見出し画像

日記(2022/09/26-28)

月曜日。ゴダール『カラビニエ』初見。今年集中的に見ていた80年代以降のゴダールがそのサウンドの前衛性にも関わらずどこか「静謐」な印象を与えるのに対して(白を基調とした画面のせいもあるのかもしれない)、久しぶりに60年代ゴダールを見てみるとそこに「温かみ」のようなものがある。どこか親しみやすいというか、ゴダールが完全にどことは知れぬ「あちら側」に行ってしまう以前の、その天才にまだ親しみをもてるような時代の映画という感じがして。「あんた、ちょっと戦争でもして来なさいよ」みたいなテンションで女に送り出される男たち。『フォーエヴァー・モーツァルト』もまたこのくらいの「ちょっと行ってくるわ!」みたいなノリで戦場に赴く若者の話だった。

火曜日。ゴダール『さらば、愛の言葉よ』再見。好きなセリフ「“登場人物”って嫌い」。プライムビデオで見ると男女の局部にボカシがあるので視聴体験が大きく損なわれることは免れえない。カメラを2台並べて撮影する3D映画の撮影方法のルールをまるで理解していないかのように、一方のカメラだけを自由にパンしてしまうので、まるで世界が分裂したかのように画面が二重になり(まえに3Dで見たときは左右の眼に別々の画面が送り込まれた)、かと思うとスタッフに注意されたのか、奔放な方のカメラがまた元の位置に戻って世界が再統合される。スマホのマイクで録ったような質の粗い音が唐突に耳をつんざくようなレベルで鳴ったりする等、むちゃくちゃなことばっかりやってて最高すぎる。劇場で再見したいゴダール作品ナンバーワン。終盤で『失われた時を求めて』の引用があった気がする。

水曜日。ライオネル・ホワイト『気狂いピエロ』読み終わる。今度また映画のほう見よう。ゴダール『小さな兵隊』再見。「鏡に映る僕は奇妙だ。僕が思う自分の内面と一致しない」。電流による拷問シーン。敵がオルゴールのような小さなハンドルを回すとミシェル・シュボールの足に電流が流れ、それに合わせて見悶える。ハンドルを回す行為と見悶える行為という本来なら関連しそうにないアクションがテクノロジーを介して結びつくというのは、映画の編集について言っているように思える。「画面と画面の繋がりは遠くかつ正しいものでなければならない」(『JLG/自画像』)。ミシェル・シュボールはここで冒頭でアンナ・カリーナが手にする犬の電動玩具を思わせる、あたかも機械仕掛けのような動き方をする。環境音が極端に少ないように見える。普段イメージするゴダール映画の音の豊穣さと対極にあるような、「音が貧しい」映画。アンナ・カリーナが何回も「風呂入ったか?」って言われるの何なのか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?