拗ねた君も、静かなあの子も、彼の歌も
私を苦しめるのだろう。
◯
新型感染症対策による外出自粛を強いられてしまい、なかなか書くことがない。
なので昨年印象深かったことを以下に記載させていただければ、と思う。
私ごとで恐縮ではあるが、昨年、トラブルに巻き込まれてしまい警察沙汰になることがあった。
事件詳細については記載を避けるが、相手もあわせて双方刑事事件として被害届を提出することとなり、多少なりとも私の精神は消耗されていった。
この日は被害者として、現場検証を行う日であった。
中野警察署の木佐貫刑事は、電話口で私に「その日は現場検証だけで終わりですから。すぐ終わりになると思いますよ」と事前に私へ告げていた。
事件以来定期的に警察署へ出頭する羽目となっていたが、その都度取調やら調書やらDNA鑑定やらで長時間の拘束を強いられており、19時集合ならば24時解散をいつも覚悟していただけに、"すぐおわります"という 木佐貫刑事からの連絡は、私をそれなりにハッピーにさせた。
どうせ早く終わるなら、キャバクラにでもいこう。
私は高田馬場にあるイーグルという店のマキちゃんに連絡をいれた。
【29日暇になりそう。同伴でもいいよ】
マキ【ウソ!?やった!その日は休みなんだけど、そういうことなら出勤にするね!楽しみ!】
私も楽しみだ。
以前マキちゃんを適当に口説いた際、『私も堀田さんのこと好き。でも堀田さんのこと信じられない私もいるの。だからあと1回、あと1回同伴したら、その次の日お店抜きで会おっ。ホテル行ってもいいよ』と言っていた。
つまりこれでSEX当確が出る。ありがたい。
しかしその数分後、予期せぬ事態が発生した。
ハルカちゃんからラインがきたのだ。
ハルカちゃん【明後日夜遊びにいってもいい?家に】
ハルカちゃんとは恋人関係ではない。
だが私はハルカちゃんのことが好きだ。
しかし私にはこの日マキちゃんとの同伴という優先度:高が控えている。
私は考えた。
そしてラインした。
【その日また警察なんだよね。帰り24時過ぎると思うからそれでもよければ全然構わないよ】
ハルカちゃん【わかった。鍵いつものとこ?適当に待ってるー】
ぐっ。。。来るのか。
以前遊んだ際に鍵をどこに隠しているかハルカちゃんに教えてしまっている。中に入れるのだから、待ちぼうけになることもあまりない。
ついてない。たまに女性との予約が決まると、すぐ神様は同日程で違う女性をブッキングしてくる。スケジューリングが下手だ。
だがまあ問題はないだろう。
20時に同伴して22時にお店に行って、23時半に帰ればいい。
ハルカちゃんには当事件のことを話しているし、拘束が長いのもちょこちょこ愚痴っているので大丈夫だろう。
ちょっと警察に詰められてストレスが溜まったから飲んでしまったと言えば、飲酒の理由も許してもらえる。問題はない。
○
中野警察署の刑事課受付にて、木佐貫刑事を待つと、5分程経った後、汗をかきながら木佐貫刑事が現れた。
「すみません。今日ちょっと忙しくて」
たしかに刑事課全体がバタバタしていた。何か事件でもあったのだろうか。
「じゃあ現場行きましょう」
そういうと木佐貫刑事は私を駐車場へと案内し、覆面パトカーの後部ドアを開けた。
そして運転席からサイレンを取り出すと、車上に設置し、「ぱっぱと終わらせちゃいましょう」と私へ乗車を促した。
現場までは警察署から車で約10分程かかった。
繁華街の中であったので、近くのパーキングに覆面パトカーを停めると「じゃあ降りてください」と木佐貫刑事に言われる。
「これドア勝手に開けて降りちゃって大丈夫ですか?」と訊ねると「大丈夫ですよー」と軽いトーンで言われたので、ゆっくりとパトカーを降りた。
その時、木佐貫刑事が前方に向けて「ちょっと!!!だめですよ!!!!」と大声で叫んだ。
どうやら目の前の信号が赤なのにも関わらず、若い女性がスマホをいじりながら信号無視して渡ってきたらしい。
女性は一度大声でビックリした後、こちらを睨み付けるように見ながらむかって歩いてきた。
女性の顔がハッキリしてくると、私は心臓が止まりそうになった。
げっ。桜井だ。
あろうことか前の会社で同僚で後輩である桜井だった。
木佐貫刑事が桜井に「警察です。だめだよ信号無視しちゃ」と強く言うと、桜井は不満気に私達を見た。
そしてすぐに驚いた顔をした。
『あれ・・・お久しぶりです』
「 ああ。やあ・・・信号無視しちゃだめだよ・・・」
怪訝な顔をする木佐貫刑事に私は言う。「すみません、知り合いで・・・」
そしてすぐに桜井に伝えた。
「すまないけど、今日ここで会ったことは絶対に誰にも言わないでくれ。色々まずい」
被疑者兼被害者として警察にお世話になってる場面だ。他の人に知られるのはまずい。
『大丈夫です!誰にも言いませんから!』
妙にキラキラしている彼女の笑顔が、私には理解できなかった。
○
木佐貫刑事は段取りが悪かった。
30分もかからないといっ ていた現場検証はすでに50分を超え、時間は20時にさしかかっていた。
まずい。マキちゃんとの待ち合わせに間に合わない・・・
私が腕時計に何度か目をやっていると、それに気付いた木佐貫刑事が言うのだ。
「あれ。ごめんなさい。なんか用事あります?このあと」
あるよ。キャバ嬢と同伴だよ。
だが仮にも被疑者の立場でもある、警察に嫌われたり、悪い印象や誠実でない印象をもたれたくない。
私はこう答えた。
「いやその・・・彼女が家にきちゃってるみたいで・・・」
「えええ!!!!すみません!!!!そ れは急がなきゃ!!!!あと一枚写真撮って終わります!その後家まで送りますよ!」
「いやいやいや。そんなそんな。悪いですし大丈夫です」
「そうはいきません。送ります」
「いやいや・・・」
「いえ。送ります」
なんだ木佐貫・・・ハルカちゃんのこと見たいのかお前は。
俺は一刻も早くここを離れて、高田馬場でマキちゃんと合流しなきゃならないんだよ!
私は何度も断ったがなぜか木佐貫刑事は折れなかった。
結局、木佐貫刑事に押され、私は家までまた覆面パトカーに乗って帰ることになった。
車中、私は心底焦っていた。
ああ・・・マキちゃん・・・
待ち合わせの時間は過ぎている。やばい。
だが怖くて到底スマホが開けない。
とりあえず木佐貫刑事を追い払ったら、家に入らずすぐに駅へ向かおう。
家の前につくやいなや、私は木佐貫刑事に礼を言い、パトカーを見送った。
ようやく開放された。
しかし今日はとことんツイていない。
覆面パトカーがいなくなるやいなや、玄関の扉が開き、笑顔のハルカちゃんが顔を出したのだ。
『お帰り。早かったね。もう終わったんだ?』
「あ、あれ?ハルカちゃん、待ってたの?」
『車の音がしたからね、誰だろってベランダから覗いたら堀田くんが降りてきたから』
「ああ・・・そう・・・」
『終わったの?』
「あーうん・・・」
覆面パトカーを見送るところまで見られていて、さすがに“いや、また警察署に戻らないといけないんだよ”とは言えなかった。
『お疲れ様。こっちおいで』
そういってハルカちゃんは私を部屋へ引っ張り、抱きしめて私の頭を撫でた。もとい、ヨシヨシした。
常日頃から私はハルカちゃんに対し、警察嫌だ。行きたくない。やだやだと駄々をこねていたので、ストレスを溜めているであろう私への彼女なりの慰めなのだろう。
『こないだ送った写真の下着、今日着けてるよ。見る?』
ハルカちゃんが耳元で囁く。
私達はそのまま流れるようにSEXをした。
○
SEXをし、焼きうどんを食べ、お酒を飲みながら一緒にダンケルクをネットフリックスで観た。
「空軍は何をしていた!」
命からがら撤退したイギリス兵士は、国の意向でわずか少数でしか援護にむかえなかった戦闘機パイロットのコリンズこと、ジャック・ロウデンを責めた。
すぐにマーク・ライランス演じるドーソンが、「私は(キミたちがどれだけ頑張ったかを)知っている」とコリンズの肩に手をかける。
たくさんのものを失いながら、それでも生きていかねばならない兵士たちを想い、私の目頭は熱くなった。
いつの間にかハルカちゃんはスヤスヤ寝ていた。
放置していたスマホをみると、マキちゃんからたくさんのラインが入っていた。
【着いたよ】
【どこ?】
【どこですか?】
【ずっと待ってます】
【どこ?】
【連絡ください】
【ありえない。どこ?】
【もういいです。帰ります】
【今日あなたのため に休みなのに出勤したんだよ】
【お店の人にも今日同伴するって言っちゃったし】
【私は罰金を払わなきゃならない】
【バカにしないでください。もうお店にも来なくていいです】
【私もブロックするので返信不要です】
やれやれ。出禁だ。
もはやいつ“バックレた痛客とキャバ嬢のライン”というタイトルでyoutubeにアップされてもおかしくないレベルだ。
あまり長時間眺めると精神的にダメージを負ってしまうので、私はマキちゃんとのトークルームを削除した。
桜井からもラインが着ていた。
【よくわかんないまま退職されて、お会いもできないまま だったのでビックリしました】
【今日のこと、言いませんので。墓場まで持ってきます】
たしかに私は一部の人間にしか退職理由は話していなかったので、何も知らない人間達は私が突然いなくなった、飛んだと思っている、と親しい元同僚は言っていた。
桜井も私が飛んだと思っている人間の一人だ。
そして今日、消えた人間が突然、警察を名乗る人間とともに覆面パトカーから降りてきたのを目撃してしまったわけだ。
あれこれひょっとして桜井、俺のこと潜入捜査官かなんかだと思ってるんじゃねえか?
私は桜井に返信した。
【すまないね。代わりに桜井にだけ教えてあげるよ。近々、御社 にガサが入るよ】
私は送信と同時に桜井をブロックし、トークルームを削除した。
ストレスと無縁の世界を不老不死を求めるが如く血眼になってこの人生を使い探し回ってきたが、どうやらそんなものは幻想に過ぎず、現実ではないのだ。
だが桜井には、ぜひこの非現実を楽しんでほしいものだ。