お腰につけたきび団子42.195

 一日10キロを走ると決意してから12年目の2024年、世界三大マラソンの一つであるベルリンマラソンを走る。10カ月前に参加が決まってから特別なトレーニングはせずにただ毎日10キロを淡々と重ねていたが、意識はベルリンマラソンに向いていたのだろう。7月にランニングクラブに所属したことがその証左だ。いったい団体行動を好まずチームスポーツに嫌気が差して久しい自分が自らランニングクラブの暖簾をくぐったのには他方で春に恋人と別れて新しい社会生活の場を求めていたこともあったのだが。
 9月29日日曜日。例年通り9月の最終日曜日に行われるベルリンマラソンは2024年の今年50周年記念を迎え、今年の参加者は五万八千人まで膨れ上がった。抽選の結果この人数まで絞られたというのだから、マラソンというマーケットがどれだけ大きなものか思い知らされる。
 初めてのホテル前泊の緊張を乗り越え、5度の冷気に包まれた夜明けのベルリンで粛々と準備を整えていった。ベランダに出るとちょっとびっくりするくらい寒い。手袋を持ってくればよかったと後悔したがレースを左右するほどのことはあるまい。予定どおりレースシャツにレギンスを見につけ、防寒をして早朝のベルリンの街へ出ていく。良く眠れた。体の痛みはどこもない。体は速く走りたがっている。
 「目標タイムは?」というのがチーム内お決まりのスモールトークで、その度に私は3時間半だの3時間20分だの答えていたが本当は目標タイムなんて持っていなかった。過去三回のフルマラソンは3時間34分、3時間26分、3時間36分程度で推移していたからそれほど出鱈目でもないのだが、私のランニングにおける期待はタイムを更新することではなくフルマラソン完走を一年でも長く続けることだった。できれば六十まで、あるいは七十まで? たとえば20代のチームメンバーはフルマラソン初参加で3時間切りを目指していた。なるほど彼女はカルガモのような足の持ち主で、高い位置で結ばれたブロンドのポニーテールは人生に一点の曇りもないような揺れ方をしていた。私にあんな時代があっただろうかと振り返る。おそらく中学の頃、負けることの知らない、スポーツを唯一のアイデンティティにしていた頃の自分か。
 今思えば今回に限ってはベスト更新を期待してよかったはずだった。チームのスピード練習で1キロ3分台後半のスピード感も体験したし、1キロ4分30分で10~15キロランもできた。30キロランを4本と40キロランを1本重ねていずれもペースダウンすることなく走り切ることができている。明らかに過去のマラソン前よりもトレーニングを積んできて調子もあがっていた。それでも目標タイムを意識することをせずにあくまでも完走を目指した。どうやら私は走ることが私の中に深く侵入してアイデンティティにまで入り込んでくることを冷静に拒んでいるようでもあった。過去の私がそうであったように、数字に支配されて自分を極限にまで追い詰めることで自己安定を図り、スポーツで他者から評価を得ることが自己価値の唯一であるようにはなりたくない、あくまでも走ることは起きたての歯磨きみたいに当たり前で自然なことであってアイデンティティとは無関係であると、そう思いたかったようだった。目標タイムを持たないことが自分なりの走ることに対する距離の置き方だった。だからチームメンバーとも一定の距離を置いて、敢えて(?)着古した地味なトレーニングウェアで走り続けてきたのかもしれない。私は走ることで生活をキラキラさせようなんて思っていなければ、昨今のラニングマーケットの餌食になろうとも思わない。

 気を付けるのは20キロ前後で早くもやってくる可能性のある眩暈と30キロ過ぎのペースダウンだった。あとはお腰につけたきび団子ならぬエネルギージェルを10キロごとに摂取すること。のどか乾いていなくても給水ポイントでは必ず水を取ること。(ところでこれから鬼退治に行く桃太郎はどのくらいの距離をいくつのきび団子で乗り切ったのだろうか? あらかじめ他人にきび団子をあげることを想定して多めに携帯していたのだろうか?)

 10キロを過ぎて4分20分台でペースが安定してきた。ベルリンは記録が出やすいと言われているらしいが、なるほど石畳がひとつもなく整備された平坦なアスファルトが続く上、ベルリンを誇る長身で豊かな街路樹が穏やかな影を作って直射日光からランナーを守る。ちょっとびっくりするぐらい頻繁に給水ポイントがあるのでさすがにいくつかパスをした。
 15キロ、20キロ。一度目の眩暈に見舞われて平衡感覚が失われ、とっさに両腕を広げて飛行機ごっこみたいなポーズになった。どうやら前回マラソンからの悩みだった眩暈は暑さのせいではなく走ることによる自分自身の視界の揺れに加えて異なるリズムで動くランナーをずっと目で追っているせいであるらしいことに気づく。五万八千人が一斉に走るのだから20キロを超えてもなお団子状態なのだが、ここからは周囲のランナーに目を向けずに目の前のアスファルトに視点を固定して自分の走りに集中することにしよう。
 25キロ。腓腹筋が固くなって痺れを感じる。あと17キロ、と初めて残りの距離を計算した。しかし4分20秒台は相変わらず、腕の振りも良い。魔の30キロがもうすぐそこだ。
 30キロを超える。腰のジェルはあと一つだけになった。ここからがほんとうのレースだと言っても過言ではない。あと12キロ。いつも週末に行っていたロングラン14キロよりも短い12キロはいつもだったら楽しく走れるくらいの長さだ。ペースはまだ落ちずに4分20秒台を維持した攻めの走りをしている。35キロを超える。アスファルトを見て走っているせいで自分が今ベルリンのどのあたりを走っているのか見当もつかない。2キロごとの給水で少しずつ水を補給する。過去のマラソンでは35キロ過ぎには足が止まって虫の息ほどのなけなしの生命を次の給水ポイント目指して運び、給水のたびに止まっていた。しかし今日は止まらない。大腿筋も腓腹筋も、身体の各細胞が4分20秒台を維持する攻めの走りをしている。

 あるとき股関節から下の感覚がないことに気づいてフラッとバランスを崩しそうになった。まるで上半身だけが宙に浮いて走っているような奇妙な感覚だった。左手で左の太ももをバンバンと叩いて足がそこにあることを確かめようとした。左手はなにかを叩いたが、叩かれた太ももは振動しただけで再び感覚を放棄した。麻痺した感覚は言うまでもなく筋肉疲労がもたらすものだが、それでも足は意思を持って前へ前へ移動し続ける。下半身麻痺から意識をそらすようにして肘を後ろに引く角度を意識的に上げた。
 「もうこれ以上走れないとなったときに頑張って足を前に出そうとするな。肘。肘を後ろに引くんだ。肘を後ろに引けば自然と体は前に出るから」
 速いランナーほど肘の振りが優れていることを気づいてから、中学時代バスケ部の顧問に言われた言葉が蘇って幾度も体の中でこだまするようになった。30キロ後半からゴールまでの私を助けたのは肘。後でラスト数キロ地点の写真を見ると肘が良く使われていることがよくわかった。
 40キロ地点のマークを超えた。足はまだ止まらない。あと2キロだ。手元の時計を見ると2時間58分! 3時間10分を切れる速さだ。自分のタイムとは思えない。今日の私はすごいらしい。とにかくあと2キロ走り切るのだ。2キロといったら駒沢公園1周分だ。小学校の持久走大会は2.1キロだった。死に物狂いで走って7分50秒くらいで優勝したな。たかが2キロされど2キロ。あのころはゴールがずっと遠くに見えた。しかし今はもうゴールのブランデンブルク門が視界に入っている。まだ足が軽快さを保っていることに驚きを感じながらゴールを目指す。1キロを切る。ロングスパートをかける余裕さえある。
 ブランデンブルク門手前、ゴール直前の選手の応援に観衆は溢れている。ブランデンブルク門を潜り抜け(ここで写真のためにサングラスを外しているべきだった!)、200メートル先のゴールを駆け抜けた。

 手元の時計3時間8分。公式3時間10分。すごい、すごいタイムでゴールしてしまった。ラスト2キロは4分17秒。前半のハーフより後半ハーフがタイムを凌ぐという理想の走りだった。栄養補給を知らずに足が完全に止まった1回目、栄養補給を学んだが35キロでガス欠しながら3時間半を切った2回目。眩暈に襲われて何度か倒れながら完走した3回目。そして最も順調に、ある意味あっけなく爽やかに走り切った今回に限ってゴール直後にこみ上げるものがあったのはなぜだったかわからない。想像もしていなかった記録でゴールできたことが単純に嬉しかったのかもしれない。涙をこらえる癖が疎ましかった。泣いて良いのに。ゴール後のランナーたちの間を歩きながら、目に見える景色が少し違ってみえた。3時間10分という記録を持つに至った自分の肉体が誇らしかった。 
 一度アスファルトに座り込んだら待ってましたと両足がつり出し、下半身のあらゆる筋肉は痺れ切っていた。五万八千ランナーのアドレナリンと観衆が痛みを保留させていたようだ。荷物保管場所までの徒歩距離が途方もなく遠く感じられた。
 終わった。終わったのだ。私の2024年ベルリンマラソンは3時間10分という記録で幕を閉じた。昼のベルリンは15度まで気温が上がり天まで抜ける青空がどこまでも続いていた。世界が自分に笑いかける日が人生に何度かあるなら、今日はその一日かもしれない。晴れやかな気持ちが体に充満した。足の親指の爪2枚を手放したことも気にならない。
 ブロンドのポニーテールの彼女は20キロすぎまで1キロ4分00秒ペースという驚異的な速さを維持し、その後止まったようだった。最後はキロ6分かけて私より8分ほど遅れてゴールしたようだ。私は彼女のようにキロ4分で20キロも走ることはできない。しかしもっと長い距離だったら勝てる。きっとこれは人生なのだと、36才になっている私は表面的なメタファーではなく実感を持って思う。短距離や中距離のように短い距離で力を出す人はすなわち20代や30代前半で価値のあるものを創り出すひとのことである。私にはそれはできなかった。しかし私は長距離ランナーらしい。時間はかかるが走り続ける。
 まだ記録が伸びる余地はある分次のトレーニングが楽しみだ。誰かは私に尋ねるかもしれない。
「あなたの目標タイムは?」
私は答えよう。
「完走することだよ」


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