[ep.23/FINAL] 総論・本当のゴールとは
【メインテーマ】100km歩こうよ大会 in 摩周・屈斜路 2019の実行委員がリアルに100kmを歩くことを決意し、実行したらどうなるのか?
【前回の記事とあらすじ】
[ep.22] 100kmを歩いた装備の考察
この大会で歩いたときの装備品(服装など)を振り返りました。
100km歩こうよ大会 in 摩周・屈斜路 2019 を主題として記録してきたこの記事集は、今回の記事を持って終了させます。将来、この大会について恣意的に記録する可能性はありますが、それは「賑々しい過去への憧憬」による要素が色濃くなるため、メインテーマとしての趣旨から逸脱するものと定義します。
2019年大会が終わってから約2ヶ月半が経ちました。忘れないことがあります。忘れてしまったこともあります。それらを全て勘案した上で、総論をまとめるべき時が来ました。
●実行委員としてのフィードバック
私は「実行委員会の一員」という自覚のもとに本大会への徒歩参加を決心しましたが、それ以前に「一個人」としての行動、意識、立ち振舞が先行してしまった感触があります。しかし、それもまた発見の一つなのでしょう。心身の極限状態を味わうことで知り得ることは、数多にも存在することを再認識しました。そのような前提ではありますが、「実行委員」として記録するべき点を挙げていきます。内容はスタートからゴールに至る順番で記載してはいません。
・CP、休憩所、OTSでの携帯電話充電スポットの設置
休憩が取れるCP(チェックポイント)、休憩所、OTS(オフィシャルトイレスポット)にて、携帯電話を充電出来るようにするべきだと感じました。
私は7-8個くらいスマホ充電器を持ち歩いていたのですが、4個くらいは電池を使い果たすくらいに携帯電話を使いました。携帯電話の電池を消耗した大きな要因はGPSとMessengerの利用です。ポイント間の距離を都度測るために、地図アプリを多用しました。また、サポートメンバー間で連絡を取り合うためにMessengerを常時起動させておく必要がありました。
もちろん、携帯電話を利用しない徒歩参加も一興ではあります。外界からの情報を遮断して臨む大会も、当然価値のあるものです。ただし、少なくとも本部スタッフ・サポートスタッフは連絡を取り合える状態にしておく方が円滑な大会運営が出来ます。
通信端末への依存に関して懐疑的なスタンスである私ではありますが、私個人の思惑とは別に、求められるべきインフラの一つを確保することは重要です。
・区間距離の正確な案内
Webページ、当日配布される地図には、各CP・休憩所までの区間距離が記載されています。これは、タイムアウトにならないように歩くための道標です。そのため、誤りがあってはなりません。
それにも関わらず、大変申し訳無いのですが、リアル100kmにて「第2CP→休憩所(屈斜路プリンスホテル)→第2CP」の距離表記に誤りを発生させてしまいました。来年は、実測とWebでの距離測定を合致させる確認が必要です。
また、コース途中で「あと○○kmですよ」という応援も正しい距離である方が望ましいと思います。心に余裕がなくなった徒歩参加者は少なくありません。親切心で教えた距離の誤りに対して心火を燃やしそうであったり、疲弊に追い打ちをかけるような場面を目の当たりにしました。
ただ、少し言い訳がましいかもしれませんが、ここ数年の距離表記の精度は大会黎明期に比べたら凄まじく向上しています。kmを小数点第1位まで表示させていることが当たり前になって久しいですが、昔はここまで正確なものではありませんでした。この土台を認識していると、現在の距離表記の誤表記など些事に思えることも考慮しておきたいものです。
・タイムチェッカーの位置をわかりやすくする
各CPにて到着・出発の時間を記録するタイムチェッカーですが、どこで誰がチェックをしているのか、わかりづらい印象でした。
何となく雰囲気で蛍光ビブスを着ている人に対して「どの人に到着を告げればいいのか」と意識を向け続けて、何か書いていそうな人に「ゼッケン本部、到着しました」と告げていました。
来年の大会はタイムチェックの方法の見直しも検討しているので、タイムチェッカーの意識付けについても、併せて対応できるようにします。
・第7CP→第8CP間、摩周峠麓の空き地にあった簡易トイレの周知
[ep.19]でも触れた「摩周峠を下りきった跡の左の空き地にある不可解なテント、簡易トイレ」について、準備不足で全く参加者に周知が出来ませんでした。
聞いたところによると、利用された形跡はあったそうです。つまりここに簡易トイレがあったことは効果的であったことを意味します。それにしても、ご利用された方はさぞ勇気のある方だと思います。普段目にする機会の少ない色合いをしたテントがトイレであることを認める行動に敬意を表します。
・この他にも後から出てくるかもしれないが…
上記のことを踏まえれば完璧な大会になることなどはあり得ません。他にも書き出すべきことがあるかもしれませんが、いったんは、実行委員としてのフィードバックはここで止めておきます。
●一個人として大会に徒歩参加した率直な感想、振り返り
実行委員としての私の任務を、全て他の大会実行委員の方々に放擲した上で徒歩参加をすることが出来たこと、実行委員のみなさまには本当に感謝しかありません。ここからは、私が「実行委員として」ではなく、「個人的に」感じたことと、忘れたくないことを書き記します。
・遊べなかったな、遊びたかったな
10年前の2009年大会に参加した時は、自由奔放なプランで歩いていました。第3CPまでは意図的に最後までCPに残り、サポーターの方々をがっかりさせていました。時間配分に相当余裕があったので、CPの長期滞在や道中での休憩など、思いついたことを闊達に行動に移すことが出来ました。
今回の大会は、とにかく時間に追われて終わった感覚が強く残りました。これには良し悪しがあるので後々掘り下げていこうと思いますが、「時間を支配した2009年大会」の前提で望んだ本大会は「時間に支配され続けた2019年大会」でした。
・一緒に歩いてくれる人の存在の大きさ
今年はコースの殆どを「あいぼん氏」と共に歩いてきました。何度振り返っても、今回の大会はあいぼん氏と一緒に歩いていなければ、ゴールまで歩けなかったように思います。
ゴールを目指す上で共に歩く人がいることは、ドラマを生みます。共に歩く人とは、支え合いであったり、別れや再会であったり、感情を波立たさせてくれる大きな存在です。
・If(たられば)の反芻という甘美
大会中、あるいは大会を終えた後に、振り返るシーンでいくつものIf(たられば)のポイントがあります。「あれが別の行動になっていたら」と想像すると、パラレルワールドで100km大会が催されているような、別の物語を読んでいるような、己の意識を行ったり来たりする感覚が味わい深いのです。
今回の大会では、いくつか抜粋すればこのようなIfがあります。
・あいぼん氏と共に、スタートからゴールまで歩いていなかったら?
・サンダルではなく、ウォーキングシューズで徒歩に臨んでいたら?
・1回目の第2CPはなこやで、蟹バーガーを買食いしてゆっくりしていたら?
・時間が惜しいので休憩所、OTS(オフィシャルトイレスポット)を全てスルーしていたら?
・第3CP道の駅摩周温泉で買い物ができていたなら?ソフトクリームが食べられたら?
・休憩所 最栄利別分館でリタイアしていたら?
・摩周駅から第5CP風曜日に向かう途中で、あいぼん氏と別れていなければ?
・第5CP風曜日であいぼん氏を待たずに出発していたら?
・大会中、ずっと、または部分的に荒天に見舞われていたら?
結果は変えることは出来ません。ですが、結果とは違う分岐に進んだ時にどうなるのかを想像することは無限にできます。想像した先の喜怒哀楽を味わうのも前衛的な大会の楽しみ方かもしれません。
・時間に追われたことで得た経験
何度も書きますが、2019年のリアル100km徒歩参加はとにかく時間に追われた大会でした。各休憩ポイントで、長くても30分くらいしか滞在できませんでした。これが本当にもどかしく、正直に言うなら極めて不快な時間設定でした。
この大会は競歩大会ではありません。早く歩こうが遅く歩こうが、順位はありません。ただし、誰もが自分のペースで歩いていいものでもありません。設定された時間を守る必要があります。
今回の大会で学びました。全てのことに対して「設定された時間制限内で」という前提、接頭辞が付随するのです。「設定された時間制限内で」自分のペースで歩きます。「設定された時間制限内で」CPにてマッサージを受けます。「設定された時間制限内で」カニ汁をいただきます。「設定された時間制限内で」ゴールします。
この「設定された時間制限内で」という前提も、気付きを生み出すスパイスの一つです。
時間に余裕がなくなることで、自分の中の嫌な面が表面化することに気付きました。普段は瑣末なことが腹立たしく思えたり、理不尽に思えたり、耐える自分を哀れんでみたり、感情の乱高下を引き起こしました。
陰陽という考え方は道理にかなっているもので、陰の感情が現れた後には陽の感情が芽生えるものです。
第5CP風曜日でバディのあいぼん氏との再開を喜ぶことが出来たのは、「設定された時間制限」があってこそです。そしてその先、○○時までに次のCPに行けば、会いたい人達が待っているはずというモチベーションを生み出したりもします。
時間に支配される。時間を支配する。案外、というよりも真理としてこの大会の肝になるのは時間の管理かもしれません。考えてみれば、「時間」とは誰にも贔屓せず平等なものです。その枠組の中で大会に参加するので、時間設定すらも楽しみの一つとする方が賢明です。
・この大会におけるゴールとは?結果とプロセスの絶え間ない流転
大会趣旨を踏まえた上での私の考えでは、この大会におけるゴールとは、最終的にコースにおけるゴール位置に立つことが全てではないと思っています。
少し表現しづらいのですが、大会に向けての思いや目標に対して、自分がどれだけ真摯に取り組むことが出来たか、向き合うことが出来たか、この振り返りで心に響く「何か」を見つけること、それがゴールではないかと漠然と感じています。
目指す物や出来事に向けて全力で情熱を注ぐ行動は、とてもかけがえのないものです。誰かに著しく不都合や迷惑をかけるものでなければ、情熱のベクトルはどのようなものでも構いません。
コースを完歩してゴールした、もしくは途中でリタイアしてしまった、各CPで一生懸命にサポートが出来た、うまくサポートとして立ち回ることができなかった、これらは全て結果です。この結果そのものは本大会に於いて、大きな意味を持ちません。結果に至るまでのプロセスこそ、この大会の醍醐味です。どのようにして結果に至ったのか、結果に至るまでに何が琴線に触れたのか。結果ではなくプロセスを味わう大会であるという自覚と認知拡大が課題です。
大きな意味を持たないと記した「結果」ですが、大会中や大会後、次回の大会参加に向けて、この「結果」は「プロセスのひとつ」に組み込まれます。過去の結果を鑑みて行動することに、また新たな気付きを得ることが出来るのです。
プロセスの先に結果があり、その結果がプロセスに組み込まれて新しい結果を生む。幾度となくこれらを繰り返していく流れの中にいることや、俯瞰して見つめることに、この大会の存在価値を生み出すことが出来ることを信じています。
・今年の大会で、自分はどんなゴールを見たのか
リアル100km徒歩参加をした私ですが、どんな目標を持って臨んでいたかを振り返ってみます。
正直なところ、スタートしてからしばらくは、何の目標も持っていなかったように思います。過去の記事にも書いたのですが、ゴールして当たり前、リタイアはありえないとは漠然と意識していました。ゴールすることやリタイアすることは目標とは言えませんでした。
歩き進めていく中で、目標と言うにはあまりにも朧気な感覚ですが、サポートスタッフに笑顔を届けたいとか、CPで会ったりマッサージしていただいた方々と次の場所でまた会いたいといった欲が出てきました。
加えて、今回歩くことを許してくれた本部スタッフの人達を失望させることがあってはならない、笑顔を届けることが出来るのならと、先に進む度にその思いは強くなっていきました。
今になって振り返ると、今回の大会参加での個人的な目標は「笑顔の伝播」だったのかもしれません。
本部サポートスタッフとして動くことが多い私ですが、満身創痍の参加者が少しでも見せる笑顔にどれだけ救われてきたのかを再認識しました。
私は笑顔でいることが出来ただろうか、笑顔になってもらうことが出来ただろうか。こうやって振り返ると、自分は100.6kmを歩き切った事実そのものには大きい意味は伴っておらず、その道中の自身の立ち振舞を鑑みると果たして「ゴール」が出来ていただろうか。
この逡巡こそが、この大会の最大の醍醐味です。だから私はやめることが出来ないのでしょう。
●おわりに - また来年、弟子屈町でみなさまと会いたい
書きたいことは全て書き尽くしました…とは言えません。あくまで表面上の思いつきを忘れないように書き連ねてきただけのようにも思います。
2009年の大会に比べて、今回の徒歩参加は本当に苦しいものでした。それ故に、得ることが多い大会であったことも事実です。苦しみの先に光が見えているのならば、苦しみから逃げてはいけない場面もあるのですね。
この大会で関わることが出来たみなさま、本当にありがとうございました。今年も存分に、感謝・感激・感動を味わうことが出来ました。
2009年の記録でも書き記した言葉です。「遅くともまた来年、北海道弟子屈町の川湯温泉でお会いしましょう。」
それじゃまたね。
おわり