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第4回:英語を使って「異文化交流」をしたい!と望むあなたに、伝えておきたいこと

ミツイ直子

アメリカ海軍・アルコニス大尉の事件

今月半ばに、とある事件を知りました。以下、NHK News Web(https://www3.nhk.or.jp/lnews/shizuoka/20240113/3030022718.html)からの引用です。
 
「2021年5月、静岡県富士宮市で飲食店の駐車場に車が突っ込み、2人が死亡した事故では、運転していたアメリカ海軍の大尉、リッジ・アルコニス受刑者が過失運転致死傷の罪で禁錮3年の実刑判決を受け、収容されました。
 
アルコニス大尉を巡っては、アメリカ連邦議会の一部の議員がアメリカへの移送を日本政府に求めるようバイデン政権に働きかけていたということで12月移送されていました。移送に関してアメリカのCNNテレビは、ハリス副大統領やホワイトハウスのサリバン大統領補佐官が関わったと報じています。CNNは12日、アルコニス大尉の家族の話として西部カリフォルニア州のロサンゼルスにある刑務所に収監されていた大尉が、仮釈放委員会の命令によって仮釈放されたと伝えました。」

今回は、この事件をきっかけに私が垣間見た「異文化交流」の一面をご紹介します。というのも、それはきっと、日本で英語を学び「異文化交流」を夢見ていると気付きにくい事でもあると思うからです。 

アルコニス大尉の事件への反響

まずは、この事故によりご逝去された方々に深い追悼の意を表したいと思います。ご家族の皆さまには心からのお悔やみを申し上げます。

1月12日にアルコニス大尉が仮釈放されたというニュースが出た際、X(旧Twitter)では多数の不満が出ました。というのも、アルコニス大尉は日本で3年の実刑判決を受けたにもかかわらず、その半分以下の期間の服役で仮釈放されたのです。それに対し、多くの人は「きちんと罪を償うべきだ」「(服役期間が短縮されるのは)White Privilege(白人特権)だ」と発言していました。

特に、CNNのキャスターであるジェイク・タッパー氏がアルコニス大尉の仮釈放を喜んだ投稿をしたことで(https://twitter.com/jaketapper/status/1745916091988095042)、この件はより多くのアメリカ人と日本人の怒りを引き起こすこととなりました。以下にタッパー氏の投稿と、それに対するいくつかのコメントをご紹介します。

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【タッパー氏の投稿】

GREAT AND BREAKING NEWS! This morning the US parole commission ordered the full parole and immediate release with no supervision of Navy Lt Ridge Alknois Here’s a picture of the Alkonis family, reunited!!!(@jaketapper)

訳:素晴らしい速報です!今朝、アメリカの仮釈放委員会は、海軍大尉リッジ・アルコニスの完全な仮釈放と監督なしの即時解放を命じました。こちらは再会を果たしたアルコニス家族の写真です!(※X上には家族写真も掲載されています。)

【タッパー氏の投稿に対するコメント】 

“He ran over and killed 2 Japanese civilians and was only sentenced to 3 years prison, and didn't even have to serve that because of privilege. This is not a story you should feel good about” (@steinkobbe)

訳:彼は日本の市民を2人轢き殺し、たった3年の実刑判決を受けただけ。更には特権を利用し、定められた期間の全てを服役することもしませんでした。これを良い話だと感じるべきではありません。

“WTF Jake & @CNN, the guy killed 2 innocent people. What’s so celebratory about. What if that’s the other way around. What if the victims were Americans and the driver was Japanese. What’s the matter with you. Can’t you be a bit more sensitive and discreet? Shame on you.” (@TrinityNYC)

 訳:何を考えているんだ、JakeとCNN。その男は無実の人を二人も殺した。どこが祝うべきことなんだ? もし立場が逆だったらどうだ? 犠牲者がアメリカ人で運転手が日本人だったら。どうしてそんなに無神経なのか。もう少し配慮し控えめにできないのか?恥を知れ。

“While I'm willing to accept a properly adjudicated sentence even if it is lighter than many might think fair given the tragic deaths he caused, celebrating his release should be reserved for his loved ones — I will pass.” @durwoodg

 訳:彼が引き起こした、悲惨な死にもかかわらず多くの人が不公平だと思うかもしれない軽い判決であっても、それが適切に裁定されているのであれば受け入れるつもりですが、彼の釈放を祝うのは彼の愛する人達に任せます――私は見送ります。


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他にも「殺人者の笑顔の写真なんて掲載すべきでない」というコメントや、「これは人種差別だ」というコメント、そして「白人だからってこんなに優遇されるのか。未だにアメリカでは黒人の権利を主張する運動がなくならないわけだ」というようなコメントもありました。

でも、ほとんどのコメントが「偏った意見」になっていたことも一目瞭然。前々回の記事で書いたように(第2回:「多様性を認める」に挑戦したいあなたに、お薦めしたいこと)「偏った意見」になった時には「自分には見えていないことがあるのかもしれない」と疑うことが大事です。ですので、ここではアルコニス大尉やタッパー氏サイドの事情も考えてみましょう。  

「自分には理解し難しい人達」の視点も考慮する

皆さんも考えてみてください。

「皆さんが〈アルコニス大尉〉だったら……」

あなたは仕事で海外に暮らすこととなり、休暇中に家族と共にその国の観光地へ行った。自分が話せない言語を一日中聞き、慣れない土地を運転し、それでも家族と楽しい時間を過ごそうと最善を尽くしていた。疲れた中、奥さんに運転を変わることもできなくて、自分が運転するしかなかったのかもしれない。そんな中、死傷事故を起こしてしまい、服役。異国の地で服役を強いられるストレスは多大なものだろう。1年以上服役をし、ようやく自国に戻ることが出来、そのまま自国でも服役を継続。それがようやく仮釈放となり、1年半以上ぶりに家族と再会することができた。
そうしたら「笑顔での家族写真」を撮るのは自然ではないでしょうか? それは、犯してしまった罪を反省しているかどうかとは関係のないことですよね。 

「皆さんが〈アルコニス大尉の奥さん〉だったら…」

あなたはご主人を自国に連れ戻したかったので、賛同者を集め、各地で集会を開いた。まだ幼い3人の子どもの世話をしながら必死だったろうし心細かったはずだ。インスタグラムには2万人以上のフォロワーが集まり、時にはその人達から寄付金をも募った(https://www.instagram.com/bringridgehome/)。
ご主人の帰国と仮釈放が達成された後に家族写真をインスタグラムに公開するのは、応援や寄付をしてくれた方達への「報告」「義務」でもあると考えられます。

「皆さんが〈タッパー氏〉だったら…」

あなたはCNNのキャスターとして1日にいくつものニュースをXに投稿している。もしかしたら中にはスタッフが投稿を指示したものもあるかもしれない。彼の意に沿わぬものもあるかもしれない。全て自分の意思で投稿をしているとしても、偏向報道をしていると騒がれることが多いCNNで働くことで、自分自身も偏った意見を持つようになっている可能性もある。

「皆さんが〈口利きをしたと言われている政治家達〉だったら…」

あなたは再選を強く望んでいる。一般市民に自分の価値を認めさせるためにも「自分の株をあげる機会」があれば直ぐに飛びつき、より多くの支持率を得なくてはいけない。アメリカでは「軍人」は市民からヒーロー扱いされることが多いので、軍人であるアルコニス大尉を助ける行動することで支持率が上がることを期待したかもしれない。
事実、ユタ州上院議員はこの話題に飛びつき「アメリカの国防総省は日本との地位協定を更新し、駐留米軍の権利を保護する必要がある」と軍人贔屓の発言をしていました(https://twitter.com/BasedMikeLee/status/1747332975677919321)。

強調しておきますが、私はアルコニス大尉が仮釈放されたことを喜んでいるわけでもなければ、それに対し過度に批判的な気持ちも抱いていません。どちらかというと「何事も、国や裁判所が決めたことなら仕方がない」と受け入れる姿勢でいます。それでもこうして各方面の “Where they are coming from” を知ろうとすることは大切なことなのです。

この事件で明確化した、意外な?日米の異文化ポイント

そもそもアルコニス大尉は「居眠り運転で二人の人を殺めた」ということで3年の実刑判決を受けたにもかかわらず、その半分以下の期間の収容で仮釈放されました。例え政治家の口利きがあったとしても、どうしてアメリカの仮釈放委員会は彼の仮釈放を許可したのでしょうか?

実は、日本とアメリカでは「居眠り運転」に対する「罪の重さ」の認識が異なるのです。

三井住友海上のウェブサイトによると、日本では居眠り運転によって死傷事故を起こした場合、過失運転致死傷罪にあたり「刑事罰として7年以下の服役・禁固、または100万円以下の罰金が科される」ことがあるそうです(https://www.ms-ins.com/labo/higoro/article/083.html)。そしてアルコニス大尉は3年の服役が言い渡されました。

アメリカでは、州によって法律が微妙に異なるのですが、その死傷が「意図的に行われたのか」「(意図が一切ない)事故だったのか」で罪の重さが大きく変わるようです。The San Diego Union Tribune のウェブ記事によると、アルコニス大尉のケースでは(同じ事故をアメリカで起こしたとしたら)10ヶ月から16ヶ月の服役が適切だと判断されるようです(https://www.sandiegouniontribune.com/news/california/story/2024-01-12/navy-officer-whod-been-jailed-in-japan-over-deadly-crash-now-released-from-us-custody-family-says)。そしてアルコニス大尉は16ヶ月以上の服役を終えたうえで、仮釈放となっています。

多くの日本人は「意図的であろうと事故であろうと、二人の人を殺めてしまったのだから3年の服役でも短いくらいではないか?」と思うようです。そして「眠かったという自覚もあったのに休憩を取らずに運転をし続けたのは彼の判断ミスであり、故にそれ相応の罪を償うべきだ」とも。

でも、それはあくまでも「日本人の感覚」なのです。


アメリカでは、アルコニス大尉の死傷事件が「(意図が一切ない)事故」だと認識された以上、その出来事は「コントロール不可」「タイミングが悪ければ誰にでも起こり得る」と判断されるようです。そして服役期間は短くなるわけです。
  
それが「アメリカ人の感覚」なのです。


……とはいえ、もちろん個々それぞれが持つ「認識」「感覚」には違いがあります。ですので日本人でもアメリカ人のように感じる人もいれば、その逆もまた然り。あくまでもここでご紹介しているのは「一般的に」というお話です。

ただ、こうした違いを理解せず、どんなに頑張って自分の意見を英語で説明しても、皆さんのアメリカ人の友人には「共感」されないかもしれません。その場合、悲しくなるでしょうし、やるせなくもなるでしょう。でも、そうして「どうしても分かり合えない」という複雑な想いを抱えることも「異文化交流」の一部なのです。 

「異文化交流」に必要な「人間性」

海外の人達と雑談をすること〈だけ〉が「異文化交流」ではありません。
多国籍料理フェアで海外の料理に挑戦すること〈だけ〉が「異文化交流」ではありません。
海外留学をして現地の人達と触れ合うこと〈だけ〉が「異文化交流」ではありません。
 
楽しいこと〈だけ〉が「異文化交流」ではないのです。
 

アルコニス大尉の事件で、例えばタッパー氏相手に「どうしても分かり合えなさそうだという事実に対して歯がゆい気持ち」を持ち、それでも相手を理解したいし、自分をも理解してもらいたい!と〈諦めない〉のが「異文化交流」なのです。
  
自分の偏った(でも自分では偏りに気づいていない)意見を声高に叫び、自分と異なる意見を持つ相手を非難をするようでは、上手に「異文化交流」が出来ているとは言えないのです。
  
   
英語を学んだからといって、上手に「異文化交流」ができるわけではないのです。
英語が話せるからといって、上手に「異文化交流」ができているわけではないのです。
 
上手に「異文化交流」をするには、それができるだけの「人間性」を育まないといけないのです。


以前、とある英語講師が業務の一部を外部委託した時、委託先の会社がヨーロッパにあることから領収書の切り方がヨーロッパ式になっていたそうです。その英語講師は「なぜ日本式で領収書を出してくれないのか?」と文句を言っていました。
 
この人は、上手に「異文化交流」ができていると思いますか?
 
「異文化を持つ者同士で交流をする、仕事をする」というのは、そういう不便さと付き合うことでもあるのです。そういう不便さがあっても、コミュニケーションや仕事が円滑に進むように相手を思いやり、相手に伝わりやすい説明を心がけ、相手と協力していくことなのです。適切に自分の希望を伝えもしないで「自分の思い通りにならなかった」と怒っても、明らかに問題はその人にあります。このように、英語ができても上手に「異文化交流」が出来ていない人は、実は沢山いるのです。


ですので「英語を使って異文化交流をしたい!」と望む方には、英語そのものだけでなく、こうして人として成長していくことも大事にしてほしいと思います。そうでないと、どんなに英語が上手だとしても、上手に「異文化交流」をしていくことはできないからです。

上手に「異文化交流」をするためにも大切な、人としての成長

以前、私はFacebookでこうした内容の投稿をしました。
 
 I want to proudly share about my son’s growth. Initially, he was deeply hurt and puzzled why his classmates were so cruel and prejudiced when they made negative comments about his friends with disabilities. At that time, he described them as ‘ignorant’ and ‘close-minded.’
 However, under the guidance of his teachers, my son came to understand that those children he thought were ‘ignorant’ simply hadn’t had the opportunity to learn about the positive aspects of children from different groups. He also learned that everyone learns different things at different times, so it’s okay that those children haven’t learned these lessons yet.
 Furthermore, he realized that the term ‘ignorant’ should not be applied to them, or anyone. Using that term would mean he is only seeing a limited aspect of those children, ignoring the good in them. And if he were to label someone as ‘ignorant’ based only on one side of them, it would mean he himself is being judgmental and close-minded.
 Witnessing the evolution of his perspective throughout his last school year has been incredibly impressive and an amazing experience for me. I am deeply moved and very proud of his growth.

訳:私は息子の成長を誇りを持って共有したいと思います。当初、彼は障がいを持つ友人達に対して同級生が否定的なコメントをした際、なぜ彼らがそんなに残酷で偏見に満ちているのかと深く傷つき、困惑していました。その時、彼は彼らを「無知」と「閉鎖的」と表現しました。
  しかし、先生方の指導のもと、息子は自分が「無知」と思っていた子ども達は、単に異なるグループの子ども達の良い面について学ぶ機会がなかっただけだと理解するようになりました。また、誰もが異なる時期に異なることを学ぶので、それらの子ども達がまだその教訓を学んでいなくても問題ないのだと学びました。
  更に、彼は「無知」という言葉を誰に対しても使うべきではないと気づきました。その言葉を使用すると、彼はその子ども達の限られた側面だけを見て、彼らの良い点を無視してしまうことになります。そして、もし彼が誰かを一面だけで「無知」とレッテルを貼るなら、それは彼自身が偏見を持ち、閉鎖的になっていることを意味します。
  息子が小学校最後の年に、こうして彼の視点の進化を目の当たりにできたことは、非常に印象的で素晴らしいことです。彼の成長に深く感動し、非常に誇りに思っています。

―――――――

昔と比べると、日本にも英語を話せる人が増えてきたように思えます。では「異文化交流」をする器も育っている人が増えたか?というと、そこはまだまだ努力が必要なのかもしれないと感じます。

でも、この時の息子は11歳でした。11歳の子どもがこうした視点を持てるのです。私達大人も、こうした視点を持てるはずです。誰に対しても「無知」だとか「閉鎖的」だとか決めつけず、相手の事情を考えてみることができるはずです。 
 
楽しいことだけが「異文化交流」ではありません。時に、分かり合えないことに悲しくなったり、絶望感を覚えたり、やるせない気持ちになったりもします。それでも、短絡的に相手を非難したりするのではなく、相手の言語ゲームに参加する意識を持ち、”Where they are coming from” を知ろうとすること。とてもシンプルですが、決して簡単ではありません。意識をしないと出来ないことだと思います。

それでも、我が家の息子でも出来ていることです。

ですので、皆さんにも挑戦してみていただきたいと思うのです。特に、「英語を使って異文化交流をしたい!」と望む方には。



さて、全4回に渡る私ミツイのブログ連載はこれでお終いとなります。読んでくださり、そして沢山のご感想もくださいまして本当にありがとうございました。
 
皆さんの英語学習が、今後も発見と喜びと輝きで満ち溢れますように。
  
Happy Learning & Happy Teaching!!!!!

この記事を書いた人:ミツイ 直子
神奈川県生まれ。高校卒業後、単身渡米。州立モンタナ大学にて言語学・英文学・外国語教授法・コミュニケーションスタディーズを学んだ後、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校にて社会言語学と人類言語学を学び、修士号を取得。多くの米国駐在員や留学生、海外在住日本人を始めとするハイレベルの英語力を目指す学習者や日本人英語講師に英語を教えている。留学プログラムや英語教材開発事業にも携わった経験を踏まえ、英語講師のカリキュラム作成や教材開発の手助けもおこなっている。現在は家族とカリフォルニア州オレンジ郡に在住。

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