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診断されてないのに出された処方箋を信用できますか?

説得によって人は変わるものではない。誰もが変化の扉を固くガードしており、それは内側からしか開けられない。説得によっても、感情に訴えても、他人の扉を外から開けることはできないのである。
変化の扉を開けられる人にはこれからまとめる以下の習慣についての話は非常に有意義なものとなるでしょう。
変化を恐れ扉を固く閉ざすのであれば、その手に握っているスマートフォン(一生の友)とともに同じような人生を自分の好きなように、自分の責任で生きてください。

人格は繰り返し行うことの集大成であり、それ故、秀でるためには、一度の行動ではなく習慣が必要である。
私たちの人格は、習慣の集大成である。「思いの種をまき、行動を刈り取る、行動の種をまき、習慣を刈り取る。習慣の種をまき、人格を刈り取る。人格の種をまき、運命を刈り取る」という格言もある。習慣は私たちの人生に決定的な影響を及ぼす。習慣とは一貫性であり、時に無意識に行われる行動パターンであり、日々絶えず人格として現れる。その結果、自分自身の効果性の程度が決まる。

ロケットがリフトオフして最初の数分間、距離にして数キロ足らずの上昇に必要としたエネルギーは、その後の数日間、約70万キロの飛行に使ったエネルギーをはるかに上回っている。
習慣の引力も非常に強い。ほとんどの人が考える以上の強さである。
先送り、短気、批判、わがままなど、人間の効果性を支える基本の原則に反する癖が根付いてしまっていたら、ちょっとやそっとの意志の力ではとても断ち切れない。
生活を多少変えるだけで断ち切れるものではない。「リフトオフ」には並み外れた努力がいる。しかし引力からいったん脱出できれば、全く新しい次元の自由を手にできるのである。

以下の内容はスティーブン・R・コヴィーさんの「7つの習慣」から引用させていただきます。

ここでは第五の習慣についてのみ触れていきます。
ぜひこれからまとめる7つすべての習慣を身に着けて、個人的成功だけでなく、社会的成功までつかめる偉大な人間になってやりましょう!

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1,第五の習慣 まず理解に徹し、そして理解される

「ねえ、どうしたの。悩み事があるのならお母さんね、あなたのことをわかってあげたいのよ」

「どうかな、お母さんはきっと、バカみたいな話だっていうにきまってる」

「そんなことないわよ。話してちょうだいよ。お母さんほどあなたのことを大切に思っている人はいないんだから。本当にあなたのことを心配しているのよ。なぜそんなに落ち込んでいるの?」

「別に」

「いいから、お母さんに話してごらんなさい」

「本当のことを言うと、もう学校が嫌になったんだ」

「なんですって!?」(草)

そこで母親は急に声を荒げる。「学校が嫌って、どういうことなの?あなたの教育のためにどれだけ犠牲を払ってきたかわかってるの?教育はあなたの将来の土台を築くのよ。前にも身を入れなさいと言ったでしょ。お姉ちゃんのように勉強すれば成績も上がるし、そうすれば学校だって好きになるわ。何回言えばわかるの、あなたはね、やればできる子なの。やらないだけなの。もっと頑張りなさい。前向きにならなくちゃ」

少し間をおいて母親がまた言う「さあ、お母さんに話してごらんなさい」

ワイらは得てして、問題が起きると慌ててしまい、その場で何か良いアドバイスをしてすぐに解決しようとする。しかし、その際私たちはしばしば診断するのを怠ってしまう。まず、問題をきちんと理解せずに解決しようとするのである。

人間関係について最も重要な原則を一言でいうなら、「まず理解に徹し、そして理解される」ということだ。この原則が効果的な人間関係におけるコミュニケーションのカギなのである。

2,共感による傾聴

「まず理解に徹する」ためには、大きなパラダイムシフト(ものの見方考え方の変更)ワイらはたいていまず自分を理解してもらおうとする。ほとんどの人は、相手の話を聴くときも、理解しようとして聴いているわけではない。次に自分が何を話そうか考えながら聞いている。話しているか、話す準備をしているかのどちらかなのである。すべての物事を自分のパラダイムのフィルターに通し、自分のそれまでの経験、いわば自叙伝(自分の経験に照らし合わせ)を相手の経験に重ね合わせて理解したつもりになっている。
「そうそう、その気持ち、よくわかるわ!」とか「ぼくも同じ経験をしたんだ、それはね、、」これでは、自分のホームビデオを相手の行動に投影しているだけである。自分が欠けている眼鏡をだれにでもかけさせようとするのと同じだ。

こういう人たちは、息子や娘、配偶者、同僚など身近な人との関係に問題が起きると必ず、「向こうが理解していない」と思うものである。

ある父親があなたにこう言った。

「息子のことが理解できない。私の言うことを全く聴こうとしないんですよ」

「今あなたがおっしゃったことを繰り返すと、あなたは息子さんを理解していない、息子さんがあなたの話を聴かないからだ、ということですね?」とあなたは尋ねた。

「その通りです」

「もう一度言いますよ、息子さんがあなたの話を聴かないから、あなたは息子さんを理解できないのですね?」

「そういったはずですが」と彼は苛立たげに答えた。

「誰かを理解するには、その人の話を聴かなければならないものだと思っていましたが」「あなたは息子さんの話を聴く必要があるのです」とあなたは示唆してみた。

「そうか」と彼は言った。しばらく間をおいてから、「そうか」とまた言った。霧が晴れたようだった。「そうですよね、でも私は息子を理解してはいるんです。息子の今の状況をよくわかっているんです。私も昔同じような経験をしましたから。理解できないのは、なぜ彼が私の話を聴こうとしないのかということなんです」

この父親は息子の頭の中で何が起きているのか全く見ていなかった。彼は自分の頭の中を見て、そこに息子の世界も見えているものだと思い込んでいたのである。

ほとんどの人がこれと同じようなことをしている。自分が正しいのだと思い込み、自分の自叙伝を押し付けようとする。まず自分が理解されたいのである。会話しているようで実は独り言を言っているだけなのである。だから、相手の内面で起きていることを理解できずに終わってしまう。

相手が話しているとき、ワイらの「聞く」姿勢はたいてい次の四つのレベルのどれかである。

一番低いレベルは、相手を無視して話を全く聞かない。次のレベルは、聞くふりをすること「うん、うん、うんち」と相槌は打つが、話の中身は全く耳に入っていない。三番目のレベルは、選択的に聞く態度である。話の部分部分だけを耳に入れる。三~四歳くらいの子供のとりとめもなく続くおしゃべりには、大人はていていこんな風にして付き合う。四番目のレベルは、注意して聞く。神経を集中して、相手が話すことに注意を払う。ほとんどの人は四番目のレベルが最高なのだが、実はもう一段上、五番目のレベルがある。これができる人はそういないのだが、相手の身になって聴く、共感による傾聴である。

ここでいう共感による傾聴とは、「積極的傾聴」とか「振り返りの傾聴」といったテクニックではない。これらのテクニックは、単に相手の言葉をオウム返しにするだけで、人格や人間関係の土台から切り離された小手先のテクニックにすぎない。テクニックを駆使して人の話を聴くのは、相手を侮辱することにもなる。それに、テクニックを使ったところで、相手の立場ではなく、自分の立場で聞き、自分の自叙伝を押し付けようとすることに変わりはない。実際に自分の経験は話さないまでも、話を聴こうとする動機がそうしても自叙伝になってしまうからである。神経を集中して熱心に聞いているかもしれないが、頭の中は、次はどう返事しようか、どういえば相手をコントロールできるかと考えを巡らせているのである。

共感による傾聴とは、まず相手を理解しようと聴くことであり、相手の身になって聴くことである。相手を理解しよう、本当に理解したいという気持ちで聴くことである。パラダイムが全く違うのだ。

コミュニケーションの専門家のよると、口から出る言葉は人間のコミュニケーションの1割足らずで、3割は音や声のトーンによるコミュニケーション、残りの6割がボディランゲージである。共感して聞くには、耳だけではなく、もっと大切なのは、目と心も使うことである

→まず理解に徹すること、処方箋を書く前に診断をすることは、実はとても難しい。自分が何年も具合よく使ってきた眼鏡を押し付けるほうがはるかに簡単なのだ。

しかし、そんなことを長く続けていたら、P(卵の質)とPC(卵を産み続ける環境整備)の両方をひどく消耗させる。相手の内面にあるものを本当に理解できなければ、その人と相互依存の関係は築かれず、したがって大きな成果も生まれない。そして相手が本当に理解されたと感じない限り、高い信頼残高という人間関係のPCを育てることはできないのだ。

しかし、同時に、共感による傾聴にはリスクもある。相手の話を深く聞くには、強い安定性が必要になる。自分自身が心を開くことによって、相手から影響を受けるからだ。傷つくこともあるだろう。それでも相手に影響を与えようと思ったら、自分もその人から影響を受けなければならない。それが本当に相手を理解することなのである

だから第一、第二、第三の習慣が基礎となる。
それによって自分の中に変わらざる核、原則の中心が根付き、傷つきやすい部分を外にさらけ出しても、気持ちは少しも揺らがず、深く安心していられるのである。

3,評価する 探る 助言する 解釈する

ワイらは得てして自分の過去の経験、いわば「自叙伝」を相手の話に重ね合わせてしまうため、人の話を聴く際に次の四つの反応をしがちになる。

評価するー同意するか反対する
探るー自分の視点から質問する
助言するー自分の経験から助言する
解釈するー自分の動機や行動を基にして相手の動機や行動を説明する

これらの反応は、自然に出てくるものである。ほとんどの人はこれらの反応にすっかり脚本づけされている。周りを見ても、その実例だらけだ。しかし、こうした反応で相手を本当に理解できるだろうか。
多くの親が子供との距離を感じ、理解できずにいるのは、いつも探ってばかりいることも大きな原因の一つなのである。

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「父さん、学校なんてもう嫌だよ、くだらないよ」

「何かあったのか?」(探る

「全然現実的じゃない。何の役にも立たないよ」

「まだ学校の大切さがわかっていないだけなんだ。父さんもお前の年頃にはそんな風に思っていたものさ。こんなのは時間の無駄だと決めつけていた授業もあった。だがな、その授業が今一番役に立っているんだ。だからがんばれよ。もう少し時間をかけてみないと」(助言する

「もう10年も学校に通っているんだ。XプラスYなんかやったって、自動車の整備士のなるのに何の役に立つわけ?」

「自動車整備士になるだって?冗談だろ?」(評価する

「冗談なんかじゃない。ジョーだってそうだよ、学校をやめて整備士になったんだ。結構稼いでるんだぜ、そのほうが現実的だと思うけどね」

「今はそう思えるかもしれないが、あと何年か経てば、ジョーだって学校に行っていればよかったと後悔するに決まっている。お前だって本気で自動車整備士になりたいと思っているわけじゃないだろう。ちゃんと勉強してもっといい仕事を探さなくちゃだめだろう」(助言する

「そうかなあ。ジョーはちゃんと将来のことを考えて決めたみたいだけど」

「おまえ、学校で本当に努力したのか?」(探る、評価する

「高校に入ってもう二年だよ、努力はしてきたさ、でも高校なんて無駄だね」

「立派な高校じゃないか、もっと学校を信用しなさい」(助言する、評価する

「ほかのやつだって僕と同じ気持ちだよ」

「お前を今の高校に行かせるために、父さんも母さんもどれだけ大変な思いをしたかわかっているのか。せっかくここまで来て、辞めるなんて絶対に許さないぞ」(評価する

「色々大変だったのはわかってる。だけど、本当に無駄なんだ」

「テレビばかり見ていないでもっと宿題をしたらどうなんだ」(助言する、評価する

「もいういいよ(もうええわ!)父さん、これ以上話したくない」

もちろん、父親は息子に良かれと思って言っている。息子の力になってやりたいと思って言っているのである。
しかし、この父親は息子のことを少しでも理解しようとしただろうか。

今度は息子のほうに注目してみよう。彼の言葉だけでなく、考えや気持ち、自叙伝的な父親の反応が息子にどんな影響を与えているか、( )に書いていることに注意しながら読んでほしい。

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「父さん、学校なんてもう嫌だよ、くだらないよ」

「何かあったのか?」(関心を持ってくれた、いいぞ!

「全然現実的じゃない。何の役にも立たないよ」(学校のこと悩んでいる、落ち込んでいるんだ

「まだ学校の大切さがわかっていないだけなんだ。父さんもお前の年頃にはそんな風に思っていたものさ。」(あーあ、また父さんの自叙伝第三章だ。僕はそんな話をしたいんじゃない。長靴も勝ってもらえずに雪の日に何マイルも学校まで歩いたって話、僕には関係ないんだ。僕の問題を話したいんだ

「こんなのは時間の無駄だと決めつけていた授業もあった。だがな、その授業が今一番役に立っているんだ。だからがんばれよ。もう少し時間をかけてみないと」(時間で解決する問題じゃないんだ、父さんに話せたらなあ、洗いざらい話してしまいたいのに

「もう10年も学校に通っているんだ。XプラスYなんかやったって、自動車の整備士のなるのに何の役に立つわけ?」

「自動車整備士になるだって?冗談だろ?」(僕が自動車整備士になるのは、父さんは気に入らないんだ。高校を中退するのも気に入らないんだ。今言ったことを何としても認めさせないと

「冗談なんかじゃない。ジョーだってそうだよ、学校をやめて整備士になったんだ。結構稼いでるんだぜ、そのほうが現実的だと思うけどね」

「今はそう思えるかもしれないが、あと何年か経てば、ジョーだって学校に行っていればよかったと後悔するに決まっている。」(『教育の価値をめぐる考察』の第16回講義を聴かされる

「お前だって本気で自動車整備士になりたいと思っているわけじゃないだろう。」(なんで父さんにわかるわけ?僕の本当の気持ちなんかわからないくせに

「ちゃんと勉強してもっといい仕事を探さなくちゃだめだろう」

「そうかなあ。ジョーはちゃんと将来のことを考えて決めたみたいだけど」(ジョーは落ちこぼれなんかじゃない、学校は中退したけど落ちこぼれなんかじゃない

「おまえ、学校で本当に努力したのか?」(これじゃ堂々巡りじゃないか、父さんがちゃんと聞いてくれさえすれば、本当に大切なことを話せるのに

「高校に入ってもう二年だよ、努力はしてきたさ、でも高校なんて無駄だね」

「立派な高校じゃないか、もっと学校を信用しなさい」(これはこれは、今度は信用の話か、なんで僕が話したいことを話させてくれないんだ!

「ほかのやつだって僕と同じ気持ちだよ」(僕の言うことだって信じろよ、低能じゃないんだから

「お前を今の高校に行かせるために、父さんも母さんもどれだけ大変な思いをしたかわかっているのか。」(おやおや今度は罪悪感で責める気か、はいはい、僕はバカなんでしょう。学校は立派、父さんも母さんも立派、そして僕はバカ息子ですよ

「せっかくここまで来て、辞めるなんて絶対に許さないぞ」

「色々大変だったのはわかってる。だけど、本当に無駄なんだ」(父さんにはわからないだろうね

「テレビばかり見ていないでもっと宿題をしたらどうなんだ」(父さん、そういう問題じゃないんだよ!そんなんじゃないんだ!もう父さんには何も話さない。父さんなんかに相談しようとした僕が馬鹿だった

「もいういいよ、父さん、これ以上話したくない」


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これが、「相手の言葉を繰り返す」、「自分の言葉に置き換える」、「相手の気持ちを言葉にする」など相手を理解するように徹して聞くとこうなる

「父さん、学校なんてもう嫌だよ、くだらないよ」(父さんと話がしたい。僕の話を聴いてほしいんだ

「学校のことでずいぶん不満があるみたいだな」(そうなんだ、そんな風に感じているんだ

「そうなんだ、まるっきり現実味がないし、何の役にも立たないよ」

「学校には何の価値もないと思っているんだな」(ちょっと待ってー僕は本当にそう思っているんだっけ?

「まあ、そういうことかな。本当に役に立つことなんか何も教えてくれないよ。ジョーなんかさ、学校をやめて自動車の整備士になったんだ。結構稼いでいるんだよ。そのほうが現実的なんじゃないかな」

「ジョーは正しい道を選んだと思っているんだね」(どうだろ、、

「まあ、ある意味ではそうかな、実際、もうお金を稼いでいるんだし、でも何年かしたら、後悔するんじゃないかな」

「ジョーは間違っていたと感じると思うんだね」

「きっとそうだよ、だってさ、ジョーが投げ出したものはすごく大きいんじゃないかな。ちゃんと勉強しとかないと社会に出て困るだろう?」

「そうだな、教育は大切だと考えているんだね」

「そうだよ。高校も出てなくて、就職もできない、大学にもいけないことになったらどうすりゃいいのさ。やっぱりちゃんと勉強しなきゃダメなんだよ」

「教育はお前の将来に重要だと考えてるんだ」

「うん、そうなんだ、、、、、僕今すごく困っているんだ、ねえ、母さんには言わないでくれるかな?」

「母さんに知られたくないんだね?」

「うーん、そういうわけでも、まあ、話してもいいよ。どーせばれるだろうし、今日さ、テストがあったんだ、読解力のテスト。そしたらさ、僕の成績じゃ小学四年生のレベルらしいんだ。四年生だぜ、高校二年生なのに!」

本心から理解しようと思って聴くと、こんなにも違ってくる。本当の問題を見誤っていたら、相手に良かれと思っていくら助言したところで、何の意味もない。そして、自分の自叙伝とパラダイムを通してしか物事を見られない人は、本当の問題を突き止めることはできない。
相手の立場に立って、相手が見ている世界を見ようとするなら、自分の眼鏡をしばし外さなくてはならないのだ。


「父さん、ぼく落第しちゃうよ、落第するくらいなら中退したほうがマシだよ。でも学校をやめたくはないんだ」

「つらいな、どうしていいかわからないんだな」

「父さん、どうしたらいい?」

→ここで注意してほしいことがある。助言をする段階に入ってからも、父親は息子とのコミュニケーションに細やかに気を配らなければならない。息子が論理的に反応している間は、効果的に質問し、助言を与えることができる。しかし、感情的な反応を見せたら、共感して聞く姿勢に戻らなければならない。←大事大事!!

「そうだなあ、こういうことを考えてみたらどうだろう、というようなことはいくつかあると思うが」

「たとえば?」

「読解力をつけるために塾に行くとか、あそこの塾ならそのようなコースがあるんじゃないか?」

「それならもう調べたんだ、夜の授業が週に二日、それに土曜日は一日中なんだ、時間がとられすぎる」

息子の返事が少し感情的になったのを察知して、父親は共感して聞く姿勢に戻る

「負担が大きいよなあ」

「それもそうだけど、六年生の子たちにコーチになってあげるって約束したんだ」

「その子たちをがっかりさせたくないもんな」

「でもね、読解力のコースが本当にためになるんだったら、毎晩でも行くよ。コーチは誰かに変わってもらってもいいんだし」

「勉強はしなくちゃと思っているけど、そのコースが本当に役立つかどうかわからない、だから迷っているんだな?」

「父さん、どう思う?」

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息子は再び心を開き、論理的な反応をし始めた。ここでもう一度、父親の自叙伝を聴く気になっている。父親が息子に影響を与え、二人の関係を大きく変化させる機会が再びめぐってきたのである。
相手の身になり共感して話を聴くといっても、時間がかかってまどろっこしいと反発する人もいるだろう。たしかに最初は時間がかかるかもしれない。しかし、先々まで考えれば、大きな時間の節約になる、仮にあなたが医者で、確実な治療を施したいと思えば、時間をかけてでも正確な診断を下すことが一番効率的である。医者が「今日は忙しくて診断を下す時間がないんです。この薬でも飲んでください」と言わないだろう。

ぜひこれらを活用してまずは、自分が理解され、そして相手に理解されるのだということ、影響を与えることができるのだということを知っておいてほしいです。

まとめる能力が乏しいがために長くなってしまいました。自分でも読みたくないくらい長いので、今度から短くまとめられるように努めてみようと思います。




・要点まとめ

・人間関係について最も重要な原則を一言でいうなら、「まず理解に徹し、そして理解される

口から出る言葉は人間のコミュニケーションの1割足らずで、3割は音や声のトーンによるコミュニケーション、残りの6割がボディランゲージである。共感して聞くには、耳だけではなく、もっと大切なのは、目と心も使うことである

論理的に反応している間は、効果的に質問し、助言を与えることができる。しかし、感情的な反応を見せたら、共感して聞く姿勢に戻らなければならない

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誤字脱字多いと思います、すいません、なおしません!!!!!




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