写真撮影会と個人の尊厳
「shou_yasuda」なる方が次のようのに述べています。
しかし、「成長発達段階にある子どもたち」に対して性的関心を抱」いているということが「対象となる子どもたちに直接届くような形で言及される」場合には批難の対象となるということ自体、「成長発達段階にある子どもたち」に対して性的関心を抱」くことが悪しきことであることを前提としています。しかし、特定の宗教的倫理観を超えた、日本国憲法が前提とする価値秩序からは、「成長発達段階にある子どもたち」に対して性的関心を抱」くことが悪しきことであるという結論を導くことができません。
さらにいうと、「小中学生を対象とした水着撮影会(特に子どもたちにきわどいポーズをとらせ間近で撮影するようなもの)で撮影するような場合」に「対象となる子どもたちの尊厳が損なわれて」いるとする根拠は示されていません。それどころか、そこで損なわれる「子どもたちの尊厳」とは何を指すのかも明らかではありません。
婚姻を制度的に保障する規定(24条)を有する日本国憲法は、異性から性的な存在として見られない」ということを「個人の尊厳」に含めていないように思われます。婚姻を「両性の合意のみに基いて成立」するものと規定している以上、互いに相手を性的な存在と見ていることを前提とする恋愛結婚を肯定しているからです。そして、恋愛結婚を前提とする社会においては、両性の一方が他方に対して性的な関心を持ち、その旨を表明することもまた、個人の尊厳を損なうものとはされていないように思われます。両性が互いに対し同時に性的に見始めると言うことは、現行憲法制定時においてもそれほど一般的ではなく、一方的に相手を性的に見る場合があることは、憲法が許さない「個人の尊厳の侵害」に含めていなかったであろうと思われるからです。
そして、前回の民法改正までは男女とも未成年での婚姻が一定の条件の下で認められていましたので、「未成年者を性的な存在として見ること」自体を未成年者の個人の尊厳を損なうものとする共通理解はなかったように思います。
すると、「小中学生を対象とした水着撮影会…で撮影するような場合」に損なわれる「尊厳」なるものがそもそもあるのかについて疑問を呈せざるを得ません。
とりわけ、それが公的な施設の利用を自治体等が拒絶する理由となる場合には、「小中学生を対象とした水着撮影会…で撮影するような場合」によってどのような尊厳が損なわれれるかについて、特定の宗教における倫理等を超えた、普遍的な説明がなされる必要があるように思えます。特定の宗教倫理に反するという理由で自治体等が公的な施設の利用を拒絶することは、むしろ政教分離規定に反するおそれはあるからです。
で、いまのところ、その説明に成功した人はいないように思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?