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ドイツでの出産-出産当日-


ドイツの人々は妊婦にやさしい。
日本のように、電車でおなかをさすっていて、「自慢か?」と陰口をたたかれることもない(笑)。

電車やバスではみんな当たり前のように席を譲ってくれるし、スーパーではレジに並んでいると、列の前のほうにいる人が手招きをして前に入れてくれたりする。もちろん、それに対して文句を言う人は誰もいない。
私は高齢であることもあって妊娠中は心配がつきなかったが、そんな心がやさしくなれる出来事が頻繁におこる環境のおかげで、楽しい妊婦生活を送ることができたと思う。

さて、そんなこんなで迎えた出産当日のこと。

陣痛は、予定日の数日前にはじまった。
まずは下腹部の鈍痛。すぐにどうこうということはなさそうだけど、外出はムリだなというかんじ。
それが少し強くなってきたところで、夫と一緒に産科に向かった。
いよいよかと思ったのに、産科では、子宮口が開いていないから2日後にまた来てね、予約しておくからと言われて、あっさり帰宅をするはめに。
その日は、痛みと不安と興奮とで、眠れない夜を過ごした。

翌日。病院からは、この日はまだ一日、家にいるようにとのことだったが、夕方になるにつれ、どんどんどんどんしんどくなっていった。
時々襲ってくる、何にも例えようのない痛み。
うーんと前かがみになりながら、考えた。これは、前日に産科で言われた「あきらかにわかる痛み」なのだろうか?でも、我慢しろと言われれば、我慢できないこともない。じゃあ、まだ違うのか。昨日のように、病院に行ったのにまた帰宅なんてことは絶対に避けたい、、、等々。

仕方がないから、気を紛らわせるためにも、ひとまず夕食を作ることにした。空腹は全く覚えなかったが、この後、その「あきらかにわかる痛み」がいつくるかわからないし、いずれにしても腹ごしらえは大事だと思ったのだ。とにかく病院に行けない以上、できるだけいつも通りに過ごそうと思った。そうすれば痛みも気のせいだと思えるかもしれない。

出産前の最後の晩餐は、忘れもしない、インスタントのソースを使ったナスの味噌炒め。茄子を切って炒めるだけなのに、何度も料理の手を止めてうなったことを覚えている。
今でもナスのみそ炒めを作る・食べるときにはこのときのことを思いだす。痛みで前かがみになって、フライパンに顔がつきそうなくらいの距離でナスを炒めていたことを。

ようやく作り終え、痛みに耐えながら食べていると、見かねた夫が病院に行こうと言ってくれた。正直、自分ではもう判断することができなくなっていたから、そういってもらえて助かった。

産科につき、車を降りてからも痛みに何度も立ち止まり、休憩をしながらようやく診察室に到着。診察室の扉を開き、看護婦さんの顔を見たら、「ああ、これで楽にしてもらえるんだ」と、涙が込み上げてきた。
その時に、自分でも、私は本当はすごくしんどかったんだなと知った。下手に我慢強いとこんなことになる。

ところが子宮口は開いていない。しかも、産科は今日はいっぱいで空きがない、とのこと。
ただ、しんどそうな私を見て帰れとは言えなかったのか、救急車で別の関連の産科に搬送してあげる、と言ってくれた。

人生初の救急車!?

なんだか大げさな気がしたけど、私に他の選択肢はなかった。

一方で、乗るときまったら、この機会を逃す手はないと思った(笑)。
職業病だ。救急士さんと接する機会なんてめったにないじゃない、と思ったら、搬送されている間はインタビューの時間に使わねばと思ったのだ。
だから、搬送されている間、呼吸を整えながら、救急士さんにいろんな質問をした。
ただし、残念ながらこの時の会話はまったく覚えていない。頑張ったところで、やっぱり陣痛に気を取られて、集中できていなかったのだ。当然か、、、。

病院に到着し、分娩室に運ばれて、さあ、本格的にいきむ、、、はずだった。ところがやはり、子宮口はまだ開いていないという。
産科の先生は、でも、もう家に帰るのは嫌でしょ、だったら無痛分娩にして、少し寝て、そのあと頑張ればいいわ、もうここで産みましょう、と言ってくれた。

痛みとしんどさに飽き飽きしていた私は、はいはい、お願いします、と即答。この頃には、救急車を追いかけてきた夫も、チョコクロワッサンを片手に(!)、病院についていた。

無痛分娩に同意する書類にはもともとサインしてあった。が、それはいざというとき用であって、普通は使わないものだと思っていた。
だけど、もうそんなことは言っていられなかった。とにかく一刻も早く、この苦しみから解放されたかった。切り傷や打ち身、下痢の時の腹痛などの痛みとはまた違う、これまで経験したことのない、なんともいえない苦しさだった。

腰に注射をうたれ、すぅーっと痛みが消えると、本当に2時間ぐっすりと寝ることができた。この間、無痛にせずに、ずっと苦しんで子宮口が開くのを待たねばならなかったとしたら、体力を失って、本番を迎えられなかったのではないかと思う。

2時間後、痛みのないまま、そろそろよ、と言われ、平常心で出産に臨んだ。痛みがないから、いきんで!と言われても実感がわかない。自分がちゃんと力をこめられているのかどうかもわからない。出産の真似事をしているようだった。
この間に、赤ちゃんも疲れてしまったようだった。助産婦さんは最後まで、私の力で産めるよういろいろアドヴァイスしてくれたが、途中からもう危険だと感じたらしい。最後はおなかをぐぅっと押されて、ようやく出産に至った。他人の力を借りまくりの出産。まあ、それもよいだろう。

日本では賛否両論のある無痛分娩
私はそうするつもりもなく、結果、無痛分娩になったが、あのときはその選択しかなかったと今でも思っている。
逆に、無痛にするつもりでいて、その時間がなく子どもが生まれてしまった、なんて話も聞く。
計画通りにいかないのが出産なのだ。

それとは別に、痛みを伴わないと愛情が薄れる、という意見には、無痛で産んだ私がいっても説得力はないかもしれないが、関係ないと思っている。
私がこれまで、子どもと接していて、この子は無痛分娩だったから、と考えたことは一度もない。

もちろん、絶対に無痛なんてありえない、という意見を否定するつもりはない。そうすることで、子どもにたっぷり愛情を注げるのなら、それに越したことはない。
そうしなくても愛情が注げるなら、それもよし。
要するに大事なのは手段ではなく、結果だと思うから。


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