「100日後に食べられるブタ」への批判が真っ当な理由
流行りに乗っかったような文章ですが、
僕はこのブログをバズらそうとして書いているわけではありません。
ただただ、怒りを書き散らそうという想いでタイピングの手を動かしているだけです。
「100日後に食べられるブタ」への批判が想像以上に少なく、あまり炎上という炎上もしていないのには2つの構造的な理由があります。
一つは、「僕らも普段から動物を食べている以上、動物を殺して食べるということに文句を言う筋合いはない」という詭弁がまかり通ってしまうという構造。
もう一つは、「登録している時点で、100日後にブタが殺され、食べられることに対する期待感を感じているのだから、自己責任」という論理で批判を押さえつけられるという構造。
まず、前者の「あんたもやってるやん」的な詭弁を潰していきましょう。
確かに、僕もあなたも日ごろから肉や魚を食べています。
そのため、生き物を「殺して食べる」という行動自体、僕らも取っているのだから「棚上げするな」理論が通りそうです。
しかし、視聴者の心的な現象だけに目を向けたときに、「不快感を覚えている人」がかなりの割合で存在することは否定できません。
それすなわち、あの動画でやっていることと、普段の食事の間には大きな乖離が存在するということでしょう。
そして、その乖離は、「動物を殺して食べる」という、途中の過程や背景が捨象され切った、もっともシンプルな命題の中には見いだせないことでしょう。
なぜ普段の食事で肉や魚を食うことに対して人間が嫌悪感を覚えないかと言うと、「育てる人(愛着を持つかもしれない人)」「殺す人」「調理したり食べたりする人」が別々だからです。
それではなぜ別々にしているかと言えば、そもそも人間が極めて社会的な動物で、愛着を重要視するからです。
そして、愛着のある対象を殺すというのは良くないという心の図式が出来上がっているからです。
この人間の心理に基づいた、役割分担を完全に無視して、ほぼソロプレーですべての工程を担当しているところに問題があります。
育てると愛着を持ってしまう、愛着を持つと殺すことに嫌悪感を抱く――こういった人間心理の矛盾を生みだすのは当然です。
そして、後者の「お前も期待してたやん」についてです。
こういっちゃなんですけど、僕も正直期待してましたよ。だから、これに関しては僕も悪いですよ。
ただ、バズらそうという目的がある限り、こうやって「期待感を抱いていたけど、実際目の当たりにするとエグすぎる」というタイプの人も現れるに決まっているわけではないですか。
せめて、「見たくねぇよそんなもん」と思っている視聴者のために、サムネイルに別の画像をチョイスしたり、動画内でブラーをかけたりするなどの配慮はできたはず(どうしても無編集をお届けしたいのなら、概要欄に限定公開のリンクを貼ればよい)。
実際、視聴者の中には動画内で出演していたブタに愛着を抱いていた人も多数いると思われます。
そういった視聴者が嫌な想いをするのも当然です。
構造的には、「ワシの赤ん坊なのだから、ワシが殺してもお前には関係あるまい」というのと同じですから(予告の有無はあれど)。
そもそも、なぜ動物を殺したり人間を殺したりしてはいけないかという議論で、
これは、遅刻が咎められたり、窃盗が犯罪とされたりするのと共通の理由があると思います。
簡単に言えば「人の物を奪ってはならない」というのにキュっとまとめられます。
遅刻なら時間。窃盗なら所有物ね。
自分の赤ん坊を殺してはいけないというのは、その赤ん坊を見た者が、親以外にも存在するから、というところでしょう。
親の親かもしれないし、友達かもしれないし、近所の人かもしれない。
「自分の赤ん坊」だけど、「自分のものだけではないから」というのが理由の一つでしょう
(あとは、なんとなく自分に置き換えたときに赤ん坊を殺すのなんて嫌だから、という理由があるだろうけど、これは殺人サイドの話なので、被害者・第3者の感情とは全く無縁)
(ちな、「歩いてたら殺されるかもしれない社会というのが非合理的すぎるから」という理由も立てられるけど、今回の文脈ではこの理由は関連性が低いので割愛)
で、結局、公然の目に触れて、割とかわいがられてる時点で、「視聴者のもの(敢えてのカギカッコ)」でもあるわけですから、最初の「100日後に殺します」という宣言は撤回してもいいのではないかと思うのです。
「いやいや、予告してましたやん」というのは、視聴者サイドのイメージ力の低さを考慮できていません。
・・・って言う風に、論理的っぽく、かつ、平易な言葉えらびでnoteを書いてみたつもりだけど、
結論、サムネがえぐすぎるから、あれはさすがに変えてくれって話ですね。
TLにあれを表示させたくないから登録解除しましたもん。
そういう人絶対他にもいるでしょう。
あと、「この物語はフィクションです」という文言も気になりますね。
フィクションだったとしても、
虚言で以て視聴者を獲得して収益を得ているという時点でどうかと思うし(途中で路線変更して「やっぱやめます」という宣言をしたのであればまだしも)、
外国人には伝わらないし(そりゃぁ、日本語で書かれてもね)、
敢えてわかりにくい表現を残すことによって、カル様をシュレディンガーの猫状態にしてるから、こっちの気持ちとしては「半分死んでいる」という感じだし、
まあ、僕は不快でしたと。以上。
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