表現の自由と公序良俗

 いま、Twitter上では、不思議な見解が流布されています。
例えば、

公民で習うよね?表現の自由は公序良俗の範囲って。

https://twitter.com/amorphous4/status/1697489295546966097

等です。
 そんなこと習いません。
 表現の自由を含む基本的人権は、公共の福祉による内在的制約に服することはありますが、公序良俗に反しない範囲で行使できるということにはなっていません。自民党の憲法私案では、国民が基本的人権を行使するにあたっては公益及び公の秩序に反してはならないということにされていますが(12条)、この改正案の評判は悪く、このような憲法改正が実現する見込みは立っていません。
 そして、さしもの自民党ですら、国民が基本的人権を行使するにあたって善良な風俗に従わなければならないとする憲法改正案までは提唱してきていません。

 「公の秩序」とは国家社会の一般的な利益をいい、「善良の風俗」は社会の一般的な道徳観念をいいますが、これは、表現活動とは非常に相性の悪い概念です。社会の一般的な道徳観念を変えるために表現活動を行う、社会の一般的な道徳観念による制約を打ち破るために表現活動を行うということは、これまでも普通に行われてきました。表現の自由が公序良俗の範囲でしか許されない法制度のもとではそのようなことは許されなくなります。例えば、社会の多数派が「ロックなんて不良の音楽だ」と考えている時代にはロック音楽を演奏することは「善良の風俗」の範囲を超えるので許されないということになってしまいます。

 社会の一般的な道徳観念に反する表現も自由に行うことができる。これが、原則自由な社会の根幹です。他人の基本的人権(名誉権やプライバシー権等の人格権を含む)と衝突するような表現については公共の福祉による内在的制約に服するものの、多数派の気分を害するということでは制約されない。これが現行憲法下での基本的なルールです。

 表現の自由は公序良俗の範囲でのみ許されると公言している人たちの多くは、自分の道徳観念が社会の一般的な道徳観念と一致していると認識しているか、または社会一般は自分の道徳観念に従ってしかるべきと考えているのだと思います。つまり、「表現の自由は公序良俗の範囲でのみ許される」という表現は、「私の道徳観念に反する表現は許されない」という意味で語られるということになります。だから、いわゆる萌え絵のように、実際には社会一般の道徳観念に反しているとはいえない表現を押しつぶすためにも「表現の自由は公序良俗の範囲でのみ許される」というフレーズが濫用されることになります。

 とりあえず、中学の公民の教科書を読み直していただきたいものです。

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