いつでも逆転の機会はそばにあります。気づけば。
新学期が始まって,慌ただしい日々が始まっています。
なぜかそんな状況の中でこそ,noteを書きたくなるんですよね。
きっと,noteというのは,私の中で慌ただしい中で一息つける場所なのだと思います。
PCに向かって,まとまった時間を使ってものを考えて書く,という時間はなかなか取れませんから。
職員室にいると,とにかくいろんなものの対応に追われます。イレギュラーだらけ。まとまった時間をとれる方が珍しい。
若い人がたくさんいれば,それだけエネルギーに満ち溢れていますから,四六時中何かが起こって当たり前です。慌ただしいのは,安心すべきことなのかもしれません。
だからこそ,バランスをとるために自宅ではゆっくりとした時間を過ごしたい。noteを書くのも,そんな中のひと時です。
「情報化社会」と言われて,もう何年たつのかわかりませんが,まさにそんな社会だなあと思うことがありました。これはある生徒の話。
その生徒は何かにつけて「めんどくさい」と言ったり,「人のせい」にします。そしてそれに慣れきってしまっているので,まあ屁理屈を言うのが得意なんですね。それを使って言い訳ばかりしている。一例を挙げると,
生徒「先生,袋が破けました」
些細なことのようですが,明らかに被害者のような表情で言ってきます。
私「破けたんじゃなくて,破いたんじゃない?それを扱っていたのは誰?」
生徒「私です。でも破けたんですって!」
私「袋は勝手に破けないでしょう。超常現象でも起きたんか」
生徒「そりゃそうですけど。。」
私「雑に扱ったから破けたんだよね?大切に扱えば破けないよね?」
生徒「そうですね。。」
どうやら納得はしていない様子。それは当たり前で,これはあくまでも一例。
何かを忘れたり,何かミスをしたりするたびに,「お母さんが●●してくれなかった」「これ(物)が小さすぎるのがいけない」など,一生懸命「私は悪くない」ということをアピールしていますから,私の言葉は,本人の「当たり前のライン」に全然乗らないんですね。
本人は,「私が悪いということは一つもない」世界で生きてますから。これを社会では「わがまま」と言いますが,まだ幼いその生徒にとっては,「わがままだ」と言っても響きません。本人はそんなつもりないですから。
「何言ってるの?この先生全然わかってない」。以上。
こういう話をすると,「恵まれてるんですよその子は」と思われると思いますが,その通り。とても恵まれてるんです。
恵まれてるだけに,これから学ばなければならないことも多いんです。
こういうところから,物質的な豊かさと,人としての豊かさは別で,うまくバランスが取れているなあと思います。
もちろん,物質的にも豊かな方が良いですけどね。でも見方を変えれば,その生徒にはちゃんと「生きる意味」が与えられていると感じます。神様はいつでも愛であふれています。
それはさておき,これからいろんな困難にぶつかるであろうその生徒ですが,それを乗り越えるために,教師としてはできるだけ何か答えを用意しておきたい。出会ったのも何かの縁ですからね。
問題解決の手法として,個別の状況での解決策はそれぞれにあるものの,根本原因はいつでも考えていたい。
それについては,斎藤一人さん「ボーリングのヘッドピン」の理論が個人的には好きです。
投げる人の向かって一番手前にある一つのピンを「ヘッドピン」として,そこを倒せば後ろが連鎖的に倒れていく。
逆に言えば,後ろの方ばかり狙っていては,連鎖的に多くのピンを倒すのは難しいということです。
シンプルに言えば,「根本原因」を探して,そこにアプローチせよということです。
その生徒の問題解決のための「ヘッドピン」は,「感謝」になるでしょう。
「すべて周囲のせい」ということは,そうできる環境にあるということです。これは,「とても周囲に恵まれている」ということですから,それに感謝できるようになれば,連鎖的にいろんな問題が解決するでしょう。
人だけでなく,物に対しても,感謝して大切に扱えば壊れることは少なくなる。学べる環境にも感謝できれば,忘れ物だって少なくなる。何より,親に感謝することができれば,人間関係も一気に改善に向かうでしょう。親子で来たときは,目の前で親子喧嘩が始まりました。
「わがままな子が増えた」のは,豊かさの裏返しです。豊かさとともに,感謝することの大切さを教えるのはセットだと思います。
思えば,スーッと伸びていく子は,素直な子や,感謝できる子が多い。統計を取ったわけではないのでわかりませんが。逆に,クレームを言うのは,実はあまり出来の良くない子だったりします。
それがわかっているので,「いろんなものに感謝してごらん」とある時言ったところ,案の定,「感謝しても意味ないですよ」と言われました。
当たり前の返しで,だからこそ,これがこの生徒の学びなのだなあと確信に至りました。簡単に「そうですね!感謝してみます!」と言える子なら,こうなっていないですからね。
なかなか難しい課題ですが,見方を変えると,ここまで感謝できない子が、感謝できるようになったら,きっとすごいことになるとも思っています。
これは「めんどくさいことや,みんながやりたがらないことをやると,運気が爆上がりする」理論。他人の喜びに貢献すると,豊かさにつながるということです。
断捨離でも,「大事にしてるものほど手放すと効果がある」と言われています。それまで大きなエネルギーを割いていたものを手放すことによって,大きな変化を起こすきっかけをつかめるからでしょう。
「エネルギー量は常に一定」ですから,ポジティブな何かを始めれば良い。
これらの共通点は,どちらも「大きなギャップ」を利用するということです。
一人だけじゃない,みんながやりたくないこと,例えば公共のトイレ掃除などは,みんなの喜びにつながるもので,かつ多くの人が「自分もやるなんてとんでもない」と思っていることです。
そんなことを,「自分がやるなんてとんでもない」と「大事にしている信念」を断捨離して,「気持ちよく使えますように」と思ってやってみると,とてつもなく運気が上がるそうです。
そう考えると,トイレの清掃員さんなんかは,すごい可能性を秘めています。
何もトイレに限らず,日々の「めんどくさい」をポジティブな気持ちでやってみると,運気は上がっていくようですね。
話がだいぶそれました。悪い癖です。
言いたかったのは,その生徒は,今は日々のミスから,不満を蓄積させ,それが大きなものとなっていますが,大きいからこそ,それらを感謝に変えられることで人生を180度転換できる可能性を秘めているということです。
こう考えれば,どんな人生を送ってきたにしても,いつでも逆転の可能性があるということも理解できます。やはり神様はいつでも優しい。
時間はかかると思いますが,投げ出さないことが私の仕事でもありますから,気楽に楽しみに付き合っていきたいと思います。
冒頭の情報化社会とのつながりが書いてないじゃんと今気づきました。その子はよくもまあこんなにいろんなところ(主にネット)から情報を引っ張ってきて、屁理屈をこねるなあと感心した次第です。
今日は長くなってしまいました。本日も最後までお読みいただきありがとうございます。