『ラヴ・ストリート』【4】
パッセンジャーの憂鬱
南城光輝は、教室の窓から建設中のマンションを眺めていた。毎日着々と進む工程が面白かった。一階、二階、三階、どんどん積み上がっていく。今日からは四階部分に突入だ。まだまだ上昇していく。
光輝が通う高校は、地元ではよく知られたエリート男子校だった。大学の附属高校であったことから、通称「フゾク」と呼ばれていた。制服が一種のシンボルで、チャコールグレーのノーカラースーツはビートルズの衣装に似ていた。生徒の印象は皆似通っていて、誰もが想像する銀縁メガネの優等生タイプが多かった。その中にあって、光輝はかなり異質に見えた。天性の魅力を持っていた。女性を引きつける雰囲気があるというか、人を黙らせてしまうような仕種と眼差しを持っているというか。つまりのところ、ルックスが抜群によかったのである。身長も177センチと、そこそこ高い。よく放課後に、駅で待ち伏せした他校の女子生徒から、手紙や電話番号、メールアドレスを渡された。しかし、光輝は全く相手にしなかった。十八歳にして早くも罪な男である。
罪は、いつ消えるのだろう。一生背負っていくものなのかな。
光輝は罪について考えた。罪を犯すと罰せられる。小学生でも分かる。しかし、罪にはあらゆる形が存在する。殺人。これは絶対に許されない。一生背負っていくべきだと思う。では、強盗は? 傷害は? 窃盗は? 脅迫は? いじめは?
いつまで罪は心を支配するのだろう。罪に重い軽いは関係あるのだろうか。殺人以外は刑期を全うし、悔い改めれば終わるのだろうか。時の経過は罪悪感をどんどん薄めていくかのようにも思える。罪を犯した者の何人が後悔するのだろう。何人が懺悔の気持ちで一生を送るのだろう。そんなことばかりを考える。
あの時の自分はどうかしていたと思う。後悔しても遅かった。罪は消えない。そして、何よりも恋人のエリを巻き込んでしまった。
エリを恋人と呼んでいいのだろうか。
光輝は、エリについて考えた。知り合って一年。キスもしていない。メディアが取り上げる高校生はかなり進んでいる印象だが、現実には光輝レベルの高校生は多い。そんな中にあって、光輝同様に、この学校で少々浮いている悪友の金森は「キスは挨拶代わりだよ。俺だったら友達でもする」と豪語する。その通りだとすれば、エリは恋人ではなく友達以下だ。バレンタインデーに義理チョコすらもらえなかった。しかし、いつも手は繋いで歩く。エリは拒否しない。エリと心が通じ合っているような錯覚を起こす。錯覚はリビドーを刺激する。
エリは、いつも凛としている感じがする。あの最初で最後の説教は強烈だった。相当に応えた。ハートを打ち砕かれた。馬鹿野郎のふにゃふにゃした脳みそに効いた。ずっと引きずっている。だから、容易にキスできない。
一年前、光輝とエリは中島公園のボートに乗っていた。光輝が話の内容を他人に聞かれたくないと、ボートに乗ることを提案した。エリとは前日に偶然出会い、数分程度、会話をしただけだった。携帯電話でエリの写真を撮っていなかったら、顔を忘れていたと思われるほどわずかな時間だった。
その日は十月中旬だというのに日射しが強く、思いの外、暖かかった。ボートもその週で冬季休業に入る。きらきらと輝く菖蒲池の水面に美しい紅葉が映っていた。枯れ葉がカサカサと音を立てて舞い落ちる。鴨がユニークな動作で餌をついばんでいる。オールがさざ波を立てる。ロマンチックな光景だ。
光輝は計画がスムーズに運ぶことを確信していた。自分が優しい微笑みを浮かべれば、エリはすんなりと従ってくれる。現に前日も強引ではあったが口裏を合わせてくれた。バッグを預かってくれた。それを受け取れば終わりだった。
「昨日は、突然あんなことを頼んでしまって、ごめん。本当にありがとう。助かった」
「うん・・・・・・」
ここまでのエリは、光輝の前で頬を赤らめ恥じらう他の女子生徒と何ら変わらないように見えた。
「結構、慌ててたんだ。それで、預かってもらったバッグは?」
「家に置いてある」
「じゃあ、この後、取りに行くよ」
「うん」
光輝は優しく微笑み、ゆっくりとオールを漕いだ。エリは俯いていた。
「僕がしたことって、ばれてるよね」
「うん」
「誰にも言わないよね」
「うん」
「よかった」
「これからどうするの?」
「どこか遠くへ行って、ひとりで暮らすつもりなんだ」
まるでナルキッソスのようだった。光輝は水面に映る自分の姿を恍惚となって見ていた。本当に自分のことしか考えていなかった。
エリの膝にあった手がわなわなと震え出した。巻き添えをくらっていちばん迷惑しているのはエリなのに、光輝はその存在を完全に置き去りにしていたのだ。
「何それ」
エリはそう言うと表情を一変させた。悪いことをした子供に説教する母親のようだった。「高校生にもなって、善悪の判断もつかないの?」
「えっ?」
光輝は目を丸くした。予想外の展開だった。
「自分のしたこと、分かってる?」
エリの言葉が光輝のうわついた心にビシッと効いた。それは少し前に流行ったゲームに似ていた。一方的にたたみかけるような攻撃。そのダメージは、どんどん威力を増していく。光輝は下を向き、エリから受けるダメージをカウントしていた。
「罪の上に幸せが存在するわけないでしょう」
「うん」ダメージ50。
「あまりに考えが短絡的」
「・・・うん」ダメージ100。
光輝は母親が亡くなってから説教をされたことがなかった。惨めに感じる反面、妙な心地よさがあった。確かにダメージは受けているものの、心底反省するには至っていなかった。
「想像力がなさすぎる」
「・・・うん」ダメージ300。
「今すぐ池に飛び込んで頭を冷やしたら?」
「池・・・」ダメージ500。ゲーム・オーバー。
光輝がおそるおそる顔を上げると、エリは涙ぐんでいた。光輝は驚いた。本気で怒ってくれていたのだ。エリは涙をこらえて言葉を絞り出した。
「愛する人のために、仕方なく罪を犯すこともあると思う。でも、自分のエゴのために罪を犯すくらいなら死んだ方がいい。それくらいのプライドがないとだめ」
「プライド・・・」
「罪を人のせいにしちゃだめ。全部、自分が悪いの!」
そのとおりだった。光輝は、いつも誰かのせいにしてきた。胸が痛んだ。
エリの顔は真剣だった。今にも涙がこぼれ落ちそうだった。
「こんな馬鹿な真似をするぐらいなら言ってよ。私が一緒に死んであげるから」
死という言葉を聞いて、光輝はたじろいだ。
「死ぬなんて・・・逃げること以外、考えたことがなかった」
光輝は自分の浅はかさを恥ずかしいと思った。それと同時に、エリの存在を初めて意識した。何という女だ。真正面から、きちんとエリの顔を見た。
「君は、死のうと思ったことがあるの?」
「昨日会った時もベンチに座って考えてた。もう、死んでもいいかなあって」
エリは涙をこらえきって寂しそうに微笑んだ。
光輝は自分が馬鹿な妄想に取り憑かれていたことに気がついた。悪い夢からようやく覚めた。苦悩を抱え、孤独と闘っているは自分だけではない。
光輝は無意識のうちに涙をひと粒こぼした。エリと亡くなった母親が重なった。人に初めて弱みを見せてしまった。しかも、エリは涙をこらえたのに、自分は涙をこぼしてしまった。かっこ悪かった。一生の不覚だった。
その時に芽ばえた感情が恋なのかは分からない。エリに対するコンプレックスなのかもしれない。しかし、エリとは繋がっていたい。やはり好きなのだと思う。
エリは? 成り行き上、仕方なくつき合ってくれているようにも感じる。
光輝は、自分の一方的な感情なのかもしれないと思えば思うほど、とてもキスなんてできない。
斜め前の席にいる金森が振り向き、光輝に小声で言った。
「相変わらず、エッチなことばかり考えて、全然、授業を聞いていないな」
男子高校生の頭の中は所詮そんなものだ。罪の重さについて考えたと思ったら、ガールフレンドのことを考えている。光輝はふっと笑って返した。
「図星」
「なあ、パッセンジャーの意味って分かる?」
イギー・ポップの歌のタイトルなので、光輝は即答した。
「旅客とか乗客」
「サンキュー」
光輝は、念のため英和辞典で調べてみる。旅客、乗客、船客・・・通行人!・・・足手まとい・・・まさに、エリにとっての自分ではないか。
I'm a passenger !
そうノートに書いてみた。
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