日記(2022/05/26)
今日は全然サボることなくずっと真面目に仕事。
帰り道で『失われた時を求めて』4巻読み終えた。シャンタル・アケルマンによる映画化『囚われの女』の冒頭で海辺に遊ぶアルベルチーヌたちの姿が主人公の映写するフィルムによって映し出されるが、あの場面は4巻においては主人公が夏休みに少女たちと遊んだ日々の思い出を写真の比喩を使って描写するところにあたる。比喩として使われた写真が映画においては現実のものになり、さらに動きを与えられている。
とはいえプルーストの小説において描写されているものが比喩であるか現実であるか区別して認識することに意味はないし、むしろ現実よりもなお深い現実として比喩がある。
(今日は終わり)