・・アンタを自由にするために、組織と取引してた」
夏美「えっ?・・・・・・」
タカシ「報酬一千万円で、アンタの借金、チャラにするって・・・・・・」
夏美「うそ・・・・・・」
タカシ「所詮、夢の話だよ」
夏美「夢かもしれないけど・・・・・・本当なの」
タカシ「どういうこと?」
  タカシ、上体を起こす。
夏美「私、親の借金、一千万円返すまで、あの店で働かなければならないの」
タカシ「えっ?・・・・・・」
夏美「隆史、いつも言ってた・・・・・・俺が、借金返して、助け出してやるからって」
タカシ「・・・・・・俺に隆史が、本当に取り憑いたというのか?」
夏美「偶然とは思えない・・・・・・」
タカシ「そうだとしたら、なぜ俺に?」
  タカシ、立ち上がると、窓辺に行き、窓ガラスをつたう雨を見る。
タカシM「俺は、ヒロユキ・・・・・・俺と隆史の接点は、どこだ? どこにあるんだ?・・・・・・さっきの夢・・・・・・」
   ×     ×     ×
(タカシ・フラッシュ)
タカシ「・・・・・・わかった。俺の腎臓、ひとつ 差し出す」
  ×     ×     ×    
(タカシ・フラッシュ)
組織の男「こっちは、急いでるんだよ。何たって、先方は、死にかかってるんだからな」
   ×     ×     ×
タカシM「先方・・・・・・俺は、確かに死にかかっていた・・・・・・」
  タカシ、夏美のもとへ駆け寄り、肩をつかむと、震える声で問いかける。
タカシ「・・・・・・隆史が死んだのって、どこの病院?」
夏美 「・・・・・・△△医大病院だけど」
  タカシ、一瞬、呼吸が止まる。
タカシ「・・・・・・それって、いつ?」
夏美「3月14日(冒頭の携帯表示の日)」
タカシM「俺が手術したという日だ・・・・・・」
  タカシ、顔面蒼白になり、静かに夏美から離れる。
夏美「何か、知ってるの?」
タカシ「いや、知らない・・・・・・」
  タカシ、うつむき、口をつぐんでしまう。
タカシM「この時、俺の中では、ある憶測が渦巻いていた・・・・・・いや、そんなことは、ありえない・・・・・・でも、そうすれば、つじつまが合う・・・・・・隆史が提供したのは、腎臓じゃない。心臓だ・・・・・・そうなのか・・・・・・俺の中に、隆史がいるのか!」
  夏美、タカシの背中を見つめて、
夏美「体は、もう大丈夫?」
タカシ「ああ・・・・・・」
夏美「私、そろそろ帰らないと。お店がうるさくて・・・・・・」
  夏美、バッグから名刺を取り出す。
夏美「名刺の裏に携帯の番号、書いてあるから。何か分かったら、連絡して・・・・・・」
タカシ「ああ・・・・・・」
  夏美、名刺をテーブルに置く。そして、部屋を出ていく間際、不安そうな顔で、一瞬、タカシの方を振り返る。    
  タカシ、夏美が出て行くとすぐに、備え付けのパソコンを開く。インターネットの検索ワードに『心臓移植』『記憶』と入力する。はじき出されるたくさんの項目。それを、一つ一つ読み、呟く。
タカシ「やっぱり、そうだったのか・・・・・・」

○(翌日)△△医大病院・屋上
  太陽が、眩い光りを放っている。
  雨上がりの街が、キラキラと輝いている。
  タカシ、フェンス際に花を手向け、合掌している。
タカシM「隆史。世話になったな・・・・・・オマエは命まで差し出したのに、夏美は、まだ鳥かごの中だったよ。オマエの無念、必ず晴らしてやるから・・・・・・本当に、ごめんな・・・・・・隆史・・・・・・」
 
○同・正門前・市道  
  タカシ、巨大な病院の建物を一瞥すると、意を決したように、歩き出す。
タカシM「臓器提供者をドナーと呼ぶのに対し、臓器移植された者を、レシピエントと呼ぶ・・・・・・そう、まさしく俺は、レシピエントだった・・・・・・」  
  太陽が、濡れたアスファルトに反射している。進む方向、正面にある太 陽からつづく、光り輝く路。
  その中を、一歩一歩、踏みしめるように歩く、タカシ。
  その姿は、路の輝きとは対照的に、黒い影として、浮かび上がる。
  黒い影の中に、タカシと隆史の姿が、一瞬、重なって見える。
タカシM「心臓移植が行われている諸外国では、多数の症例が報告されているという・・・・・・ドナーの記憶や人格が、レシピエントに現れたと・・・・・・もちろん、心臓の移植であって、脳を移植したわけではない・・・・・・細胞が記憶しているという科学的にも説明のつかない現象・・・・・・まさに俺の中で、それが起きていたのだ・・・・・・」

○(道夫・回想・三ヶ月前)△△医大病院・医局(カンファレンス・ルーム)
  佐藤、カルテや資料を机に広げている。
佐藤「こんなに早く、ご子息が、重篤に陥るとは思いませんでした」
  向かいの席に、道夫。涙ぐみ、がっくりと肩を落としている。
道夫「これから、外国へ渡り、ドナーを待つつもりで、準備していました」
佐藤「こんな状態で、外国へというのは、無理です」
道夫「じゃあ、どうすれば・・・・・・」
佐藤「もちろん、国内の臓器移植ネットワークへは、登録済みですが・・・・・・移植待機の患者は、八十人近くいるんです」
道夫「そんなに・・・・・・それじゃ、寛之は」
  佐藤、資料を道夫に提示する。
佐藤「以前にも、ご説明しましたとおり、移植には、これだけの手順をふまなければ、なりません。ここ数週間のうちにドナーが現れるのは、奇跡に近い」
道夫「奇跡・・・・・・どうにかならないんですか。先生! 金なら、いくらでも出します」
  佐藤、冷ややかに口角を上げる。
佐藤「まあ、奇跡に近いというのは、あくまでも、建前ですが」
道夫「えっ?」
佐藤「ドナーを作り出せばいいんです」
道夫「作り出す?・・・・・・」
佐藤「もちろん、正規のルートをふむつもりはありません」
道夫「・・・・・・まさか」
佐藤「私たちは、闇のルートと呼んでいますが・・・・・・」
道夫「闇のルート・・・・・・」
佐藤「そんなに危ない橋を、渡るわけじゃありませんよ」
道夫「しかし・・・・・・心臓ですよ。先生」
佐藤「餌をまけば、寄ってくる獲物はたくさんいるんです」
道夫「・・・・・・」
佐藤「知り合いに、ちょっと、役に立つ男がいましてね。こっちの条件にあった、人間を、差し向けてくれるんです」
道夫「そんなに簡単にできるんですか?」
佐藤「金のためなら、命を差し出す人間て、結構いるんですよ。表面上は病死扱いですから、誰も疑わない。すべて、この病院内で、秘密裏に、葬るというわけです」
道夫「・・・・・・いくら出せば」
佐藤「三千万で、どうでしょう」
道夫「(即答)お願いします」

○(現在)小宮山邸・ダイニング
  道夫、(三ヶ月前の)佐藤とのやりとりを思い出している。
  久子、道夫の表情に気がついて、
道夫「あなた?・・・・・・ぼんやりして、どうしたの?」
  タカシ、道夫、久子、食卓を囲んでいる。  
  道夫、現実に引き戻される。
道夫「えっ? ああ・・・・・・何でもないよ」
  タカシ、道夫をじっと見ている。
タカシM「この人は、自分の息子を助けたいがために、金を積んで、隆史の命を奪い、心臓を手に入れたんだ」
道夫「寛之、体の調子はどうだ?」
タカシ「まあまあです」
道夫「そうか・・・・・・この夏は、別荘でゆっくり、静養してくるといい」
タカシ「そうします」
道夫「その代わり、全快した暁には、私の秘書として、しっかり勤めてもらうぞ」
タカシ「はい」
道夫「これで、一安心だ」
  タカシ、口角だけで、ふっと笑う。
タカシM「僕(寛之に戻ったため、俺ではなく、僕)は、寛之であって、もはや、寛之ではない。この人は、それに気がついていない」
  タカシ、真面目な表情をつくって、
タカシ「ご心配、お掛けしました。これからは、小宮山寛之として、しっかり責任を持って、生きていきます」
久子「(涙ぐみ)手術後は、人が変わったようで、本当に心配したけど・・・・・・今の寛之、前より、ずっといい顔してる。目が輝いてる。野心に燃えてる感じがするわ」
道夫「ようやく、私に追いついてきたってことだな。これで、いつでも、政治家になれる。頼もしい後継者だ」
久子「ですわね」
タカシM「この頃から、僕は、寛之の記憶をとり戻していった・・・・・・心臓移植意外に、命を救う方法はないと宣告され、死の恐怖に怯え続けた日々を」

○小宮山家・別荘・外観
  「小宮山」の表札。広い庭を有する別荘。

○同・庭
  広い庭には、木々が茂り、芝がきれいに張り巡らされ、夏の花が咲き乱れている。
タカシM「 隆史が僕の中で呟く・・・・・・こんなに優雅で贅沢な暮らし・・・・・・いくらがんばっても、一生、手に入れる事ができなかったと・・・・・・」
  タカシ、デッキチェアに横たわっている。
  夏美、白いワンピースを着、すぐ横の芝の上に、座っている。

○同・門扉
  堀川、庭を覗き込み、携帯で話している。
堀川「例の済木夏美という女が別荘に」

○小宮山道夫事務所・内 
  電話の相手は、嶋田。苦笑いを浮かべて、
嶋田「あれだけ裏から手を回したのに・・・・・・そういうところ先生に似たんだな。はは」
堀川(声)「笑い事じゃないですよ」
嶋田「秋には、春香さんと正式に婚約するんだから、今のうち、楽しませてやれって」

○小宮山家・別荘・庭
夏美「寛之さん。お金、ありがとう。私、やっと、自由になれた」
タカシ「約束しただろう? 僕が、君を鳥かごから出してあげるって・・・・・・これからも、ずっと夏美の側にいる」
夏美「寛之さん・・・・・・私、生まれて初めて思った」
タカシ「なんて?」
夏美「(赤くなって)幸せだなって・・・・・・」
タカシ「そう思ってくれるなんて・・・・・・すごく、うれしいよ・・・・・・本当にうれしい」
  夏美、青く澄み切った空を見上げる。
夏美「太陽の光が、まぶしい・・・・・・」
  タカシ、夏美を引き寄せ、頭をやさしく撫でる。
タカシ「いい夢、一緒にみよう・・・・・・」
夏美「うん・・・・・・」
  鳥のさえずりが聞こえる。
  木々がざわめき、風が通り過ぎる。
タカシM「隆史・・・・・・おまえが生きた時間も、悲しすぎる宿命も、僕が背負ったんだ・・・・・・レシピエントとして・・・・・・」
  夏美、タカシの腕の中で、心地よい夢を見ている。
タカシM「僕は、タカシだから・・・・・・ずっと、タカシだから・・・・・・」
  タカシ、瞳を閉じたまま、木々のざわめきを聞いている。
                        完

【参考文献】(症例参考)
『記憶する心臓 ある心臓移植患者の手記』
            (角川書店)


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