再会
なつきさん。
お久しぶりです。
気温の変化が激しい今日このごろですが、風邪などひかずにお元気になさっているでしょうか。
こんなにデジタル化の進んだ時代に手紙なんて、と思われるかもしれません。
ですけれども、私にはどうしても、こみあげてくる熱い気持ちをそのままにしておくことができなくて、
わがままを承知で、こうして手書きでメッセージを書かせてもらっています。
なつきさんは、私にとって、まさしく女神というべき存在でした。
数合わせでたまたま参加することになった、人生で初めての合コン。
斜め前の席に浅く腰掛ける貴女は、飲み会の間じゅう、ずっとニコニコしていました。
率先して全員分のサラダをよそい、さして面白くもない男性陣の自慢話にも嫌な顔ひとつせず相槌をうって、温まってきたムードにいまいち馴染めない私にまで、積極的に話題を振ってくれました。
つやつやのストレートヘア、
フリルのあしらわれた清楚な白いブラウス、
はつらつとした笑顔に、くっきり刻まれるえくぼ、
ほのかなキンモクセイの香水のかおり。
すべての要素が鮮やかで刺激的な貴女に、心をまるまる持っていかれてしまうまで、それほど時間はかかりませんでした。
ぼーっとのぼせたように、頭がうまく動かなくなって、
次の日も、その次の日も、
いくつ夜を明かしても、貴女の影が消えることはありませんでした。
仕事は順調なのだろうか。
美味しいものを食べて、ぐっすり眠れているだろうか。
変な男に引っかかってはいないだろうか。
気がつけば、貴女の心配ばかりだったのです。
お付き合いしたいだとか、結婚したいだとか、
そんな大それたことを求めるわけではありません。
ただ、私は、
貴女のことを、ずっと見ていられればいいと思ったのです。
かげになりひなたになり、
なつきさんの人生を見守ることが、
もはや私の生き甲斐になっていました。
しかし、現実とは残酷なものです。
かっちりとした黒のスーツに身を包んだ男の人が、透明の板ごしに、
顔の中心に深いしわを刻んだ気難しそうな表情で、さとすように私に言いました。
私の行為が、法的に、道徳的に、決して許されないことなのだと。
私の行為が、なつきさんの精神状態に支障をきたしてしまっているのだと。
私の行為が、「悪」であり「犯罪」であるのだと。
関係を続けてはならないと言われてしまっては、
私にはもはや、こうしてただ生きている意味などありません。
それに、愛してやまない貴女のことを、
私のエゴで振り回してしまっているというのなら、
私にはのうのうと生きている資格なんてありません。
人は勝手に生み落とされ、生きることを強いられています。
そして各々が、何かしらの目的を掲げて、何かしらに意味を見いだして、
守るべき誰かのために、勝ち取るべき何かのために、
身を削って働くことを決めるのです。
ならば、その何かを見つけられない者は?
自らの命を断つということは、
人生というゲームからのドロップアウト、つまり敗北を意味するのだ。
たまたま目にしたドラマか映画かで、主人公はそう言っていました。
周りからの心ない言葉の雨をもろに受け続けて、
どこにいても煙たがられ、肩をすぼめながら生きてきて、
やっとつかみ取ったはずの一輪の花すらも奪われて、
27年間ずるずると過ごしたなかで、
勝利を実感したことなんて一度もなかったというのに。
私は、生まれながらにして、敗北の十字架を背負わされていたのです。
生まれもってのの敗者にできること。
それは、ただ敗者らしくあがくことだけなのです。
生まれる環境も、生きる環境も選べなかった私は、死ぬときの環境を自分で選ぶことで、はじめての小さな勝利を今まさに手にしようとしています。
かけがえのない思い出を刻み込むために。
悔いなく人生を終わらせるために。
最高のステージを用意することができました。
なつきさんの新しいお部屋は、
あの時斜め前の席に座っていた貴女と同じにおいがしました。
やはり自分の判断は間違っていなかった、私はそう確信できました。
ピンク色の小物が所狭しと並び、化粧品がやや乱雑に並べられ、
羽毛のふとんがいびつな形のままベッドからずり落ちています。
ゴミ箱には、半分に折れた宅配ピザの箱が2つ、無造作に押し込まれています。
仕事でお忙しいのはもちろんお察ししますけれども、
部屋が荒れていて、体に悪いものを日常的に摂っているというのは、
あまりなつきさんらしくないというか、意外な感じがしました。
けれどもかえって、
秩序がほどよくほぐれた、生活感にあふれた室内を見まわしたあと、
私はなんだか安心しました。
頑張っている軌跡がそのまま残されているおかげで、
貴女の人生の充実度を垣間見たような、
そんな気がしたのです。
部屋の雰囲気に見事になじみきっているベージュのソファーを、
ゆっくりと下から持ち上げ、定位置から引きはがします。
できるかぎり貴女の過ごす空間に手を加えることは避けたかったんですけど、
足場になるものが他に見当たらなかったので、苦肉の策を取ることにしました。
高いところにロープをくくりつけるのは初めての経験でしたし、
なにしろ初めてきた場所ですから、意外に骨が折れました。
死ぬのが怖くないのかと言われれば、はっきりそうだとは言えません。
こんな私でも、痛いのは嫌だし、苦しいのは怖くて仕方がありません。
でも、今の私はひとりじゃない。
クソやくたいもない人生でしたけれど、
人生の重大な分岐点について、初めて自分だけの力で決断できて、
今の私にはもう、何も心残りはありません。
本当にありがとう。
さようなら。
また近いうちにお会いできることを、楽しみにしています。