アキュフェーズ、P-4600③:ステレオ片チャン
☆プロローグ
先日、クラシック音楽マニア、かつ、オーディオマニアのベルウッド氏に来てもらい、P-4600の(1)ブリッジモードと、(2)ステレオモードの片チャンのみを使う場合(ステレオ片チャンと略す)との比較をした。先に言っておくと、比較実験に際して欲張り過ぎたのと、初歩的なミスがあまりに多く、実り豊な成果とはならなかった。まあ、何事も反復である。
結論じみたことに関しては、この記事の1番下、☆補足にまとめた。また、比較の条件はどれも揃っていない。DSD256とWAVの384/24を比較したわけではないし、XLRとRCAで同程度のケーブルを使ったわけでもない。
ところで、DACからパワーアンプまでの結線には(α) XLRと(β) RCAがある。こちらも合わせて比較すると、4つに場合分けできる。
(1) - (α)
(1) - (β)
(2) - (α)
(2) - (β)
ところで、『PCオーディオに挑戦⑬: DAC…MAY KTE』で書いたように、当方のDACは(イ)PCMの出力電圧を1とすると(ロ)DSDは1/2であるという公称値が示されている。その違いを組み合わせると、
(1) - (α) - (イ)
(1) - (β) - (イ)
(1) - (α) - (ロ)
(1) - (β) - (ロ)
(2)- (α) - (イ)
(2) - (β) - (イ)
(2) - (α) - (ロ)
(2) - (β) - (ロ)
という細分化をしなければならない。Holo AudioのMAY DAC KTEはさらにパラメーターを加えることができる。
ただ、これはいかにも細かい。聴感での比較は記憶の問題でもある。そこで以下の比較を企図した。
(1) - (α) - (イ)
(1) - (α) - (ロ)
(2) - (β) - (イ)
(2) - (β) - (ロ)
インターコネクトケーブルの全てをバランス接続にしてパワーアンプをブリッジしたのと、全てをアンバランス接続にしてパワーアンプを片チャンのみにした場合の比較ということである。
具体的には以下である。
①フル-バランス・システム
【DAC →《XLR》→ HEGELプリ→ 《XLR》→ P-4600 (ブリッジ)】
②フル-アン-バランス・システム
【DAC →《RCA》→ 金田式DCプリ → 《RCA》→ P-4600 (ステレオ片チャン)】
このような比較は概ね予定調和的なもので、本当に面白いのはそのプロセスなのである。ベルウッド氏は帰りしな、面白かった、と呟いた。ベルウッド氏が面白がったのは、②が良いという結果が痛快だからだったのか、別のことなのかは分からない。たぶん両方だろう。今回、注目すべきプロセスとは私の多岐にわたるミスである。(笑) こうしたミスによって少し自分のシステムに詳しくなった。(爆)
今回の比較によって私が知りたかったのは、DSDとPCMの固有の再生の仕方である。より良い再生方法の発見の手前に、システムの構成要素としてバランス回路とアンバランス回路があり、そのどちらかにP-4600を接続する際に、ごく一般的な2chステレオ再生以外にも、ブリッジモードとステレオ片チャンという選択がある。
前置きはこの程度にして、フル-バランスシステムとフル-アン-バランスシステムの比較試聴の実際のところを見ていこう。特に断らない限り、私の感想であることは留意されたい。
☆準備運動のアンバランス&ブリッジ
当日はフル-バランスとフル-アン-バランスの前に、アンバランス回路→ブリッジを試した。つまり 【DAC →《RCA》→ 金田式プリ→ 《RCA》→ P-4600(ブリッジ)】を試聴してもらった。別の機会に詳述するが、実は、定位が左右の均衡を失くしてしまっていることに当日の朝気がついたので、リスポジをセンターラインから左に5cmくらいズラしておいた。こういうのは言われるととても気になるものだが、後で言うのも試すようで失礼なので、最初にどうズレているのか伝えておいた。それで、リスポジをズラすとセンターに定位するのを確認がてら、金田式プリにブリッジしたモノラルパワーで聴いてみてもらった。
曲は井筒香奈江さんの「悲しくてやりきれない」(flac、192/24)と、「竹田の子守唄」(DSD256)である。ベルウッド氏はこの後の比較でも、この両曲をリクエストしてきたのが意外であったし、一部断った。(^^) というのは「竹田の子守唄」の方は普通のDSDの再生音量で良いが、「悲しくてやりきれない」はコンプレッサーで持ち上げた感じの帯域バランスで、他のPCM系よりも絞らないといけない。曲ごとにいちいち調整するのは今回は無理。
アンバランス&ブリッジに関してであるが、率直にいって、無用の長物とはこのことである。細い管(くだ)の先に大きな開口部を持ってきた感じの再生音である。アンバランス&ステレオ片チャンと比較するまでもなく、無益である。不釣り合いなベルボトム風の下膨れシステムは、存在しない音をパワーアンプに出させているようでピントがぶれた、かさ増しのサウンドである。
☆フル-バランス回路
DAC →《XLR》→ HEGEL → 《XLR》→ P-4600(ブリッジ)
フル-バランス回路とフル-アン-バランス回路の試聴は以下の曲目である。
(1)ポゴレリチ、ショパン、96/24 flac
(2)藤田真央、リスト、DSD256
(3)葵トリオ、メンデルスゾーン、384/24 flac
(4)ソナトーリ、ヴィヴァルディ、44.1/16 flac
(5)大植英次、コープランド「市民のためのファンファーレ」44.1/24 wav
全部、クラシックである。しかも声楽なし。曲目が偏り過ぎたのもミスの一つだ。(5)のようにクラシックはフルオケであっても、小音量でも楽しめる。小音量《でも》というのがよくなかった。そしてこの曲目をRoonサーバーのストレージ内で整理している時、ライブラリにCPUのコアを割り当てたままにしていた。気付いたのは(5)の終わりしな。roonを通した音楽再生以外に必要ではない部分のCPUを全部停止して、(5)が終わった後で、何も言わずに(4)をかけた。そして渋い表情をしていたベルウッド氏に違いが分かるかと尋ねると、こっちのほうが良いし、気になっていた部分はそれ(roonサーバー内のCPU)かと理解を示してくれた。ファイル再生中はroonのライブラリ機能を停止すべきであり、停止すると再生音から揺らぎやぼけがなくなり、音質が明らかに向上する。
しかし、当日は時間の関係でフル-バランス回路&ブリッジはこれでおしまいにした。したがって比較実験の結論はここでは書かない。(笑)私の考えに関しては『アキュフェーズ、P-4600②:BTL』を参照してほしい。その記事も失敗談だらけだが、試聴のインプレッションは基本的に変わらない。ところでHEGELプリに関して、再再再度ミスを犯していた。恥の多いミスなので詳細は伏せる。それを修正すると、そうそう、これこれ。。。やれやれ。仕事から帰ってきて酒飲みながらセッティングするのはもうやめよう。しかし明日が休みとなると俄然セッティング熱(余計なことをしたくなる病)がたぎる。(爆)
☆ベルウッド氏の曲目(3)~(5)についてのコメント
さすがのクラシックマニアぶりである。(4)はイタリアンバロック集であるが、ERATOのCDをリッピングしたもの。詳しく聴いていないのだが金属系の高域が非常に賑やかで楽しい。低域は未確認である。ちゃんと聴いてみようと思う。バロックは芳醇な低域が難しいので、意外とブリッジが合うかもしれない。(3)の録音は近接マイクを組み合わせているとかで、私のシステムの再生音ではマイクの位置が見えてしまっている、とベルウッド氏は言っていた。これは機材やその回路の選択よりも、ルームチューニングの問題を指摘していたのだと思われる。しかしマイクの位置が分かるチューニングか、分からないチューニングかの選択をするのであれば、マイクであれ楽器であれスタジオであれ「分かるチューニング」を私は目指す。ある再生音が好きか嫌いかを属性判断というならば、その前に、楽器やマイクが何本そこに<在る>のかの存在判断を先行させるべきだというのが、私のチューニングに関する基本的な姿勢である。
なお、今回は選曲から漏れたが、ゴルトムント弦楽四重奏団(Goldmund Quartet)によるシューベルトの『死と乙女』を紹介してくれた。古典的な演奏に代わる『死と乙女』を探していたのでこれはありがたい。さらに、Berlin Classics、パッケージに「BR KLASSIK」というロゴのついたあのレーベルである。マリス・ヤンソンスのSACDをかなりの枚数購入したが、間接音というのか、マージンが多すぎる録音があまり好きでなかった。空間を録ろうとしているのかもしれないが、演奏の音との比率が気に入らない。無駄にノイズっぽく聴こえるのだ。今紹介している『死と乙女』は素晴らしいと思う。4つの楽器とそれを包摂する空間のバランスを保ちながら、1つ1つの楽器が際立っている。SACDを再生していた時とは自分のシステムも違うわけだが、同じレーベルであるとは予想できなかった。
☆フル-アン-バランス回路
DAC →《RCA》→ 金田式プリ → 《RCA》→ P-4600 (ステレオ片チャン)
この②のRCAケーブルはBELDEN88760である。①のXLRはアコリバのケーブルで、PC-Triple C単線の1.4mm仕様であるので、単線の明瞭さと大口径による低域方向の拡張性を合わせもち、ケーブルを長くした際にもDACやアンプの出力インピーダンスを低く保つのに一役買うことになる。また、銅管シールドであるので空気層を内部に持つので導体を締め付けた際の窮屈な出音にもならないという高級品である。だから、バランス回路とアンバランス回路の違いというよりはケーブルの質の違いの方が大きいというのが、ベルウッド氏の主張。ごもっとも。ベルウッド氏はラダー型の特別なケーブルを使っているのを知っていたので、頼もうかと思ったが、厚かましいと思ったので、代わりに精魂込めてケーブルセッティングをしたのである。(^^)
このようなフル-アン-バランス回路なのであるが、ステレオ片チャンとのマッチングは極めて高かった。DACからすっと一本の線で繋がっている感じである。これは天下のBurmester(ブルメスター)のプリアンプと同様に、リレーを排することでパワーアンプに吸い付くかのようにプリが姿を消すのは、金田式DCプリの真骨頂なのではないだろうか。
このようなシステムに接続するパワーアンプはブリッジであるはずがないのは自明である。P-4600はステレオモードの2ch使用をするよりもアンバランスであるが片チャンしか使わないほうが電源に余裕がでるし、ノイズフロアは半分にはならないであろうが、ステレオ2chよりも低いのであろう。非常に素朴なやり方で、アンバランス回路をくぐってくる粉飾のない純粋なシングルエンドの信号を、これまた片チャンで受けとめて再生するのは、しごく自然な再生音である。そして、こうした素性の良さの一本勝負のようなシステムがクラシック音楽と相性が良いのもまた自明なのであろう。(小結論②)
これは私の感想であるが、おそらくベルウッド氏も同じことを感じたであろう。ただ、こうした簡素さの美学には制限があるのではないか。音量の問題である。また、DSDに特有の音像の揺らぎや艶が聴取しにくい。
ベルウッド氏は原音再生を志向するのは明らかである。私も原音に忠実でありたいと思っている。しかし、ベルウッド氏は私よりも手前から原音再生を志向するので、ベルウッド氏は原音原理主義で、私は中途半端な原音主義である。私が重視しているのはあるソフトである。そのソフトの持っている可能性の全てを感受するのが私の原音主義。ベルウッド氏はおそらく録音と編集の現場に対して、それよりも高い位置付けであると想定されるコンサート、あるいは、そのコンサートの典拠となる楽譜、そしてその楽譜を生み出した実在の作曲家にまで、原音のレファレンスは遡行するであろうし、作曲家の時代にまで話が及ぶであろう。私は音楽芸術に限っては言語的アプローチがあまり得意でないので、中途半端な原音主義に甘んじることにしている。(笑)音楽の知識・語彙の不足と「作者の死」がショートしているんだろうね。(爆) それから、大橋力の「ハイパーソニック・エフェクト」ではないが、耳からだけではなく、体表でも感受したい。また体液と臓器を揺らして体内でも、音を感受したいという欲望も強い。
ということで、音を大きくした場合にはどうなのか?大きくするとはプリの10時を12時にするということである。
固くなる。音像の輪郭線は出ているが、厚みが出ていない。対して、フル-バランス&ブリッジであると、音像の輪郭線は溶解して、厚みが出る。
①フル-バランス・システム
⇒音が小さいと、鮮度の低さが安定感に勝る。音が大きいと、鮮度の低さは目立たず、厚みが出て、音場が180度を超えて来る。例えば、コープランドの銅鑼の伸びはリスポジ手前に見えていたところから、両肩の延長にまで伸び続けきて、「ぼわあぁぁぁ~~~ぁん~~っ」と音像の蕾が展開するので、きつさもない。
②フル-アン-バランス・システム
⇒音が小さいと、鮮度が高く、すっきりとした明瞭な響き。歯切れもよい。DSDが悪いということではないが、PCM音源の方がより適正があるように思える。音が大きいと、厚みが足りず、音像の輪郭線に明瞭さよりも固さの方が目立つ。
☆暫定的なまとめ
DSDとPCMの再生の奥義を探るために、システムを作らなければならない。そしてバランス回路とアンバランス回路とで、どちらを使うのが現在進行形で作りつつあるシステムにおいては望ましいのかを見つけていかなければならない。今回、少し控えめな音量での試聴では、フル-アン-バランスが望ましいと思えた。わざわざバランス回路にする意味が取り立てて感じられないし、鮮度や純度がより高いように感じられたのであった。
今回はミスがあまりに多かったので、もう少し冷静に実験を繰り返そうと思う。
☆補足
HEGELのプリアンプ、P20なのだが底部の前側両サイドに通気口があり一晩つけたままにすると暖かくなっていた。MAY DACのDAC部よりは温度が低いかもしれない。あまり気にしていなかったが、HEGELも暖気に時間が必要なのかも。
藤田真央のDSD256の右手がとろとろの甘い輝きを放ちだしたので、フルバランス&ステレオ片チャンとフルバランス&ブリッジを比較した。
チェックしたものを全部並べてみる。
(一) バランス回路→ステレオ片チャン
(ニ) バランス回路→ブリッジ
(三) アンバランス回路→ステレオ片チャン
(四)アンバランス回路→ブリッジ
☆整合性について
(一)と(ニ)と(三)は繋がりに違和感を感じない。DAC→プリ→パワーと繋ぐ際に送り側の出力インピーダンスが受け側の入力インピーダンスを大幅に下回る必要がある。こうしたインピーダンスの問題には接続するケーブルのタイプも導体径も関係するだろう。したがって、それぞれの整合性は聴いた感じの評価としか言いようがない。(四)は不自然な気がした。ボリュームを2つ付けて、前を絞って後ろを開いている感じがする。
☆傾向
(三)は鮮度が高く、正確である。しかし音圧を上げた場合には(一)と(ニ)よりも、音像の輪郭線が残り、固い。おとなしめのPCMを聴くのにフィットするように思われる。
(一)は、(三)と同じ傾向だが、音圧を上げた時のwarmnessが(三)よりも保持しやすいが、(ニ)よりも閾値が低い。また、おとなしめの曲のDSDを中くらいのボリュームで再生する場合に最もよかった。上記したことだが、私のMAY DACはPCMの出力電圧を1とするとDSDは1/2であり、さらにバランスで出力した場合を1とするとアンバランスで出力した場合は1/2である。つまりDSDのアンバランス出力はだいぶ低くつくのである。これが関係している可能性がある。無論、ケーブルも。このシステムでのDSDに合うRCAケーブルの選択は難しそうだから、自作しながら試してみたらいいか。
(ニ)はとにかくPCMを大音量で聴く場合には圧倒的な効果を発揮する。(一)や(三)で大音量にすると音像が強張り、ぺらぺらした質感(CDリッピング等の解像度の低い音源がもたらしがちの特性)が露呈する。これを(ニ)は乗り越える。もちろん完全にではない。(ニ)にすればハイレゾが不要になるわけではない。しかし爆音派の強力な味方になりる。ブリッジは確かにステレオ2chより鮮度が落ちることはない。しかし、ステレオ片チャンよりも鮮度が落ちる。小さな音量の場合にはブリッジの強大な電力による安定感とダイナミズムが感じられず、鮮度の劣化が表面化するように思われる。しかし大音量にした場合に波形が潰れたようなきつい音が ステレオ片chやステレオ2chよりも、ブリッジは出にくい。
・鮮度:
ステレオ片ch >> ブリッジ ≒ ステレオ2ch
・クリップ耐性:
ブリッジ >>> ステレオ片ch > ステレオ2ch
・chセパレーション:
ブリッジ ≒ ステレオ片ch >>>ステレオ2ch