ルームチューニング②
☆プロローグ
前回の「ルームチューニング①」の最後に具体的なやり方を提示すると書いたし、実際半分くらい書いたのであるが、ふと、Tさんのオーディオルームのことを思い出した。独創的なルームチューニングのケーススタディとして紹介しよう。
数年前の夏、西日本のオーディオマニア宅を巡る旅をした。旅の2日目岡山駅から、4時間くらいかけて電車で鳥取の海辺の宅を訪ねた。空と波と砂の圧倒的な量感と人間の少なさに癒された。その海辺のTさん宅のオーディオは鮮烈だった。
Tさんは石井式理論を部分的に取り入れた巨大なメインルームが母屋から通路を進んだ先にある。こちらはボイスコイルか何かが不調であったと記憶している。他方で、サブルームは立派であるが古い木造の家屋の2階にある。滑らかな木の軋みはとても心地よいが、オーディオ的な強度はどうなのだろう?などと階段を登りながら考えていると、案内されたサブルームの手前半分が巨大なベッドで占められた六畳間(たしか)であった。分厚く、マットレスのトップは腿の半ばまであったかもしれない。そのベッドの上がリスポジとなる。
サブルームのスピーカーはVIVID AUDIOのKaya 25。機材には色々なものがとりつけられているが、説明されてもよく分からなかったので覚えていない。ディスクプレイヤーは、たしか、SONYのポータブルBlu-rayプレイヤーで1万円くらいだと言っていたと思う。クラシックのSACDのCD層を読み取って再生してもらうと、プレイヤーの値段相応の印象を受けた。
☆3D音響の秘密
他方で、Tさんのシステムの本懐は、80年代なのかな、ノートPCでアイドルを再生するもの。もちろんステレオ2ch。Tさんはこれらのアイドル音源は内在的な3Dになっていると考えており、ルームチューニングによって3Dとしての本質を取り出すというやり方なのである。
実際に、両の耳よりも後ろから、小泉今日子(たしか)の、声ではなく、口が次々に定位しては泡のように消えて、若い女の子の顔に取り囲まれるという謎至福3Dオーディオなのであった。あの後方からの、時には真後ろからの、明瞭な定位は厳密なサラウンドシステムを組んでも難しい。後ろからアイドルにやさしく肩に手をおいてもらい、歌いかけられているかのような感じであるのだから。
Tさんの全周囲的な音場の形成とスピーカーのバッフル面と真逆の方向からはっきりと定位を形成する2ch再生は、壁面や床、そして窓にまで仕込まれた拡散材による<<反射>>こそが鍵なのだろうときっと、皆さんは思うでしょう。前回の「ルームチューニング①」で少し否定的に扱った<小さなもの>と<軽いもの>によるルームチューン、フラッタエコー対策にいかにも効きそうなグッズこそが、尋常ではない豊かさをもつ3D音場を高級な上流機器に頼らずに実現する秘訣なのだと!
一日だけ、しかも長くてもせいぜい3時間くらい試聴しただけであるが、私見を述べよう。それは違う。<小さなもの>と<軽いもの>によるルームチューンは、全てではないにしても、Kayaを使ったサブルームにおける3D音場の秘訣の1つだとご本人が明言しているのだとしても。
このサブルームは、私の持ち込んだ(SA)CDをかけて分かったのだが、前方の定位はさほどに明瞭ではない。また、Kayaのユニットより下もあまり音がでていない。Kayaの横壁や後ろ壁、そして足元までも<小さなもの>と<軽いもの>が覆いつくしているというのにだ。他方で、音が芳醇であるのは巨大で分厚いベッドが形成するリスポジ周辺。無数の<小さなもの>と<軽いもの>が重要であるのは間違いないが、その<小さなもの>と<軽いもの>が効果を出しているのは、巨大ベッドの上である。
問題は部屋の後ろ半分を占めるこの巨大ベッドがどんな音響効果を発揮しているのかではないのか。これはあくまで予想であるが、巨大ベッドによって定在波フリーの領域になっているのではないか、このリスポジ一帯が。定在波から解放されることで、初めて、<小さなもの>と<軽いもの>が音をきれいに反射させて、Tさんの独創的な3D音響が成り立っているのではないだろうか。
☆補足というよりも累加
まるでTさんが定在波について何も分かっていないと、私が書いているように思えたであろうが、それは誤解である。Tさんは定在波の対策を熟知しており、常人では真似できないような対策を既に十分に研究しており、また、実践しているのである、メインルームで。メインルームは4mを超える高さをもつ、横長の防音室である。このメインルームは湿度がある。気持ち悪い感じの湿度ではなく、語弊があるかもしれないが、マイナスイオンが存在するならばこういう感じなのであろうという、森のなかの静かな開かれ。
さらにこのメインルームの壁面は、開閉式になっており、中には吸音材が仕込まれている。吸音の量や位置を調整できる仕組みである。それを自分で計画して、知り合いであるのか近親であるのか忘れたが、大工さんと協力して完成させたものだ。機材と部材が高価なだけのデカいルームとは発想がまったく違うのである。開閉式の壁面を製作するのは極めて大変であるが、その周到さは、定在波の諸問題を自覚しており、それに対処する気概を表している。
私は定在波に関して決してTさんを低く見積もってなどいない。そして、メインルームのスピーカーのボイスコイルを大事にしたいTさんに、ボリュームを上げてほしいというわけにもいかないが、部屋それ自体が大規模で、左右SPがそれなりの距離で設置されており、しかも、サブルームよりも巨大なソファベッドが置かれているわけで、それなりに音圧を上げないと、音場は形成されないのではないだろうか。ということで、Tさんは定在波への本質的な対応の仕方を知っている。その実践としてのメインルームの規模に相応しい音圧では試聴をしていない。しかし、それはきっと素晴らしいものであろう。これが私が数年前から抱いている印象である。
Tさんのルームは、<小さなもの>と<軽いもの>をたくさん使った壁面に目がいきがちであるし、当時はご本人もそれに執心されているように思えた。しかし、それは表面であり、本質は定在波フリーの音場なのであり、この歪のない領域が先である、というのが私が言いたいことである。メインルームの設計を考慮するならば、なおさらいっそう、定在波対策が先なのであるという結論が得られるはずだ。だから、「累加」という言葉を使った。
☆結論
ミラン・クンデラは『存在の耐えられない軽さ』で、重さと軽さの弁証法について語っていた。Tさんのサブルームについて検討した今、私たちは大きなものと小さなものの弁証法についても併せて考えることにしよう。
人生において重さと軽さはどちらが重要であるのか?重さのない人生は意味がなく空しく思える。恋人の身体の重さを自分の身の上に感じることが女たちの悦びであるのではなかったか?とクンデラは問う。しかしまた、軽さのない人生は陰鬱さに窒息しそうである。プラハの春で人々が求めたのは軽さではなかったか?いったいどちらが重要であるというのか。
ルームチューニングでは、<<重さ>>である。そして、大きな波によって無力化されない<<大きさ>>である。