地獄の映画学校時代についての話②
シナリオ。
それは文字で書かれたドラマ。
脚本とも呼ばれる。
登場人物の動きの部分をト書き。
登場人物が喋る言葉は台詞。
ドラマの外から説明する声をナレーション。
シナリオは小説と似ているようで違う。
シナリオのト書きに心情は書かれない。
視聴者が目で見ることが出来るものしか書いてはいけない。
その時、彼は懐かしい気持ちになった。
こんなことをト書きに書いても意味がない。
映像で視覚化できないから。
だから例えば、
昔の写真を眺めて微笑する。
などといったことを書いて表現する。
映像における心情とは行動なのだ。
動かないで表現することもまた行動。
それには高い芝居力が求められるだろう。
少なくとも、音響やロケーションも使って表現するだろう。
寂しさを表現するなら風を吹かせて木の葉を舞うようにするかもしれない。
それが演出だ。
しかしここは難しいところ。
演出は脚本家の領分なのか、監督の領分なのか微妙な境界だからだ。
だからシナリオは動きと台詞の比重が大きい。
よってシナリオは映像の設計図と呼ばれる。
設計図がガタガタの建物が建造後どうなるか、おおよそ検討はつくだろう。
それは映像においても同じ。
つまり、脚本執筆は楽ではない。
そんな脚本およびシナリオについての記憶。
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120枚シナリオ。
夏休みに入る一週間程前から始まった。
まずは自分の考えたアイデアを簡単にまとめて講師に提出する。
この課題の為に、脚本家の先生が外部から特別講師として参加していた。
僕は家に帰った後、一夜の間にアイデアを練った。
必死に考えて、原稿用紙に書き付けた。
僕のアイデアはたった一行で終わった。
翌日、脚本講師に原稿用紙を渡した。
たったの一行。
貧相なアイデアを読んだ講師は顔を上げて僕を見た。
うん、面白い。
僕は内心喜んだ。
このアイデアは何か元ネタがあるの?
いえ、自分で考えました。
得意満面にならないよう気を付けながら、鼻の穴を膨らませて僕は答えた。
完全なるオリジナルアイデア。
それを面白いと言われた。
やはり自分には才能があるらしい。
入学当初、担任に聞かれたことがある。
本は読むか?
僕は当時、読書をしたことが全くなかった。
入学して間もなく、物凄く短いシナリオを書く授業があった。
自分の考えたお話を物語に落とし込んでシナリオ化した。
それを読んだ担任は次々と赤を入れていった。
矢継ぎ早。
全て読み終えてから僕を見て言った。
もっと本を読んだ方がいいぞ。
その顔は苦笑に満ちていた。
僕の文章は日本語としてめちゃくちゃだったらしい。
高校の時、現代文の試験で学年2位に何度かなったことがある。
国語など勉強せずに出来た。
問題用紙にある問題文を読めば大体分かった。
それなのに文章ガタガタ。
120枚シナリオにおいて、僕の出したアイデアはこうだ。
予知能力を持つ占い師の女が、他人の運命を変えることを趣味にしている。しかし自分の運命だけがどうしても変わらない。自分の運命を変えたくて四苦八苦する彼女の物語。
さっそく講師と構想を練っていった。
いくつかアドバイスをもらい、帰宅して書き出しに掛かった。
翌日、書いてきたものを読んでもらった。
講師は読み終えると顔を上げて言った。
僕が思っていたよりも、君は書ける子かもしれない。
僕は照れ笑いした。
120枚シナリオは難しかった。
まず長さ。
200字詰めの原稿用紙を使う。
小学校の作文で使っていたのが400字詰め。
あれを半分に切ったようなやつに書いていく。
ペラと呼ばれる。
ペラ一枚、200文字。
一枚分が映像化すると大体1分になるらしい。
それを120枚。
ようするに2時間の映像作品を書くわけだ。
生まれてこの方、そんなに長い物語を書いたことなどない。
当時の僕にはあまりに高いハードルだった。
そもそも漫画やアニメ、特撮ばっかり観ていた当時、人間ドラマを作るなんて想定することすら覚束ない。
夏の入口。
日差しと暑さの中、学校近くの喫茶店で講師と待ち合わせして打ち合わせを続けた。
アメリが好きならそれを真似しちゃえば良いんだよ。
講師が言った。
つまり少しおかしな女の子の、少しおかしなラブストーリーにしなさいということだった。
ここで話が繋がった。
シナリオの中身のことではない。
以前、講師が口にした
元ネタはあるの?
という言葉。
あれは僕のアイデアが斬新だったから出た言葉ではなく、ゆくゆくは元ネタを真似る必要が出てくることを想定しての事前確認に過ぎなかったのだ。
ラブストーリーを書く?
僕にはもう何が何だかちんぷんかんぷん。
ラブストーリーなんか作ったことがない。
夏休みに入った。
毎日ぐだぐだして羽を伸ばす。
あっという間に8月。
お盆。
下旬。
2学期がそろそろ。
僕は20枚ほどの所で行き詰まっていた。
夏休み最終日。
もうとっくに、完成は諦めた。
2学期。
クラスでおそらく唯一、僕は120枚シナリオを提出しなかった。
特に怒られなかった。
毎年何人かそういう奴がいるのだろう。
また辛いことから逃げた。
きっとそう思われただけだ。
校舎の入口付近で僕は佇んでいる。
各クラスで提出された120枚シナリオのうち、評価の高かった作品の名前、書いた生徒の名前が掲示されている。
どれも面白そうなタイトル。
中には既存のアニメやドラマ、映画のタイトルを真似ている物もあった。
パクリというか憧れだろう。
少し見下す気持ちが宿る。
でも僕は書き上げることすら出来なかった。
優劣は明らか。
掲示される名前が眩しく映る。
明確に、将来を感じられる人々。
僕は。
遠い世界にも感じられる壁に背を向けて、教室へ戻って行った。
あの光景は忘れない。
人間研究、120枚シナリオときて、いよいよ撮影実習が始まることになった。
10分程度のショートフィルムだ。
クラスの誰かが脚本を書き、それを映像化する。
脚本執筆は立候補制。
当然僕は手を挙げなかった。
何人かが名乗り出て、数日後脚本が提出された。
担任が映像化出来そうな物を選んだ。
それをさらに担任の手で改稿する。
担任のもう一つの肩書きは脚本家だ。
かくしてシナリオは完成した。
人生で初めての
映画撮影
というものが始まる。
僕はこれからどうなるのだろう、と感じ始める。
この映画学校で。
何一つとしてやり遂げていない。
③にまだ続きます
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