考えがまとまらない最近のこと。
最近、切れはしの更新をサボっている。
日々思うことはあるのだけれど、考えがまとまらないな、と思いながらねむり、また朝が来る。
リセット癖の強いわたしは、寝て起きると割となんでも忘れてしまえる便利な頭を持っていて、365日365回リセットできることに感謝して、またいちにちが始まる。
新しい仕事に就いて2ヶ月、まだまだ慣れられそうにない。お給料をもらいながら学ばせてもらえる環境に感謝しつつも、”こんなことも知らずに生きてきたのか”と絶望する日も少なくない。調子のいい日は”新しく知ることが楽しい!”モードにもなれるけど。
アウトプットをサボると良くないなあと思うので、取り留めも無い最近のことを、つらつらと。
6月1日(月)
久しぶりに出勤した。1日に3つも打ち合わせが入っていて、すごく疲れた。
というのも、商談に飛び交っている言葉や概念についていけなくて、みんなが「それいいね!」と言っているところで「何がいいんだろう?」となってしまうのが本当に情けなかった。一刻も早く、アパレル用語とビジネスモデルを理解して、こちらから提案できるレベルにならなければ、と思っている。プロとして商談に上れるレベルにならなければ。焦る。
この日から都立高校は、学校が再開になった。わたしの元勤務校や元々勤務校も分散登校を実施しているらしかった。元同僚から話を聞くに、ZOOMで授業をやっていたところ、機器がない生徒に配慮して全くオンライン授業を行わなかったところ、Classiやgoogle classroomなどを活用してやり取りしていたところ、など実態は様々、個人的には「ない側」に合わせて何もしないのはどうなんだろうなと思ったりしていた。
元生徒を名乗る人から、インスタにもTwitterにも「あなたのアカウントは生徒に特定されているので鍵をかけた方が良いですよ」というアドバイスをもらった。教員時代に、SNSの取り扱いについてきちんと指導してこなかったことを後悔した。
ちなみに、わたしは高校卒業した瞬間から母校の教員たちとFacebookで友達になった。震災のボランティアも一緒に行った。何が言いたいかというと、隠すことは何もないので、繋がりたいのであればこちらが誰か把握できる本名のアカウントでコメントして欲しいということだけだ。フェアじゃないので。
匿名のネットの海に逃げ込むように日本中に友達を作ってどうにか思春期の憂鬱をやり過ごしたわたしが言えるようなことじゃないのかもしれないけれど。
6月2日(火)
この2ヶ月、気を紛らわせるのにぴったりな娯楽が本と映画だったのだけれど、今思えば友人に会えない分、小説や映画で他人の物語を追体験したかったんだろうなと思う。テキストと対話するなんてそんな、崇高なものじゃない。
そろそろマンガが読みたいなと思い、購入していたのに読んでいなかった『ブルーピリオド』を読み始めた。なんで今まで読んでなかったんだろう、という気持ちと、今このタイミングで読めてよかったなという気持ちと。今後何回でも読み返すであろうマンガになった。
ひょんなことから美術の道に進むことを決意し、高2から美術を学び始めて芸大受験を考える主人公の矢虎。すごく努力家であるだけでなく、自分の弱みに気づく力や自分で考える力がきちんとついていて、空気も読めるし要領も頭もいい。もちろん一人でそれらができるようになっていくのではなく、きちんと指導してくれるプロの先生や、周りのユニークな友人たちのおかげで成長していく。
わたしはこの、主人公に元気をもらいながらも、周りのプロの教師たちから大きな刺激をもらった。仕事をする以上は、自分の担当する範囲のプロであらなければ、と思っている。まだまだ道のりが遠そうで焦るばかりだ。その点で、このタイミングでこのマンガを読めてよかったなと思う。
好きなセリフもコマもいっぱいあるんだけど、最近一番参考になったのはこれ。
「ここにあるモンみーんな誰かが考えて作ってんねんやろ?そしたらコンビニも美術館みたいなモンやん」
確かに。街中に溢れているすべての看板もロゴも商品のパッケージデザインも陳列方法も、すべて人のアイディア力が働いてる。誰かが考えて作ってる。当たり前のことなんだけど、改めて気づくと本当に面白くて、街中のすべてのものに誰かの意志が働いてるんだって思うとワクワクする。
6月3日(水)
AMを読んで気になっていた、『わたしに無害なひと』という本が届いたので、一つ目の小話を読んでみる。
転職して2ヶ月、最近は日々「なんのために生きてるんだろうな」「なんでこの仕事をしてるんだろうな」「てかわたしって何?」みたいな、答えの出ない問いをぐるぐるし続けている。すると、いつもどこかでどうしても避けられない問題にぶつかって、その問題の中ではわたしは圧倒的に「被害者」なのだった。フェミニズムについての話も、どこかでちゃんとまとめたい。
SNSの誹謗中傷が明るみに出て話題の中心になり、被害者側からのあれこれが明るみになる中、このコラムを読んだ。仕事で韓国の若者について少し触れていることもあり、韓国文学は今わたしの中で一つ気になるポイントでもある。
さて、わたしは100%加害者ではないと言い切れるだろうか。教員をやっていた時、「ほんとたまーに、めちゃくちゃな勢いで刺して来る時ありますよね。しかもそれに気づいてないところも怖いし」と生徒から言われたことがあって、きっとわたしは、無数に無自覚のうちに人を傷つけてきたのだろうと思う。受け取った側が傷ついたと感じたらそれはいじめだし、それはすべてが推し量ることのできない・時には対処使用のないことだとしても、言葉の振り回し方には気を配らなければいけない。読み終えたら、また纏めようかな。
6月4日(木)
今日の打ち合わせで知り合った方が、初めましてなのに入浴剤をくれた。こういう気遣いが嬉しくて、周りを思いやって、きっとこうしてもらったら嬉しいだろうなということを先回りする、ギブの人になりたいと思った。
ここ3日間、こんなに暑いのにふくらはぎがパンパンで、疲れが取れないので半身浴をしていた。マッサージしたり、ストレッチしたり、いつもより念入りにやってみてはいるけれど、あまり改善されない。運動不足が原因かしら。
半身浴中に観ていた『きみの鳥はうたえる』という映画を見終わった。今週はどうも立て続けにフィクションを摂取していないと耐えられない精神状態のようだ。(まあ、見る元気があるだけマシなのかもしれない)
映画の中で繰り返される、男女三人でクラブに行ったり、お酒を片手にダーツしたり、そういうぬるいひと夏の淡い思い出みたいなの、今だからこそすごく貴重で、異世界に映った。いつになったら、同じバンドがだいすきな人たちとお酒を片手に音楽に揺られる世界が戻ってくるんでしょうね。
6月5日(金)
今日は出社ではなく、別の場所に現地集合だった。市場調査も兼ねて、色々とお店を見てみたけれど、平日の昼間なのに意外と街中に人が戻ってきていて、「結構人が戻ってきてるなあ」というありきたりな感想を持った。
キャッチの人たちが、ありとあらゆる事情でキャッチをしていて、いつもなら耳を貸さない(というか音楽に没頭していて気がつかない)のだけれど、あえてイヤホンを外して街を歩いてみる。
新しいアプリ開発のためのアンケート依頼だったり、カットモデルの依頼だったり、デジタル化できなくもないけれどやはり情報を足で稼ぎたい人たちがわんさかいて、頑張ってくださいね、と思いながら受けたり断ったりした。
一つ仕事を終えた後、どこで仕事をするか迷っていた。今の会社は、割と自由なところが大きくて、上長の指示に従わなくてはいけない部分もあるものの、リモートワークの間や市場調査中は自己裁量で仕事を進められる。ということは自分で全部組み立てていかなければいけないということであって、今まで随分と思考停止していたわたしは、これからどうしようかなあと困ってしまった。
集中できる場所や、ペースなど、早く把握してうまくやっていきたいな。とりあえずわかっていることとしては、紙とペンが最強ってことと、広い机が欲しいこと、ぐらいだ。
6月6日(土)
ファッションにまつわる仕事を2ヶ月やっていて、気づいたことがある。まあ薄々気づいてはいたんだけど、私服がダサすぎる。近々編集長に会う機会が設けられており、そこに着ていく服がない。職場の人は「なんでもいいよ〜」と言うけれど、なんでもいいわけがない。無理してよく見せる必要はないのだが、最初の印象がすごくダサいと説得力も低いし、どうにかしなければ。
と思って、”デートに着ていける服(つまり服単体で超気に入ってるやつ)と、編集長に会える服以外は捨てる!”と張り切ってみたところ、マジで服が残らない。
アラサーとはいえいつでも可愛いがいちばん嬉しいし、フェミニン可愛いのがいちばん可愛く映るので、マネキンが悪いとどうしてもダサくなりがち。そのダサいを地でいくのがわたしであって、とりあえず短いスカートと、可愛いけどもう5年以上着たな…みたいなブラウスは全部捨てた。ワンピースしか可愛いと思えない病をなんとかしたい。
そして、夜には本屋大賞2020を受賞した凪良ゆうさんの『流浪の月』を読んだ。今、本屋大賞に選ばれるのにふさわしい本だった(本屋大賞には、川上未映子さんの『夏物語』もノミネートされていたので、密かに推していた)。
本人たちが抱えている事情とは全く別の捉え方をする”世間”という厄介な壁。成人男性と幼い少女という関係性から勝手に邪推される、先入観や固定観念に犯された考えの押し付けが、主人公の更紗と文を蝕んでいく。
こういうことはきっと日常茶飯事で、わたしも知らず知らずのうちに色眼鏡で見てしまっていることがあるかもしれない。これは、前述の知らず知らずのうちに加害側に回っているかもしれないという意識に通ずる。
2年前に、企画メシの講義の中で菅さんと出会った時、「人は誰しもバイアスがかかっています、それを自覚することが大切です」と聞いて少しほっとしたことを思い出した。
(随分と稚拙だけど2年前の覚書)
ネタバレになってしまうのかもしれないけれど、こういう更紗と文みたいな好意だけでは成立しえない、関係性に名前のつけられない連帯みたいなものがすごくすきで、愛おしさを感じてしまう。凪良ゆうさんは普段は商業BL作家さんとして有名な方で、好意だけでない葛藤や心の機微を描くことがとても上手なのだなと思った。
6月7日(日)
今日は、市場調査を兼ねて買い物に出かけた。百貨店や商業施設を回って主にアパレル・化粧品を中心に見ていたのだけれど、人で溢れかえっていて、みんな買い物したい欲に塗れてるな〜と思った。
同時にマスクをしながら長時間歩くことのキツさを体感した。6月の暑さでも結構キツい。途中、足腰しんどくてカフェに入ったけれど、カフェの座席数も間引かれており、座れる人も少なく。これ、真夏どうなっちゃうんだろうねえ。都心の、涼む場所ない問題は深刻かもしれないなあと思った。感染拡大を防止するためのマスクによる熱中症の方が危険だと思う、これは真剣に。
とまあこんな1週間でした。仕事も全然だし、根源的な悩みは何も解決していないけれど、たくさんインプットすると気が紛れたり、新たな考えに気づくことができたり、リフレッシュできたりもする。まだまだ読む本は積まれているので、どんどん消化したい。いつになったら、普通に友人と会えるのかしら。