日記(2022/06/13)

ハーク・ハーヴェイ『恐怖の足跡』見る。1962年作。10年くらい前からずっと見たいと思っていた気がする。やっと見た。
タイトルが示唆するように足音の不調がクライマックスの狂った世界を告げる予兆として表現される。終盤、次第に狂っていく世界に恐怖を感じた主人公がたまらず走り出す場面で、その必死に動かす足とそれに呼応すべき足音が無慈悲なまでにシンクロしない。それより前の場面でも主人公の感じる世界の「音が映像についてこない」という現象が起きていた。世界が鳴らす音との関係性がときに不安定になる。さらには自分が鳴らす音でさえも世界との繋がりを失くしていく。それは主人公がすでにこの世にいない者であることを明かす。プルーストがこう言っていたことを思い出す。

耳が聞こえなくなる以前、音は物体の動く原因が外に現れて感知される形態であったから、音もなく動く物体は原因もなく動くように感じられ、あらゆる音響を奪われた物体はまるで自発的に活動しているようで、生きているかと思える。

『失われた時を求めて』岩波文庫5巻165頁

音を失くした者こそ生きているのだとすれば、主人公だけが音を鳴らすこの映画の世界にあってその主人公は死んでいる。音のない世界にプルーストが見出した生き生きとした認識のあり方は『恐怖の足跡』においては死んだ者だけが認識できる恐ろしく絶望的な現実認識に変わる。
キャンディス・ヒリゴスという見たことも聞いたこともない女優が主演していてこの人の恐怖に歪んだ表情がめちゃくちゃ良くて、むしろこの人の顔が何よりも怖い。終盤、カメラに向かって叫ぶカットなんか本来であれば滑稽に写る撮られ方をしているのに、めちゃくちゃゾッとする表現になっている。シシー・スペイセクやシェリー・デュヴァルと肩を並べる未来を想像できるような。しかしそうはならなかったことを歴史が証明している。

(今日は終わり)

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