日弁連と犯罪被害者
日弁連は、加害者の擁護にばかり熱心で、犯罪被害者のことなど何も考えていないかのように誤解している人たちが多いですね。
実際には、こちらの年表をみればわかるとおり、日弁連は、1997年4月に「犯罪被害回復制度等検討協議会」を発足させ、犯罪被害者をどのように救済するべきかの協議を始めており、1999年10月には「犯罪被害者に対する総合的支援に関する提言」および 「刑事手続における犯罪被害者等の保護に関する意見書」を公表しています。前者においては、日弁連は、犯罪被害者基本法要綱案に基づき、犯罪被害者基本法案を策定し、立法化に向けた取り組みを推進するとしています。
その後も、2000年9月には「犯罪被害給付制度に関する中間提言に関する意見書」を公表し、2003年10月の人権擁護大会では「犯罪被害者の権利の確立とその総合的支援を求める決議」を採択し、2006年11月には「犯罪被害者等に対する経済的支援拡充に関する意見書」を公表しています。
このように犯罪被害者の擁護のために種々の活動をしてきた日弁連がなぜ犯罪被害者のことをないがしろにしているように喧伝されるかというと、日弁連は、「被疑者被告人の手続き権利をないがしろにすることが、犯罪被害者の権利の擁護につながる」という考え方を採用していないからなのだろうと思います。言い換えれば、「被疑者・被告人にフルスペックの手続保障をすることは、被害者の権利をないがしろにすることにはならない」と考えていると言うことです。したがって、無実の人間がえん罪によって死刑を科され処刑されることを死刑制度の廃止によってなくしてしまうことが、犯罪被害者の人権を損なうものであるとは考えていないのです。
そのことは、日弁連が2017年の人権擁護大会で行った「犯罪被害者の誰もが等しく充実した支援を受けられる社会の実現を目指す決議」の内容を見ると明らかです。このとき日弁連が具体的に提唱したのは、①損害回復の実効性確保、②経済的支援の拡充、③公費による被害者支援弁護士制度の導入、④ワンストップ支援センターの整備、⑤被害者支援条例の制定、⑥犯罪被害者庁の創設です。①②③⑤は、経済的な支援をどうするのかという話です。これは、「日弁連は被害者の権利をないがしろにしている」とする人たちの視野には基本的に入ってこないものです。
なぜそうなるのかというと、メディアに出て発言する殺人事件の「被害者遺族」が、自分の扶養家族を殺されて、怒りと恨みに突き動かされている人たちであり、経済の問題を二の次にできるからだと思います。これに対し、弁護士が接する殺人事件の「被害者遺族」には、世帯主を殺されて、その後の生活に困ってしまっている人たちが多く含まれており、経済の問題こそが切実だからだろうと思います。さらに言えば、被疑者被告人の手続き上の権利を制約しまたは被告人を死刑とすることを正当化する根拠として被害者の権利を持ち出す人々の多くは、被害者ないしその遺族の人生や生活などに何の興味もなく、自分の他罰感情を正当化するための「道具」としてしか犯罪被害者またはその遺族を見ていないからだと思います。しかし、被告人を死刑にしてみたところで被害者は生き返らないし、被害者遺族の生活を支えるお金は降ってこないのです。