ベルリンでいざ出産!
2020年3月12日、無事にベルリンで出産しました。
が、想像していた以上に文化の違いに戸惑い、安心できない数日間で身も心もズダズダ状態になりました。
3月11日朝8時頃にチョロチョロとした尿もれがあり、仕事に行く前の夫にに、「多分、破水だと思うから一応、午前中だけ休んでもらえるかな?」とやけに冷静に言ったのを思い出します。
そのあと夫はすぐにスーパーに買い出しに行ってくれました。その間に2度目、3度目とチョロチョロとした破水が続き「あっ、これはやばい!」と夫にすぐ連絡。慌てて帰ってきた夫が病院に連絡をすると「破水しているのなら今すぐ来なさい!」とタクシーで病院に向かいました。
病院に着くと受付で「破水したんだよね?」と聞かれ、咄嗟に「はい!」と言ったものの、、、チョロチョロとした尿もれ程度だったので、正直、これが破水なのか半信半疑でした。でも、ここはドイツ!何事もはっきり大げさくらいに言わないと早く対応してくれない国民性があります。このことは幾度となく経験し、身についていたので、もし破水してなくても、その時はその時で〜という感じでした。
すぐに診察室に通され、助産師さんが「確かに破水しているね、破水後は安静が必要だから、お産前の準備室で陣痛が来るまで待機してて!でも陣痛は早くても夜の20時くらいかな、それまではご飯をしっかり食べて、散歩して、生まれてこれる準備をしてあげましょう!」とそのまま出産準備室に移動。温かい昼食も用意されていて、それが思った以上に美味しくてびっくり! 思わず夫に「ご飯も美味しいし、思った以上に対応がスムーズじゃない?」と言ってしまうほどでした。ていうのも事前に友人や知人からドイツの出産秘話をいくつも聞いていて、戦略を練っていたくらいだったのですw
その後、大きなギューとした痛みが1時間に1回くらい続き、予定通り20時くらいに本陣痛が始まりました。 主人がナースコールすると看護師さんが来て「すぐ分娩室に自力で移動して、荷物も手分けして分娩室に持って行って!」と言われました。コートや靴、入院セットもすでに持ってきていたので荷物は思いの外多く、すべて主人に託しましたが、何か忘れていないかソワソワしました。本陣痛がきてもまだ自力で分娩室に向かう気力はありましたが、その途中、担当の看護師さんが談笑しているのを見て「だったら手伝ってよー!」と横目でチラ見。
そう!この光景こそがまさにドイツ、なんです! 助けを求めないといくら患者(重症な患者さん違うと思いますが)とはいえ、簡単に手を差し伸べることは少ないと思います。驚きですが、考え方が違うんです。
渡独した当初は日本との違いに戸惑いカルチャーショックを受けましたが、今はこの考え方の良し悪しが分かるようになりました。
分娩室に着くや否や等間隔にくる陣痛と戦いながら、助産師さんが「まず子宮口が7㎝になるまで頑張って!そのあと無痛分娩の麻酔を打つから!」と言って出て行きました。その間の7㎝になるまでが猛烈に痛く、顔に血管が浮き上がるほど喚いていたそうです。
それに見兼ねた夫は、その度にナースコールをして子宮口の大きさが今どれくらいなのか助産師さんに聞いてくれましたが、開くスピードが遅いということで促進剤を打つことになりました。
接種後、意識を失いそうな痛みに襲われ「この痛みがあと数時間続いたらもう死ぬ〜!」と朦朧しながら「でも子宮口が7㎝になるまで!7㎝になったら無痛分娩〜」を励みに耐え続けました。
数時間経っても助産師さんが確認しに来てくれなかったので、再びナースコールをすると「もう9㎝開いている、9㎝になったら無痛分娩の麻酔は良くない、自然分娩でいった方がいい」とまさかの診断! 朦朧とする中、夫が助産師さんに「えぇぇっ!!えっ、なんでもっと早く診に来てくれなかったのか、本当に麻酔は打てないのか?」と強い口調で反論してくれる声が聞こえましたが、答えはNO! その瞬間「7㎝まで耐えれば〜!」という大きな望みは一瞬で消え去り、「ま、マジかよー」と落胆。
ドイツはなんでも言ったもん勝ちで、大人しく待っていたら損をすることが多いのは重々分かっていたものの、この期に及んで出産までも影響するのか!? 早くナースコールしておけばぁぁ〜、、、と喚きたくなりました。
夫が大きなため息をつきながら「だっ、だっ大丈夫!?」と気遣ってくれましたが、「やる(自然分娩)、やるしかないじゃん!」と思わず口に出していました。主人はこの言葉にやけに感動したらしいですが、私はもう、やけくそでしたw
その後、すぐに子宮口が全開になり助産師さんの指示のもと、力んだり、息を吸って吐いたり、途中呼吸困難で酸素マスクをつけられたりと、尋常でなない痛みと気持ち悪さの中、この痛みから早く抜け出したい一心でありったけの力で力み続け、赤ちゃんの頭が出てきた瞬間、助産師さんが「頭が出てきましたよー、触る?」とまさかの問いかけ!?(後日聞いたらドイツでは普通らしい)もちろんそんな余裕はなかったのでNO〜!と力み叫び、そのあと夫にも「じゃあお父さん、触る?」と聞かれ、主人は体を揺さぶらせながら「ゔぅ、うううん(NO)」と答えていました。
赤ちゃんの頭が半分出てきたところで、いきなり赤ちゃんの心拍数が止まり助産師さんが慌てた様子で、私のお腹にどーんっ!と勢いよく馬乗りになりました。人工呼吸するような手つきでお腹をボーンっと強く何回か押した瞬間、大きな産声とともに赤ちゃんが押し出されました。助産師さんもびっくりするような大きな産声でした。
やっとの思いで赤ちゃんと出会えた感動は今も忘れることができません。
その後、助産師さんと夫が赤ちゃんの大きさと体重を確認し合い、夫が手書きで誕生記録カードに記入していました。日本では誕生体重はとても重要で、その後のミルクの量等にも影響があるので、助産師さん同士で2、3回相互確認するくらい正確さが求められるようです。体重計がアナログ式だったのにも驚きで、瞬時に正確な測定ではないな〜と予感しましたw
分娩後、外科の先生が来て、助産師さんと何やら話し始めました。
どうやら力みすぎて子宮頸部が裂けしまったらしく、1000ミリ以上の大量の出血があり、感動の対面もままならいまま外科手術になってしました。
手術時間は30分程度でしたが、全身麻酔をしたため夫がそのまま目覚めなかったらどうしよう、ととても心配になったようです。目を覚ました瞬間、夫の安堵した顔がありました。 赤ちゃんも生まれたばかりのまま(まだ洗われてないタオルに包まれた状態)、私の胸におかれ病室へ移動。
病室担当の看護師さんが赤ちゃんを洗って洋服を着せてくれましたが、そのケアがお産後3時間後くらいでした。
日本ではお産後すぐに看護師さんが丁寧に赤ちゃんを洗ってケアしてくれるイメージだったので、その放置時間にもびっくりでした。
そんなこんなで初産にしては本陣痛から7時間というスピード出産でしたが、ドイツ、ベルリンでの出産はやはり想像以上に気力が奪われ、疲れました。絶対に夫がいなければ乗り越えられなかったと思います。
娘が生まれて4日後の3月16日からベルリンがロックダウンになり、病院も人数制限されたので、寸前に生まれてきてくれた娘に感謝です。
娘の誕生記録は2020年3月12日、午前3時12分、3120gでした。
312の語呂並びに誕生した娘、忘れることができないキロクになりました。
その後、入院生活に突入するのですが、その入院生活でも信じられないことがてんやわんや、、、、病院にいるのに安堵感ゼロでした。
その話はまた次に続きます。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
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