人を愛するということ
七夕に公開される映画『君が君で君だ』を見た。
池松壮亮(尾崎豊)・満島真之介(ブラピ)・大倉孝二(坂本龍馬)の三人が、10年間、姫を愛し続ける、愛の物語。
ただ、「愛す」方法が斬新すぎる!!!
ストーカーとか、気持ち悪いとか、色々負の感情も持ったし、それも間違いじゃないと思うけど、わたしはとても純度の高い愛の物語だと思う。
「僕たちは、姫を守る"兵士"なんです」という言葉が、とても印象的だった。
これは現代の若者の恋愛観に対する、アンチテーゼだ、と思った。
清竜人の言葉を借りれば、「コイビト以上、トモダチ未満、そんな恋愛観が今パンデミックの中 生きてるわたし はあ困っちゃうなあ」とでも言いたくなるような世の中で、"ただ一人の女性を10年間愛し続ける、名前も捨てて君が好きな人になりきる"3人の男の物語。
この愛は純情か、異常か。
10年間、一人の女性を追い続けるなんて、ともすればストーカー行為として訴えられそうなものだ。
この作品を作った松井監督は、とんでもない思想の持ち主だと思った、初めは。けれども、これを見る前日のトークイベント、シュガーティーチャーの放課後で裏話を聞いたり、制作にまつわるお話を聞いているうちに、これは誰の中にも眠っている「想いを伝えたいけど、できない」という葛藤を作品にしたものなのだなあ、と気づいた。途中までは、うわあ…本当に徹底的にストーカーだ、悪質じゃない方の、ガチすぎて気持ち悪い…と思っていたのだけれど、途中から「こんなにも真っ直ぐ一人の相手に向き合えるなんて、羨ましい」「真っ直ぐすぎて、眩しい」という気持ちに変わっていった。
そもそも「愛する」とは?
これは、5月5日、参加している企画メシの第一回の課題でもあった「I love youを自分の言葉で訳す」という課題が出たあたりから、ずっと、ずーーーっと考え続けていることなのだけれど、そもそも「愛する」とはどういうことなのか。
見守る・全てを肯定する・受容することは「愛する」と言えるのか?
直接相手との関わりを持たず(好きすぎて近づけない、という気持ちもわかるけど)、表面的に見守ることは果たして愛なのか。「愛する」とはもっと能動的な意味を持つ動詞ではないのか?
「気持ちは、伝えてこそのものであって、伝えないなら気持ちがないのと一緒だよ」って高校の頃、コーチに言われたことがある。でも、そんなことはない。内に秘める「好き」の気持ちを、他人に推し量られてたまるか。
けれども今まで見てきたエンタメ作品は、まず気持ちを伝えて、それでうまくいったらハッピーエンド、うまくいかなかったらそこから主人公が一段強くなって…という、作品が多いように思う、監督もそう仰っていた。
なぜ"行き過ぎた好意"は気持ち悪いのか?
新書のタイトルで出せると思うくらいには気になる、この「行き過ぎた好意」について。押し付けだから?独りよがりだから?伝えるのが正義、みたいな世の中の風潮は?
でも相手に伝えてどうなるかもわかんないし、相手が喜んでくれればいいけど、ショックを受けるかもしれないし、周りに与える影響も気になるし、好意なんて目に見えないし、それが行動に現れるかどうかはまた別だし……考えれば考えるほど謎深まるこの問い。
つまるところ、「愛する」をどう行動に変換するか、なのだと思う。この映画の三人は、それを「見守る」という形で表現した。平安時代の「垣間見」からずっと続く、古典的な、愛し方の一つだと思った。
もう一つ、アンチテーゼだなあと思うことがあって、それは尾崎豊・ブラピ・坂本龍馬になりきる三人の、姫情報の取得の仕方が非常にアナログだということだ。
例えば現代にありがちな、twitterのアカウントを探すとか、LINEやメールのテキストメッセージみたいな、彼女の中を一回経て生み出された副次的な情報から相手を読み取るんじゃなくて、何時何分にどこに行って何をして何を食べて、という極めてアナログな情報を自分たちの手で掴みにいって(犯罪すれすれのようなことを平気でやってのけて)「生活の全てを知る」努力をしているところに、愛の重みを感じた。
アナログなところから情報を引き出すには、相当の覚悟が必要だと思う。相手にバレるかもしれないし、伝わるかもしれないし、下手すると見守れなくなる可能性だってある。
でもその人から生み出された二次情報だって、その人そのものであるし、どっちが優位とかないし、今までわたしは生活そのものよりも、何を考えて頭の中を通過した結果どういうものが表面化されるのか、にばかり気を取られていたな〜と反省した。
こんなにも、生活の全てを知りたい、全てを見守りたいと思える相手に出会えることが奇跡だと思って、途中から気持ち悪さよりもはるかに羨ましさが勝っていった。
わたしは向井理の言う「俺は半端でいいっす」って言う側の人間だった。だけど、この映画を見て、こんなにもひたむきな三人を見て、もう少し、もう少し相手に歩み寄って、まっすぐ向き合える人になりたいなと思った。こんな風にまっすぐに人を愛す人もまだまだこの世の中にはいるんだなって、とても勇気づけられた。
一回見ただけじゃ、全然感想もまとまらないし、ぐちゃぐちゃだし、わからないこともいっぱいあるから、公開されてから絶対もう一度見ようと思う。皆さんもぜひ、7月7日公開のこの純度の高すぎる『君が君で君だ』を見てください。
7月7日公開 松居大悟監督作品『君が君で君だ』
大好きな女の子の好きな男になりきり、自分の名前すら捨て去った10年間。
彼女のあとをつけて、こっそり写真を撮る。彼女と同じ時間に同じ食べものを食べる。向かい合うアパートの一室に身を潜め、決して、彼女にその存在をバレることもなく暮らしてきた。しかし、そんなある日、彼女への借金の取り立てが突如彼らの前に現れ、3人の歯車が狂い出し、物語は大いなる騒動へと発展していくー