見出し画像

僕らはSNSという無限の情報ツールによって実は情報から遮断されているという話

しばらくほったらかしにしてした、自分のSF Tシャツ販売用のオンラインストアを、最近リブートし始めたんですが、それに伴ってブランド用に作ったインスタTikTokYouTubeも細々とですが運用し始めました。今までSNSは個人の発信や交流用途にしか使ったことがなく、Xのアカウントは、今のところそのまま個人アカウントとして使ってますが、他のアカウントは基本的にストアのプロモーションに振っています。コンテンツはAIによって作っていますが(どのようにやっているかはこちらの記事に詳しく書いています)、ブランド用なので、やはりフォロワーやいいね、ビュー数をなんとか増やしたいと思っています。

その中でも、1番新しくて、バズりの法則が明確で、ビジネスツールも充実しているTikTokに注目しているのですが、はじめてビジネスアカウントとして運用する側に回ったことで、見えてきたことがありました。それがタイトルの、「僕らはSNSという無限の情報ツールによって実は情報から遮断されている」という話です。

英語が喋れる人はご存知だと思いますが、SNS = Social Network Systemというのは和製英語で、英語圏では通常「Social Media」と呼ばれます。X、つまり旧Twitterやfacebookが日本でも使われ始めた15年くらい前にこの違いを知った時に、正直日本のSNSという呼び名のほうがしっくりくるなと思いました。先に書いたようにその頃のSNSは、個人のネット上の発信と交流の場で、その場所を提供しているシステムという意味でのSNSという呼称が自分の感覚に近かったのですが、英語圏のMediaという捉え方は、どうも抵抗がありました。それは、我々そのユーザーが陳列台に乗って、誰か違う視聴者にコンテンツを届けているようなニュアンスに感じたからです。

時は経って現在、SNSには新しいものも増え、そこに参加しているユーザー自身のマネタイズの方法も生まれました。SNSはコミュニケーションの場というよりも、いかにコンスタントに多くの人が見てくれるコンテンツを大量に投下できるかというところに重きが置かれ(注目すべき点は、この流れはそこにいるユーザーの願いよりも、その場を提供しているプラットフォーム会社の思惑によって誘導されていることです)、まさにメディア化しています。そう、やはり元の英語圏の呼び方は正しくて、今は全てのSNSは、一般の人にとっては暇つぶしの、コンテンツ発信者にとってはマネタイズの、システムを提供しているプラットフォーマーにとっては収益源泉の、メディアとなっているのです。

元々営利団体である企業が運営しているものなので、この流れは不可避だったかと思いますが、私が使っている上記の主要なSNSも、各々似た仕組みを持ち始めています。それは、ひたすらみんなが最大公約数的にみたいものを提供する、まさにテレビなどのマスメディアが長年行ってきた、バズりの経済です。

私のような、ブランドや企業のビジネス用途で運用する人や、少しでもお金が欲しい人にとって、このいかにバズらせるかというのは、SNSの最も重要な指標になっており、SNSで目に触れるものは、みんながそれをみたいから、という理由で作られるもので占められています。

もちろん、フォローしている人のコンテンツだけを見る使い方にすれば、そうしたことも減りますが、それはそれで、アクセスできる情報の数や種類に偏りができてしまいます。

ちょっと前に、知り合いがXで、「最近のYouTubeは似たようなものばかり見せられてつまらない」とポストしたのをみて、まさにと思いました。自分のタイムラインも、リアクション系、ゲーム配信系、昭和のテレビやライブの切り抜き、などの系統にそって複数のチャネルの似たようなコンテンツが並んでおり、これはTikTokやインスタでも似たような感じになっています(肌感で、インスタは若干この傾向が弱く、コンテンツがばらけている印象)。YouTuberという言葉が出始めだ時は、もう少しタイムラインにあがるコンテンツはばらけていて、まだ素人コンテンツぽさが残っていたり、セレンディピティによる発見もあったような気がします。

TikTokのバズらせ方を解説した動画も沢山ありますが、一言でいうと、「もっとも検索されているジャンルのコンテンツをパクって手を加えろ」というものです。自分のブランディングなど考えず、ただお金を得たい、バズりたいだけであればこの方法は正解でしょう。ただし、そうすると、自分のブランドのコンテンツを認知させるという目的から離れてしまうので、ブランドや企業アカウントは、マスにむけたバズりと自分達を差別化するニッチのバランスを取るのが難しいのですが。。

ただ、一つ言えるのは、この傾向が今後も続いていくと、SNSは強いエコーチェンバーの利いた、独房のような環境になっていくことです。それは一種の洗脳でもあり、麻薬でもあり得ます。

インターネットという物理的な距離を超越できるテクノロジーの申し子として登場し、業界やプロアマに縛られない多様なコンテンツを生み出したSNSが、今、特定のテレビ局や制作会社に牛耳られた古いマスメディア業界のような閉鎖性を持ち始めている状況は、まったく笑えない皮肉だと思いますが、みなさんはどう思われますか?

いいなと思ったら応援しよう!