卒業式の裏側
今日は勤務先の卒業式だった。
あいにくの新型コロナウイルスのせいで、全員マスク着用、保護者も来賓も来ない、生徒だけの卒業式。
少し寂しさも残る中、これだけの自粛ムードの中で卒業式ができたこと、一人一人呼名されたこと、本当によかったなと思う。
2019年3月8日。わたしは人生で初めての、「卒業生」を出した。
初めての担任、初めての受験生、とにかく初めてのことだらけでほぼずっとパニックに陥っていたのだけれど、一年の時を経た今、振り返ってみたいなあと思う。
5000字超になってしまったのだけれど、ふんわり教員視点の「卒業式」をお楽しみください◎
3月7日。
この日は、全員揃っての久しぶりの登校日だ。
3年生は、センター試験の自己採点が終わった1月下旬から自由登校になり、自宅学習になる。
久しぶりに揃ったクラスの子たちの顔を見て、元気そうで何よりとほっと一息つく。みんなに受験結果を書いてもらいながら、様子を伺う。不安そうにわたしの顔を見上げて「あとで面談の時間を作ってください」と言う子。
最難関私学の結果が出て、「どちらを選べないいか(どこに進学していいか)わからなくて…」という子。
「おっけー!後で時間作るね!!」と言いながらみんなを体育館へ送り出して、卒業式の予行演習に向かう。
式歌の練習中、明日で終わりかあ…などとぼんやり考えているうちに予行が終わり、HRに戻って明日の集合時刻を伝える。
最後に一言、「みんな、おめかしはいいけど、オシャレすぎるのはやめてね!」
3月7日PM3時。
ひとしきり面談を終え、クラスの飾りつけでもするか〜と教室を掃除しに行く。
定時制と教室を共有しているため、定時制のクラスの担任の先生に黒板アートやってもいいかの許可をもらいにいって、なんとなくそれっぽく黒板を飾り付ける。
わたしが担任していた3年2組では、週4時間古文の授業を持っていて、一番このクラスが授業しやすかったな、ていうかみんな本当に一生懸命だったな…と思いながら最後の黒板を書いていた。
(ひとえに信頼関係のおかげだなあと思う、わたしもみんなに全幅の信頼を置いていたし、幸い子どもたちもわたしのことを好きだろうが好きでなかろうがある程度慕ってくれていた)
3月7日PM5時。
「えっ待って、明日卒業式ってことは、明日通知表渡さないとダメじゃん!?」ってことにこの時間になって気づく。しかも、それは学年の中でわたしの仕事。急いで学年全員分通知表を出力する。
慌てているからか、なんなのか、エラーが出て全然表示されない項目が出てくる。まずい…
急いでヘルプデスクに連絡。それでも解決しない×3ぐらいを経て、ようやく全員分の通知表を発行し、明日の準備を終える。
「明日はよろしくお願いします」と学年団の皆に言い、帰路につく。
3月8日AM0時。
手紙が、書き終わってない…寝られない…
クラスの子たちに、最後に何ができるかなあと思って、国語科の教員らしくひとり一冊おすすめの本を選んで、一言添える手紙を書くと決めていた。
計画的に書いていたつもりだったんだけど、39人分は意外と時間がかかる。
それでもやっぱり書きたいし、、と思いながら書いていたらいつの間にか2時を回っていた。
3月8日AM5時。
緊張で眠れない、なんてことは全くなく、眠い目をこすりながらいつもより少し濃い目にお化粧する。昨日のうちに準備しておいたし、タクシーも手配したし、大丈夫だよね…の気持ちで家を出る。
3月8日AM5時50分。
近所の美容室へ。まずは髪の毛をセットしてもらう。
華やかさもありつつ、でも教師として出る卒業式なのできちんと感も欲しいですとオーダーして、パールをいっぱい散りばめてもらうことに。
ヘアセットができたら、次は着付け。
「大学の卒業式、こんなに早いのねえ…」と言われながら着付けをしてもらう。説明するのも面倒だしいっか、と思いながらそのまま着付けを続行。
母が若い頃に来ていた薄桃の着物に、大学の卒業式の時に買ってもらった深緑の袴。大学を卒業する時にはもうこの仕事に就くことが決まっていたので、いつか卒業式の時のために、と購入してくれたものだった。
3月8日AM7時30分。
袴に大荷物を抱えながらバタバタとタクシーに乗り込み、学校を目指す。
「○○高校までお願いします」と伝えると、「最近の高校生は、袴で卒業式出るんだねえ」と言われる。ああ高校生だと思われてるのか…の気持ちになりながら、
「…そうですね」と言い、タクシーを後にする。
3月8日AM8時。
そわそわしながら職員室を何度も往復する。
とにかく、落ち着かない。呼名を間違えないか、タイミングを間違えないか、動作は間違えないか、配りそびれるものがないか、念入りに確認する。
(入学式の時、2階の入り口から入らないといけなかったのに、それを忘れて1階まで下ってしまい、初日からクラスの子たちを不安にさせてしまった過去があるので…)
とにかく、卒業式当日だという実感がない。実感があるのは着ているものがいつもと違うということくらいで、本当にびっくりするぐらい実感がなかった。
3月8日AM9時40分。
クラスから生徒を引き連れ、体育館の入り口に誘導する。
呼名簿とにらめっこしながら、何度も反芻する。そんな調子だから、クラスの子たちが「そんな緊張しなくても大丈夫ですよ〜〜」と励ましてくれる。18歳はもう本当にみんな大人で、どちらが先生なんだか!
わたしは2組なので、入場も二番目だ。体育館の扉が開いて、大勢の拍手に迎えられながら一歩ずつ先へ進む。
3月8日AM10時10分。
一番緊張する、呼名の時間だ。これさえうまくやれれば、式中は大丈夫…!というくらい緊張していた。
毎年、新規採用の先生方は呼名中に泣いておられる方が多かったのだけれど、そんなのとんでもない。とにかく緊張と間違えてはいけないプレッシャーで思い出に浸る余裕なんて微塵もなかった。淡々と、けれどもきちんと思いを込めて、呼び上げていく。
何度も見た名表だし、もう出席番号も暗記するぐらいみんなのことを覚えているし(なにせ3年間一緒に過ごしてきたのだし)そんなに緊張することもないのに、一年の中でこの瞬間が一番緊張していた。
3月8日AM10時45分。
無事に呼名を終え、校長や来賓の挨拶、そして送辞や答辞を静かに聞く。
みんなが式歌を歌っている最中に、やっと少しだけ実感が湧いてきて、3年間の思い出が走馬灯のように思い出されて、とっても寂しい気持ちになってしまった。
3月8日AM10時55分。
退場する時、生徒たちが担任に何か一言叫んで退場していく風習(?)がある。何か言ってくれるといいなあ、と思いながら、「2組起立!」を伝えると、
「河地せんせ〜〜、△※$&★*#%△※$&★*#%!?!?!?」
!?!?!?
えええええ!何も聞き取れへんかったやん!何て言うてたん!?!?
と思いながら、笑顔で退場。
体育館の外に出てから、クラスの子たちに聞いてみると
「河地せんせ〜〜、俺と結婚してくれ〜〜〜!!!!」と叫んでたらしい!笑
こんな全員で揃えんの大変そうなセリフよう選んだな!?!?
最初に河地先生〜〜〜、という部分だけ叫んでくれた子は、1年も3年もわたしのクラスで、1年の時は本当にやんちゃで一悶着あったんだけれど、3年になって急激に成績が伸びて本人の志望校を超えて合格していて、いやーやっぱり男子はこういうところの成長が本当に目覚しいな?と思ったりしていた。
3月8日AM11時30分。
教室に戻って、返すものを返して、一人一人卒業証書の授与をする。その間、保護者の方にはすこし外に出てもらって。
昨日書き上げたお手紙と、賞状を一緒に。
一人一人に気持ちを伝えられるのはもうこれが最後なんだなあ、と思うと辛くて、この賞状授与にいちばん思いを込めた。
わたしはとにかく良いところを褒めて伸ばしたいと思って指導してきたのでなるべくたくさん良いところを書いたし、みんなの良いところをサポートして自信をつけさせるのが仕事だと本気で思っていた。
(この賞状授与のときの動画をいちばん前の席の子が全部撮ってくれていて、見返すと超恥ずかしいのだけれど、感慨深いものがありますね…)
わたしが卒業証書を渡し終えると、ホームルーム委員の子がおもむろに色紙と花束を取り出して、渡してくれた。この数時間の間に、クラス全員で作ってくれたみたい。嬉しかった。
(「よく頑張りました」って書いてくれてる男の子がいて、ああそうよね、あなたはわたしのレベルをはるかに超えて自分で進んでいったものね、よく見てるわね…の気持ちになった)
最後に全員で写真を撮って、3年2組は解散!
本当に本当にだいすきなクラスだったなあ。わたしが生徒だったとき、このクラスだったらよかったなあと思えるくらいに、クラスの一員になりたいほど明るくて一生懸命で、互いを尊重する雰囲気のあるクラスだったの。
それから、大撮影大会&寄せ書き大会が始まる。
クラスの子も、そうでない子もコメントを書いたり、一緒に写真を撮ったり。
袴が珍しいので、一生分の「カワイイ」を浴びたひとときだった。
3月8日PM2時。
袴を脱ぎ、謝恩会用のワンピースに着替えて、軽音楽部の三送会へ。
3年間顧問を務めた軽音楽部の子たちには、感謝してもしきれないくらい感謝している。楽器のことも機材のことも何もわからないまま顧問になって、みんなと一緒に部活の運営を学ばせてもらった気持ちが強いから。
顧問よりも顧問らしい抜群の統率力を持った部長と、それを支える総務の3人、そしてバンドリーダーとメンバー。みんなとても一生懸命で、このメンバーだったからうまく支え合ってやれたんだな、と思い返して泣きそうになっていた。
機材の組み立て、ステージ作り、照明プランなど、楽器の練習だけでなく舞台からみんなで作り上げていくのがうちの軽音楽部で、音響監督だった先生や前任校で機材関係を取りまとめていた先生の協力で格段に舞台のクオリティが上がり、飛躍的に皆の演奏もよくなっていったんだった。
卒業した今でも、卒業生のライブに呼んでもらえることを嬉しく思う。
3月8日PM5時。
三送会を終えて謝恩会の会場へ。
PTAの保護者の方々と最後の会食。保護者の方には、3年間様々な場面で支えてもらってきた。モンスターペアレント、という言葉も横行していてちょっと身構えてしまうところもあったのだけれど、わたしが想像しているよりも何倍も教育熱心で、学校の教育活動に協力的で、保護者の方々には本当に本当に助けられていた。
23歳で担任を持った時、「上のお姉ちゃんと同い年だわ〜」とか言われて、きっと保護者の方にとってわたしが担任であることは不安だっただろうなということは容易に推測できる。それでも信じて進路相談してくださって、本当にありがとうございますの気持ちでいっぱいだった。
食事中に、隣の席の保護者の方が「こんなこと言うと失礼かもしれませんけど、先生も一人前になられましたね」と言ってくださって、わたしなりに一生懸命やってきたことが、伝わる人には伝わるんだなあと思って目頭が熱くなった。
3月8日PM8時。
謝恩会を終え、担任団だけで最後のお疲れ様会。
ようやくこの辺で、卒業式だったんだなあという実感が湧いてくる。昨日から分刻みのスケジュールでとにかく緊張していたし、やっと少しホッとした気持ちになった。
全ての仕事が初めてで、人に頼るのが苦手だったわたしも、人に頼らないと仕事が回らないからこそ人に頼ることを覚えた3年間だった。一緒に担任団を組んでくださった先輩方と、わたしより何倍も優秀でめちゃくちゃ仕事をしてくれていた新採のふたりには本当に感謝してもしきれない。この環境があったから、わたしは楽しく仕事を覚えることができたし、最後まで担任をやりきることができたと思う。(特に同期は、頼り下手なわたしに「"お願いします"って言ってくれたらやるんで」って言ってくれて本当に助かった…)
(実は管理職には嫌われていたので、学年が上がるたびに担任を下ろされそうになっていた…わたしの「ムリです〜〜〜!!」はパフォーマンスだって気づかなかったのかな…笑)
3月8日PM23時。
一人帰路に着き、やっと一息つく。
一人になって初めて、ああ卒業式終わっちゃったな…の実感が湧いてくる。寂しいとか、悲しいとかよりも、圧倒的に「愛しい」の感情が勝っていて、心の底からみんな幸せな人生を掴み取って欲しいなと思った。今でも思っているし、「困ったらいつでもgoogleで名前検索してFacebookから連絡して!」と言ってある。
でもわたしの力なんか必要なくて、全部忘れてくれてよくて、高校の思い出なんて全て上書きできるくらい楽しい人生を歩んで欲しいな、の気持ちもある。
振り返ると本当に本当に色々あったな〜
本当にみんなのことがだいすきだったし、わたしも支えられて助けられまくってきたからこそ、少しはみんなの支えになれていたら嬉しいなとおもう。
未熟で未完成、未分化な20代前半に、学年約300人に向き合えたことは、わたしの人生の中で大きな糧になりました。本当に感謝しかない。
***
さて。
昨日、浪人していたクラスの子から
「お久しぶりです。××大学に行く予定です(たぶん)」
「ところでオススメのラーメン屋さん教えてください」
「でも先生が店に入るところ想像できません!」
って送られてきて、あまりの変わってなさにほっこりしたのでした。