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『ラヴ・ストリート』【27】

  デイドリーム・ビリーバー
 
南城光輝は、学校の机に頬杖をついていた。窓から差し込む日射しが暖かく、一時間目からずっと睡魔と闘っていた。現実と夢の間を行ったり来たりの不安な遊泳。それがたまらなく贅沢だと思った。退屈な授業、心を開くことがなかった友達、男ばかりのむさ苦しい進学校。どうでもよかったものが妙に愛おしかった。窓から青い空が見える。あの建設中だったマンションも、八階の高さまで出来上がってきた。周りには、雪化粧した白い街が広がっている。季節は、また冬から秋へと逆戻りした。昨日よりも、気温が十度以上も高くなったせいで、雪は音を立てて急速に解け出した。アスファルトが濡れてきらきらと光っている。何でもない景色がとても眩しかった。
 夜は一睡もしなかった。ウォッチタワーで音楽を聴き続けた。最初はここ一年のこと、そして、母が死んだ頃にまで記憶を遡って、あれこれと自分の生き様を考えた。
 天国の母は、明日、警察へ自首する息子を嘆いている。どうして、母にまで考えが及ばなかったのだろう。母の気持ちを考えたら、強盗なんてしなかっただろう。エリにボート上で説教された時の言葉が浮かんだ。
「想像力がなさすぎる」
 光輝は本当に想像力がなさすぎたと悔やんだ。自分のせいでどれだけの人を不幸にするだろう。悲しませるだろう。未来も変わってしまった。数年後、社会復帰した時、世の中は自分を受け入れてくれるのだろうか。犯罪者のレッテルを貼られたまま、もがき苦しむのかもしれない。誰からも相手にされず、孤独と闘っていかなければならないのかもしれない。そんなことを延々と考えた。そして、結論を出そうとすると、必ずエリの顔が浮かんだ。
 エリだけは違う。エリなら犯罪者を蔑むような目で見たりしない。それどころか温かく大きな愛で包んでくれる。そう考えて、恍惚となっては、打ち消すように首を振る。いや、何を血迷っているんだ。エリとはもう二度と会わない。そう。関わってはいけない。
 光輝はエリに会いたくて、助けて欲しくて、ウォッチタワーをごろごろと転げ回った。
 ラジオからモンキーズの『デイドリーム・ビリーバー』が流れた。何故かはっとした。今までは、このアイドルグループの歌に心を引かれたことがなかった。しかし、追い詰められ悶々と過ごしている現状にあって、このポップで軽快なサウンドはとても新鮮に感じられた。こんなふうに肩の力を抜いて、ティーンなりの学生生活を楽しく過ごすことができたような気がした。すぐに曲をダウンロードして何度も聴いた。
 ホームカミング・クイーン。まさに自分にとってのエリだ。
 空想にふけったことがあっただろうか。空想の中に溺れて楽しい夢をみたことが。いつも過去の忌まわしい出来事を思い出しては、嫌悪感でいっぱいになっていた。人を遠ざけては孤独にふけり、現実を恨み、運命を呪った。大金を手にし、家を出て南の島で暮らすなどというのは、空想ではなく、馬鹿げた妄想だ。自分に足りなかったのは、まさに空想で遊ぶということだった。
 お金なんて一円もいらないではないか。
 それに気がついてからは、朝まで空想にふけった。エリのことばかり考えた。エリは今横にいて笑っている。自分も笑っている。好きな音楽を一緒に聴いている。
 登校してからも、ずっと空想の世界にいた。授業を聞くふりをしながら、空想の世界の中でエリと一緒にいた。幸せだと思った。明日のことは考えたくない。
 昼食になると、前の席の金森が振り返り、机を近づけてきた。  
「今日は朝から、気持ち悪いくらい機嫌がいいな」
「そうか?」
「ああ。何か、いいことあったのか」
「まあね」
「さては彼女と」
「キスをした」
「まだそんな段階かよ」
「空想の中で」
「相当、重症だな」
 金森は光輝の食べていたコンビニ弁当に視線を向けた。「南城ってさ。母ちゃん、いないのか」
「小五の時、死んだ」
 光輝は悲壮美を漂わせて答えた。金森が踏み込んだことを聞いてきたのは初めてだった。よほど、光輝の機嫌がよさそうに見えたのかもしれない。
「やっぱ、そうだったんだ。いつもコンビニの弁当を食ってるもんな」
「でも継母はいる。すぐに再婚したから。ちなみに二十八歳、ナース」
「嘘だろ」
「本当」
「俺なら範囲だな」
 金森は腕を組み、うんうんと頷いた。
「相当ケバいけど」
「それはちょっと、苦手なタイプかも」
「初めて会った時、ひいた」
「だろうな。で、ヤンママは弁当を作ってくれないのか」
「いいや。アイツの作ったものを食べたくないんだ」
「可哀想に」
「どっちが」
「ヤンママが」
「そうか」
 光輝は思った通りの答えが返ってきて、ふっと笑った。こういうシニカルなところが金森のいいところだった。偽善者ぶらない。無理にパーソナルスペースに踏み込んでこない。適度に絡んでくれる。光輝には有り難い友達だった。学校行事や修学旅行がそこそこ楽しかったのは、金森のおかげだった。
「南城って家庭環境、複雑だったんだな」
「まあね」
「自分だけが不幸とか思うなよ」
「えっ?」
「俺んちも、ぐちゃぐちゃだから」
「そうなのか」
「ああ」
「そうなんだあ」
 光輝は思わず笑った。ほっとした笑いだった。
「人の不幸を笑うなよ」
 金森も笑っていた。
 光輝は、気がつくといつもそばにいた金森と、心を開いて話をすべきだったと思った。それと同時に、もっと金森を理解しようとすればよかったと後悔した。金森が遊び人なのは寂しいからだ。親友になれたかもしれない。
「なあ、金森。もしも、僕が犯罪者になっても、友達でいてくれるか」
「嫌だね」
「そうだよなあ」
「まあ、メル友くらいならいいぜ」
「サンキュー」
「というか、犯罪者なんかになるなよ」
「ああ」
 明日、金森は、自分が強盗犯と知ってどうするのだろう。友達でいてくれるのだろうか。
 光輝は、またいつものネガティブな自分に戻っていることに気がつき、首を振って考えまいと努めた。コンビニの弁当を見つめて、また空想の世界に戻った。
 エリと遊園地に行く。エリは朝、早起きをして弁当を作ってくれる。卵焼きがおいしくて・・・あれ? エリは料理が得意なのだろうか? 微妙だ。たぶん失敗した料理を、すまなそうに差し出すエリに、無理しておいしいと言ったりするんだ。
「南城」
「ん?」
「今日のおまえ、マジ、キモい」
 金森が口からご飯を飛ばして言った。
 その時、携帯メールの着信音が鳴った。エリからだった。
 夏目さんが分かってくれました。自首する必要はありません。 
 光輝は他人行儀な敬語のメール文に激しい胸騒ぎを覚えた。どうして、自首することをエリが知っているのだろう。エリと啓太郎の間に、何か話し合いがあったのだろうか。光輝は慌てて席を立ち、教室を飛び出した。そして、屋上へ行く階段の踊り場へ走った。人がいないのを確認してエリに電話をした。エリは携帯電話の電源を切っている。すぐさま、メールを打って送信した。
 夏目さんから自首することを聞いたの? 何を話したのか教えて欲しい。 
 光輝は少しの間、エリからの返信を待ったが、一向に来る気配がない。しびれを切らし、手帳の間に挟まっていた名刺を取り出すと、今度は啓太郎に電話をした。しかし、繋がりはするものの電話に出ない。もう一度かけたが同じだった。
 何が起きているんだ!
 光輝は教室へ戻ると食べかけの弁当を袋に入れた。
「金森。ごめん。これ、捨てておいてくれるか?」
 金森は光輝の切迫した表情に驚いていたが、すぐに笑顔で頷いた。
「おう」
「悪いな」
 光輝はカバンに教科書を詰めていた。
「先生には、早退したって言っておけばいいのか」
「早退・・・いや、退学って言っておいてくれ」
「えっ?」
「金森。今までありがとう」
「何だよ。それ。永遠の別れみたいじゃないか」
「そうだな」
「空想でキスした彼女によろしく!」
「ああ。じゃあ、元気で」
「そっちも」
 光輝は教室を走って出ていった。

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