「無為の技法」から学んだこと
泳ぐのをやめないと見えない景色
社会の変化スピードが増している。だから、もっと早く、もっと多くのことに対応しようと努力する。変化に対して俊敏に適応しようと努力する。
変化への対応が、「下流に流されないように努力する」ことだとすると、上流には何があるのだろう。泳ぎ続けて、適応し続けることで、どこへたどり着くのだろう。これまで向かっていた方向のまま、ただ単に上流に向かおうとしているだけではないだろうか?流れは変わってはいないだろうか?そこは川のままだろうか?もしかして、すでに海に変わってしまってはいないだろうか。一度、泳ぐのをやめて顔を上げないと、それは確認できない。
問題解決が得意な人は、問題を作るのも得意である
問題解決手法や法則というものを吸収すればするほど無意識にその状況が目につきやすくなる。問題意識の高い人は問題である状況に意識がいきやすいのである。意識が向くので問題が見える。問題が見えるので、(問題が見えない人よりも)問題を抱えることになる。だからこそ、”問題解決力”が必要となり、問題解決手法を学び、実際に問題解決に役立てる。顔を上げることなく、上流に向かってもっと早く、もっと効率よく泳ぐために課題を見つけて努力することは、問題解決のために問題を見つけることに似ている気がする。
問題はないほうが良いはずである。問題という言葉が存在しない世界では、問題解決という言葉も存在しない。もし、問題は起こらないという前提で過ごしてみると、案外問題というものを発見しないまま進んでいくのかもしれない。泳ぐのをやめ、流れに身を任せ、雲を見ながら浮かんでいたら、こんなところまでたどり着いたということもあるのではないだろうか。そんなことを考えながら、足がつく場所で溺れるようなことはしたくないと思った。
しないよりした方が良いという価値観
しないよりした方が良いという価値観は、泳ぐのをやめて顔を上げてみることを簡単には許してはくれない。泳ぐのをやめて顔を上げてみることは、「しない」という選択をすることでもある。
ルール化や、パターン化をすることは、「しないよりした方が良い」という価値観を現実の行動に移す良いやり方である。しかし、これに慣れてしまうと、顔を上げることが出来なくなる。
ルール化、パターン化をやめてみよう。「しない」ことで流れを確認しよう、そして今いる場所を確認しよう。確認できるまで、少し時間がかかるかもしれない。だからこそ、勇気をもって「しない」でおこう。
「しない」を行動してみる
自らの泳ぎをやめて、流れに身を任せてみよう。そして、自分が流れていく方向を確認してみよう。その方向が自然の流れる方向だ。これまでにない行先を目指す人は、これまでと違う行動をしてみよう。変化を味方にする生き方は、自然の流れを味方にする生き方だ。
「しない」を行動してみよう。