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アウシュビッツで感じたもの

これはたくさんの人に読んでほしいと思った。
アウシュビッツでアジア人唯一の公式ガイド、中谷剛さんのインタビュー。

ポーランドの小さな村、オシフィエンチムで(前半)

日本人としてこういったヨーロッパの歴史を見ることにどのような価値がありますか、と質問する日本人の方もいて。確かにヨーロッパの歴史ではあるけれどもここに至るまでのプロセスとか、迫害のきっかけとなった最初の排他的な声とかヘイトスピーチとか、日本も戦争に参加していただろうとか、そういった暗く厳しい悲惨な歴史に、それぞれがどう向かい合っているのか、関心をもっていただければと思っています。


メルケル首相は終戦75周年に先立ってここを訪問したのだそう。ナチスがやったことだから、昔のことだから無関係、ではないよね。
ドイツ人が抱える罪の意識。ドイツ人は6時間もかけてここを見学するという話からもうかがえる。


日本人はどうか?


アウシュビッツで感じたもの

私がアウシュビッツを訪れたのは、もう20年以上も前。だけど、あの時感じた言いようのない恐ろしさは覚えている。

アムステルダムのアンネの家や、沖縄のひめゆりの塔を訪れた時にも感じたもの。

人種や文化の違いを理由に、普通の人が普通の人を殺すことができてしまう恐ろしさ。

あり得ないような理由でも、人の心がそういう理由を正当化する動きに扇動されてしまったということが恐ろしい。

現代でもヘイトスピーチや差別、選民思想はある。

もしも、口がうまかったり、大衆の心を掴むのが上手な政治家や有名人が、そういうことを言い出したら…?

知らず知らずのうちにそういう考えが「当たり前」なものになってしまったら…?

行き着く先は「アウシュビッツ」なのかもしれない。


罪の歴史を背負うこと

アウシュビッツは、ドイツ人だけではなくて、日本人も含めた世界の人々に訪れてほしい場所。歴史を背負う地球人として。

この場所が持つ意味というのが大きいんですよね。もちろん当時ここにいた人はいないし、建物もそのままではないんですけど、やっぱりそこに立ったってことが、ここに勤める私たちにとっても不思議なくらい、影響力があるみたいで。ガイドの途中でも言うんですが、ここまで来ることができる元気な人には、期待をしているんですよ。

アウシュビッツに来て、満足して終わり。じゃなくて、やっぱり考えてほしいし、自然に考えてしまうものじゃないかな。

おちゃらけた大学生だった私も、その時一緒に旅していた友達も、ここでは無口になった。

何も言えなかった。

でも、その時感じたものは、今でもちゃんと胸にある。

こんなに恐ろしい人類の罪の歴史は、知らない方が幸せだし、気が楽。

だけど、見たくないものに蓋をして、罪の歴史から目をそらして、それでまた同じことを繰り返す方が恐ろしいと思うのだ。


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