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言葉は話すためにある ー勉強だけではもったいない! #1
第1回 内モンゴルで出会った日本とのつながり
青木隆浩(言語学者)
1.自己紹介
みなさん、こんにちは。今月のnoteを担当させていただく青木です。私は様々な民族や言語文化に関心があり、言葉を学んで人と交流し、文化に触れるのが好きです。このシリーズでは私がこれまで出会った人々との交流、語学学習の方法などについてお話ししたいと思います。
2.内モンゴルで日本とのつながりを知る
2003年の夏の終わり、私は初めて中国・内モンゴル自治区東北部のラシャーン(モンゴル語で「温泉」)を訪れました。
そこはモンゴル国との国境近くで、警備が厳しい所です。
汽車で駅に到着すると、身分証明書のチェックがあり、私がパスポートと学生証を見せて留学生で観光に来たと言うと、検査員は立入禁止地区を教えくれました。その検査員の彼は私と同い年のモンゴル族で、私たちはすぐに意気投合しました。
彼は、「ラシャーンを含めた内モンゴル東北部は1930年代に日本が満州国として支配し、領土拡大をめぐっての激戦地・ノモンハン事件の舞台であった」と教えてくれました。
ここには当時の日本人が残した遺跡が点在しており、中でも駅舎は1937年に日本人の手によって建てられ、文化財に指定されているそうです。
満州鉄道の終着駅であり、モンゴル高原にふさわしく、和洋折衷の趣を持った山小屋のような美しい駅舎です。地元では、「日本の建物は半世紀以上たった今でも崩れない」と言われているそうです。
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現在は静かに時が流れる
3.多様な民族が暮らす内モンゴル自治区
内モンゴル東北部は様々な民族が暮らす多民族地域であり、漢民族の他、モンゴル族、ダグール族、エウェンキ族などが暮らしています。いずれも独自の言語を持っていますが、ダグール族とエウェンキ族は文字を持たず、口伝えで言葉や文化を伝承してきました。
漢民族やモンゴル族のように文字を持つ民族は民族学校に通い、母語で書かれた教科書で勉強することができますが、文字を持たない民族は漢民族やモンゴル族の学校を選ばなくてはなりません(中国語はいずれの学校でも必修科目)。
現地では漢民族が多数を占めるので、少数民族も将来の進学や就職のために中国語を選択する場合が多く、残念ながら民族独自の言語文化は失われつつあります。
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看板にはモンゴル語と中国語の両言語が記載されている
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左からモンゴル語、チベット語、漢語(中国語)、満州語で寺の名前が併記されている
王朝が変わるごとに異民族に支配され、多くの民族が共存する地域らしい光景
4.日本語が堪能なお年寄りとの出会い
内モンゴルで多様な民族文化に触れたことがきっかけで、私はモンゴル語を学び始め、その後もたびたび内モンゴル各地を訪れ、現地の人々との交流を続けました。
かつて日本人が満州国として支配していたため、現地のお年寄りには当時日本語教育を受け、流暢な日本語が話せる人もいます。
2007年には、ダグール族の知人のご厚意で、元民族歌舞団のモンゴル族やダグール族のお年寄りたちが集うパーティーに同席させていただきました。
彼らは「私は国民学校の3年生です」「私は女学校の1年生です」などと、流暢な日本語で挨拶をしてくれます。おそらく当時学校で覚えたフレーズなのでしょう、とても楽し気に話してくれました。
ところで、彼らの日本語を聞いていて気付いたことがあります。ショーの合間に、「いかがですか?」と日本語で尋ねてくれるのですが、「が」の鼻濁音がきれいに発音され(最近は日本人でも鼻濁音を発音しない人が多いです)、語尾やイントネーションも非常に丁寧で聞き心地がよいのです。
戦時中は良くも悪くも言葉遣いや礼儀作法に厳しかったため、きっと「洗練された日本語」を教えられたのでしょう。戦後数十年の歴史の中で、日本は社会システムだけでなく、言葉(特に文体)が大きく変化しましたが、戦後日本との往来が途絶えた地域では、当時の日本語がまるで「化石」のように残っているのですね。
当時の歴史を知る人々、民族の言葉を話せる人々、日本語を話せる人々は、高齢化によりどんどん少なくなっています。私たちが彼らの話を生で聞ける最後の世代となるかもしれません。
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いずれも元民族歌舞団のメンバー
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幼少期に日本語教育を受け、日本の童謡を懐かしそうに口ずさんでいた
青木隆浩(あおき・たかひろ) 東京外国語大学大学院修了。桜美林大学孔子学院講師。高校より中国語を学び、在学中に日中友好協会主催のスピーチコンテスト全国大会で優勝。また、中国政府主催の漢語橋世界大学生中国語コンテスト世界大会で最優秀スピーチ賞受賞。北京語言大学に3年間留学。
著書に『ひとりで学べる中国語 基礎文法をひととおり』(共著)、『基礎から学ぶ 中国語発音レッスン』(ともに小社刊)、『マンガで身につく!中国語』(共著、ナツメ社)などがある。