日記(2022/05/12)
昨日もまた『藤枝静男著作集 第一巻』を読み進めた。短篇「わが先生のひとり」を。10頁くらい読んで休む。なぜかあまり集中できない。
映画でも見ようかと思い、ストローブ=ユイレの1994年の短編『ロートリンゲン!』を再見。大学の図書館で見て以来だから5年ぶりくらいか。いやはや、途轍もなくシンプルな画面がもつ「内面」(と、あえて言ってみる)の、この豊かさよ……。カメラが風景をぐるりとパン、ゆっくりゆっくりと移ろいゆく景色。そこに立ち現れているのは、もはや絵画的な風景ではなく、ひたすら現実的な、触知的な風景というか、見る者がその風景の中に今まさに立っていると錯覚させるような何かである。ストローブ=ユイレの風景画面は、環境画面という言い方のほうがより実感に即している。だから奥がある。内側に行ける。全方位に向けてパンしていくカメラはパノラマといっても見世物としてのそれではなく、ひたすら素朴な方法で「世界を立ち上げていく」表現なのだな、と再確認。
(今確認したところ某動画サイトにアップされてる)
このゆっくりしたパン、僕も愚かにも試しに自主映画で真似しようとしたことあるけど、このゆっくりさ加減が全然上手くいかず、ガタガタしたり速度が保てなかったりして丸っきしダメだった。まあ、そういう機材とか探せばあるんだろうが、機材のこととかは全然知らない。
それで今日は帰りの電車で千葉雅也『アメリカ紀行』を読み終わった。帰宅してしばらくすると昨日注文したイヤホンが届いた。ノイズキャンセリングの機能を初めて使う。なるほど確かにノイズがキャンセルされてる感じ。ノイズを「無かったことにする」。本当はあるのだが、一応、無いことになっている。という感じ。その意識があるので、結局は心の中で、想像的にノイズが生成されることになる。神経質な人にとっては、この機能ってそういうことだよなーとか思ったり。会社の休憩中はずっと本を読んでいるが、周りは騒がしいのでイヤホンをつけている。明日、本当にノイズが無くなるのか、試してみよう。(今日は終わり)