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61年目の今日

おかげさまで61歳を迎えました。
この数日、頭をぐるぐるとかけめくる言葉。
『何もしなくてもただいるだけで良いんだよ。愛される存在だよ』という言葉。
他人には言えるのに、自分には言えない。

『働かざる者食うべからず』『自分は二の次。他の人の役に立ちなさい』
『自分が我慢して丸く収まるならそうしなさい』
生まれた時から刷り込まれてはいないはずなのだが、
いつの間にか何十年もの間刷り込まれていること。
簡単に手放せるはずはない。

なんだか色々としんどく思うようなものが背中に乗っかり、剥がれずにい続けているわけで、
その色々を少しでも剥がそう、自分はただ愛される存在と自分で思えるようになろう。
そんなことを思ったりしたこともあったのだけど、
取り組めば取り組むほど、戦いだよ。激戦!
幸せになるなら怖いけど、避けちゃいけないよ。
自分を見つめることが大切だよ。と言われたけど、

ジャングルのような森の中、
ひとりぼっちの寂しさと、不安と心配。
そのうち叫びたくても声が出せない状況に陥っている。

自分を知ること。
自分を大切にすること。
それがどれほど大切なことか、そんなことは知っている。
でもなんだか自分を知る旅も疲れちゃったな。

年齢に負けたとは言いたくないけど、
やはり20代のパワーは無い。
自分自身に立ち向かうには遅すぎたのかもしれない。

なら、これからはどうしたいんだ?
本来の自分で、楽しく生きていきたいんじゃないの?
君の声を聞かせてって感じ。
60年も生きてきて何してんだろうね。
何もわかっていないことがとても悲しかったり、悔しかったり。


60歳の還暦は心身ともに、自分と他人に潰されていた。
61歳は良く言えば、最期まで生きるためのスタート地点に今立っているのだろう。
さて、どういう毎日を過ごしていく?

父が亡くなった年に届いた年賀状には
今年も精一杯生きましょう』だった。
しんどくても、楽しくなくても、それしかないのだよね。
最低でもベル様とクーさんは元気に見送らないとね。

数年後とか目標や夢を考えることは苦手。
それなら数ヶ月後のことを。
精一杯生きられるような楽しいことを描いていこうと考えています。

そんなことを考えている誕生日。
私の数秘は3の子供。
子供だからって明るく飛んで遊んでいるわけじゃないよね。
私は隅っこでゲームしているくちなのよ。

こんな私ですが、今後ともお付き合いくださいね。


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