2011年3月11日14時46分頃に発生した東日本大震災は、当時日本国内観測史上最大規模とされた。宮城県北部で最大震度7、宮城県、福島県、茨城県、栃木県などでは震度6強を観測している。北海道から九州にかけて震度6弱から震度1の揺れが見られたことから、ほぼ日本列島全域が揺れたことになる。また、宮城県、岩手県、福島県を中心とした太平洋沿岸部を巨大な津波が襲い甚大な被害がでている。
能登地方を最大震度7の地震が襲ったのは、東日本大震災から13年が経とうとしていた今年2024年元旦のことである。
このような自然災害の発生に伴って必要となるのが災害救助である。発災直後に即座に救助にあたるのが『ファーストレスポンダー』といわれる人たちで、そのほとんどが被災自治体の警察官、消防官、医療機関に属している。当人もまた被災者である場合が多く精神的にも肉体的にも負担を強いられることになる。
その後、自衛隊や各都道府県警察からの応援部隊が被災地に入り救助活動が本格化されるが、応援部隊による救助活動は捜索、救助、復旧に及ぶこともあり長期に渡って家を留守にすることが予想される。このような場合、被災地に赴く警察官はもとより留守を守る警察官の家族にもその影響は及ぶということを忘れてはならない。
災害救助隊として被災地に派遣され、長期に渡って家を空ける警察官の家族は「被災地救助の情報が限定的である」「生活の維持を担う必要がある(いわゆるワンオペ育児や家事など配偶者からの協力を得ることが困難である)」「家族の決定事項などを話し合い、相談することができない」などの懸案事項を抱えることになるため(一部の家族は、警察官の所与によってこれらの懸案事項を経験しているかもしれないが、このことについては別の機会に取り上げたい)彼ら警察官の家族には柔軟性があり、強い体力と精神力を備え、自立していることが求められる。
『警察官とその家族』は険しい道を共に歩む『チームメイト』のようなものである。警察官の家族であるということは、それだけで好奇の目に晒され穏やかな生活を奪われる虞もある。平時から家族を『チームメイト』としてコミュニケーションを円滑に保ち、『そのときどのような行動をとるか』ということを話し合い、自然に楽しく危機に備えておけば穏やかな生活を自らの手で守ることができる。
事前の備えとしてできることを⒈と⒉として、派遣後にすべきことを⒊として記しておきたい。家族にしか理解できない生活習慣や癖、情緒的特徴などを考慮した家族のアイデアと工夫を取り入れた『我が家の危機管理ノート』を作成してみてはいかがだろうか。困難に立ち向かう助けとなるに違いない。