何もない場所はない。
北海道の東側、知床・網走を旅した。
「この世の果て」「世界の終わり」と比喩される野付半島
私はここでエネルギーを貰った。
店も家も、農地もない、そんな道をしばらく進む。
車を止めさらに30分歩いた。
長い時間かけて作られた砂嘴のトドマツ林が、海水面の上昇や砂嘴の沈降によって海水を被り、枯木群に変化したと考えられている場所。枯木群は更に朽ちていくことで、塩湿地に置き換えられていく。
そんな、自然が生み出す大きな流れの中に吸い込まれたようだった。
コンビニもスーパーもない。
服はどこで買う? 本は? 家電は? と最初は不思議でいっぱいだった。
けれど、そこにはそこの暮らしがあった。
当たり前にあって、それがないといけないと思っている物も、一度手放してみると案外なくても大丈夫だったりする。
自分の中に新しい価値観が生れる。そして、馴染んでゆく。
今、自分が知っている世界が全てじゃない。
今の自分が想像できない場所がある、暮らし方がある、生き方がある。
何もない場所、そう表現される場所。
けれど、何もないわけではない。
街中にいると、私たちが生きる場所は全て、私たちが生活するために造られている。それが当たり前になるから、何にも使われていない土地を見て、何もない場所と言いたくなる。
本来、私たちが住む場所は、私たちが生きるためにつくられたわけではないということを、忘れてはいけないと感じた。