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『ラヴ・ストリート』【1】

 本作は小説『係恋』の主人公・霧島エリと南城光輝の高校時代の物語(episode1)です。

ジャン・バルジャン命題
 夏目啓太郎は、四歳の時、初めて母の美代子に父親のことを聞いた。今から三十年前のことである。当時、住んでいたアパートの壁には、神様のポストカードが貼ってあった。幼い啓太郎は神様の髭を見て、父親を連想したのである。
「ねえ、僕のお父さんは?」
 いつ聞かれてもいいように、美代子は答えを準備していたのだろう。いや、聞かれるのを待っていたのかもしれない。本来なら困惑の表情で返答すべきところを、してやったりと笑みすら浮かべた。そして、押し入れから一冊の本を取り出した。金色で重そうな本の表紙には、明らかに日本人ではない男の絵が描かれていた。
「これがお父さん。名前は、ジャン・バルジャンって言うの」
 ジャン・バルジャンは、言わずと知れた『ああ無情』の主人公だ。今の啓太郎なら「父親がフランス人なわけないだろう!」と、すかさず突っ込むところだが、四歳の彼は妙に納得してしまった。
「これが僕のお父さんなんだあ」
 その世界名作集はオールカラー版と銘打つだけの豪華装丁で、その繊細で美しい挿絵は彫刻家の佐藤忠良によって描かれたものだった。柔らかいデッサン風の線が描く魅力的な人物と淡い色遣いは、すぐに子供の心を引きつけた。表紙の『ああ無情』の平仮名だけが読めた啓太郎は、しばらくの間、「ああの本」と言っていた。何しろ、父親が主役なのだから嬉しくてたまらない。一日に何度も「ああの本」を眺めた。幼い啓太郎は、その絵だけで満足してしまい、読んで欲しいと美代子にねだることもしなかった。
 その後、小学生になった啓太郎は話の内容を知る。
 ジャン・バルジャンは、空腹に泣く幼子たちのために一片のパンを盗む。そして、十九年もの長い間、投獄される。出所後、犯罪者に対する世間の目は冷たい。そんな中にあって唯一やさしく接してくれたのは司教だけだった。それなのに、ジャンは恩を仇で返すように司教の家から銀の器を盗んでしまう。しかし、司教はジャンを責めるどころか、あげたものだとかばうのだった。人の情の温かさを知ったジャンは、改心して善人になろうと努力するが ・・・。
 児童向けに描かれているとはいえ、ジャン・バルジャンは紛れもなく犯罪者だった。父親が犯罪者。しかし、啓太郎はショックを受けなかった。もはや絵本の主人公が父親だとは信じていなかったからだ。所詮、フィクションの世界だ。
 それにしても、美代子は明るくてユーモアのある母親である。いや、努めて演じていたのかもしれないが。だから、啓太郎は複雑な家庭環境や生い立ちに、どれほど傷ついても非行に走ることはなかった。単純明快。母から笑顔を奪いたくなかったのだ。男はいくつになっても母親が好きである。
 ちなみにポストカードの神様とは、ジョン・レノンである。啓太郎は、美代子に神様だと教えられ、小さい頃はそう信じていた。1980年、12月8日。ジョンは四十歳という若さで凶弾に倒れ、この世を去った。美代子は夕方のニュースで訃報を聞いてから泣き続けた。
「お母さんの神様がいなくなっちゃった」
 美代子の落胆した姿を見て、啓太郎も悲しくなった。美代子はジョンのアルバムを抱きしめ、『ラヴ』という曲を何度も聞いた。美代子の涙が涸れた頃、英語の分からない啓太郎までが、歌詞をごまかしながら歌えるようになっていた。
 美代子は、人間味があって憎めない、適度にいい加減な母親である。
 そんな美代子が『ああ無情』のジャン・バルジャンを、何故、父親だと言ったのか。啓太郎は、十年後に、その真意を知ることとなる。
 中二の冬だった。啓太郎が眠っていると、居間から話し声が聞こえてきた。
 美代子と話していたのは、今は亡き祖母、つまり美代子の母である。年に一度だけ、勘当同然の娘に会いにやってきた。
 夜中にする話は、秘密の匂いがする。
「本当に、良介さんの居場所は分からないの?」 
「うん・・・アメリカにいることは、確かなんだけど」
 リョウスケ。アメリカ。
 啓太郎は、それが父親の話だとすぐに察した。
「啓太郎ちゃんには、一生言わないつもり?」
「だって、事情はどうあれ、父親が銀行強盗の犯人だなんて・・・」
 銀行強盗。
 そうだったのか。本当のことを遠回しに言っていたんだ。母からの精一杯のメッセージが、ジャン・バルジャンだったのか。
 その時の啓太郎は意外と冷静だった。脳が夢の途中にあったせいかもしれない。与えられた三つのキーワードを並べているうちに、現実から遠ざかり眠りに落ちていった。
 翌日、現実に引き戻された啓太郎は、昨夜の冷静さが嘘のように取り乱した。美代子が仕事でいない合間を見計らって、写真はないかと手当たり次第に引き出しを開けた。押し入れの段ボール箱をひっくり返した。しかし、何一つ手がかりはない。仕方なく本棚でほこりをかぶっていた「ああの本」を取り出した。そして、幼い男の子ではなく、研ぎ澄まされた少年の目で本を読み返した。すぐに激しい鼓動が喉元を突き上げた。 直後、一つの命題が頭に浮かんだ。
 ジャン・バルジャンは、犯罪者である。
 前後して、大前提となる命題「犯罪者は悪人である」が浮かんだ。犯罪を犯したのだから悪人である。人生には覆せない命題がいくつも登場する。しかし、そもそも命題と呼べるのか。曖昧すぎないか。一般論に過ぎないだろう。そう思いながらも、結論の命題が、否応なしにのしかかってきた。
 故に、ジャン・バルジャンは、悪人である。
 この結論は、啓太郎を支配し続ける。じわじわと心に広がっていく。父親のことを、事件のことを知りたい。しかし、当時はインターネット検索で、すぐにぽんと事実が浮かび上がるという便利な時代ではなかった。図書館へ通い、生まれてから「ああの本」の頃までを中心に、新聞の縮小版を隈無く読んだ。しかし、リョウスケという名前の犯人が起こした強盗事件は見つからなかった。一体、どんな事件だったのだろう。銀行強盗。お金を盗んだのか。未遂に終わったのか。人を傷つけたりしたのだろうか。
 それからというものの、啓太郎は、犯罪心理学や事件関連の本に没頭した。そして、いつしか興味をひいた事件や犯罪の取材をし、独自にルポを書き始めた。
 ジャン・バルジャンは、悪人なのか。
 啓太郎は、美代子に問うことができない。母はどう感じているのだろう。自分には、半分、犯罪者の血が流れているのか。どうやって悪の衝動に歯止めをかければいいのだろう。そもそも犯罪は理性で抑止できるのか。
 啓太郎は現在、三十四歳。独身である。身長183センチ。靴のサイズは29センチ。たまに、いい男に見えることがある。大学卒業後は定職に就かず、フリージャーナリスト兼ライターを名乗っている。しかし、書籍一つ出したことがない。月刊誌に、細々と事件簿やルポを書かせてもらっている。もちろん、それだけでは生活が成り立たず、レンタルビデオ店で週四日、深夜のバイトをしている。
 札幌の街は、十月に入り、少しずつ木々が色づき始めていた。空気が夏の橙色から透明に変わった。鼻と喉の粘膜がクールミントのようにすーっと反応する。秋を感じさせる冷たい風が吹き抜ける。それでも、日中の日射しだけは、まだ体にじわじわと熱を伝えた。
 啓太郎は、今日もまたB級事件を引っさげて、父親のように慕う沢崎のもとへと向かった。さほど話題にはならなかったが、気になって仕方ない事件があった。
 一年前に起きたパチンコ店の強盗事件である。

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